超革新ひふみ神示

超革新ひふみ神示

ひふみ神示は、金をかけて先入観を植え付けようとする勢力を称賛などしてません。 「神で食うて行くことならん」ともあります。 虚心坦懐に読んでみてください。

クナト神と鹿島

いつも政治社会問題とか歴史の大筋について

書いて来たのが、注目されにくい分野に

話を展開させる事でどうなるやら。

 

けれど、ニギハヤヒ朝ヒノモト

民間に行き渡った信仰文化の面から

明らかにしておきたいと思います。

 

 * * * * * * *

 

クナト(岐)の神は「道祖神

「塞(さい、さえ)の神」と考えられています。

佐久奈度(さくなだり)の神とは別だ

と言われています。

 「さくなだり」とは上流の渓谷などで

 岩にぶつかり割かれてなだれ落ちる渓流

 の事ではないかと考えられています。

 

佐久神=くなど神 柳田国男

https://古代出雲への道.jp/category7/entry86.html

 

けれど、クナト神を御祀りする神社として知られる

息栖神社は、水神・瀬織津姫様を御祀りしていた

のではなかろうかと考えられます。

鹿島神宮香取神宮と合わせて東国三社と呼ばれます。

 

5000年前(紀元前3000年頃)の関東

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO83454460Q5A220C1000001/

川越、浦和などがギリギリ陸地で、霞ヶ浦は入江

現在は北浦の東岸が鹿島利根川の西岸が香取ですが

もともとは「両岸祭祀」で一対の神社であったろう

と思われます。その間の外浪逆浦・常陸利根川東岸

位置するのが息栖神社です。

 

ですから、陸上の道というよりも、河川交通の

要衝に位置し、三社で一体(三位一体)となっている

と言えるでしょう。

 

1000年前の関東

https://mb1527.thick.jp/kasimakyoten.html

1013年頃だと藤原道長がメチャクチャやらかしてる頃。

当時はまだ息栖神社は無かったかも知れません。

 

川の両岸で日神・水神を御祀りするのは

ニギハヤヒ(主に物部氏)の信仰形態です。

日神と習合しているのが皇祖ニギハヤヒ大神様。

(フツの御霊の大神様、フルの御霊の大神様。

実際は出雲系の神々と対立はないかと思います。)

もっと遡れば 天御中主大神様の系統。

水神と習合しているのが瀬織津姫様。

三社となると、中間の息栖神社が特に

御子神である瀬織津姫様を中心に

御祀りしていたのかも知れません。

 

ただ、持統天皇藤原不比等の時代に

天照大御神」が女神とされ

それまで男神だった天照神の配偶神だった

瀬織津姫様が抹消されたため

御祀神名を変更していると考えられます。

 

息栖神社の場合は、さくなだり神と岐の神が

重なっているとも言えるでしょう。

 

 * * * * * * *

 

鹿島地名は日本中あちこちにあるので

鹿島姓が多いのは単純に人口の多い東京、

神奈川、埼玉、千葉という順らしいですが

大阪・愛知の次は鹿児島の約800人だそうです。

茨城・兵庫の約700人より多いです。

 

鹿児島の中でも多いのは屋久島らしく、

鹿子島姓から鹿島姓に変化したようです。

 

一般的には、義務教育で教わるわけではない

ので知らない人が多いかも知れませんが

初めの稲は揚子江流域から南九州や長崎

もたらされています。陸稲が先で、

阿蘇では今でも焼き畑をしてますし

水稲唐津あたりが国内初かも知れません。

 

隼人の海人が肥前鹿島とか宗像とか

常陸とか、あちこちに海や川の交通で

進出したようです。

 

茨城(常陸)には

建葉槌命が蹴った巨石が飛び散り

4つの神社になったという伝承があるそうですが

その内の一つが風隼神社です。

隼人(はやと)の隼は、もともと南風(はえ)が

語源かも知れませんし、風隼(かぜはや)は

隼人を意識したものでしょうね。

 

ああ、大阪の茨木市にも隼人がいたと思います。

 秀吉の妻の茶々は淀川から名をとって淀姫と

 呼ばれたかも知れませんが、淀川は逆に

 九州の與止日女の名をとっているかも知れません。

 大住の月読神社には隼人舞があるし。

 

また、「鹿島大明神は奥州塩釜から『金の鷲』に乗って

初めて常陸の国に来られたが、その天降られた地が

常陸国中郡古内山』である」という伝承もあるとか。

朝房山の古名がフジフシだそうで、古内山は

今の朝房山の事かも知れません。

 

塩釜神社は、「現在の祭神は鹽土老翁神、武甕槌神、經津主神であるが、

これは江戸時代に定められたようで、弘仁式には鹽竃の神。

この神が味耜高彦根命と見なされていた時期があった」

http://kamnavi.jp/jm/adisuki.htm

とある他、宮司さんは大己貴だった時期もあると話されてるそうで。

また、「鹽竈神社の本当の御祭神はナガスネヒコであると、

古い文献に書かれている」とか。

https://blog.goo.ne.jp/okudaidou/e/756435b0ce94abdce3ab731446bfe6c1

 

陸奥一宮・塩釜神社松島湾の南西部で

やはり海上交通の要衝。

多賀城の北東に位置します。

 

つまりニギハヤヒ朝ヒノモトは実際は尾張から

三河、静岡、伊豆、常陸陸奥と東遷・北上している

と考えられます。そして都母の碑と呼ばれるものが

多賀城にもあれば千曳にもあるわけです。

 

そして、千引岩と呼ばれる磐座が白山中居神社にもあります。

 

ニギハヤヒ朝ヒノモト

https://cyrus2.hatenablog.jp/entry/2023/07/09/201936

 

 * * * * * * *

 

前方後方墳は狗奴国のもの」とおっしゃる方も

いらっしゃいますが、これは奈良県邪馬台国があった

という建前(たてまえ)に基づく説で、実際は

大阪の河内地域に先に入っていたニギハヤヒ朝ヒノモトを

大和朝廷」が背乗りした、という経緯があります。

 

旧唐書新唐書には、日本は小国だから国号を奪ったとか

ヤマトは小国だから国号を奪ったとか書かれています。

 

ヤマトはもともとは筑紫か阿蘇にあり、マツラ国や

伊都国とそう離れてはいなかったと考えられます。

当時は馬に乗ったりもできませんから、

河川なしの陸上移動は大変です。

狗奴国はその南で、火の国とか、南九州とか、

そんな所でしょう。

 

隋書には、倭に阿蘇山がある事が記されています。

遣隋使を送ったのはアメのタリシヒコないし

アマのタラシヒコとされています。推古女帝ではなく。

 

九州の倭国とは別に、吉備とか

日下(ヒノモト)の草香(クサカ)などに

「豪族」の王朝があったと考えられます。

 

前方後方墳の存在する範囲は広いです。

しかも、奈良県にも存在します。

「奈良にあった邪馬台国と対立した東の狗奴国」では

そんな事にはなりません。

生駒山あたりを譲ったニギハヤヒ朝ヒノモトの

物部氏などであれば、近畿政権内にも存在したし

尾張など東国との関係も良好だった。

だから東海の土器が巻向でも見られる。

そういうわけです。東国と対立するように

なるのは後の時代です。

 

 * * * * * * *

 

道祖神」の「祖神」とは?

 

「千引岩」のある白山中居神社の御祀神は

白山菊理媛神と、イザナギ大神様、イザナミ大神様です。

 

「ここに伊耶那美命 息吹き給ひて千引岩(ちびきいわ)を黄泉比良坂に引き塞(そ)へて、その石なかにして合ひ向ひ立たして つつしみ申し給ひつらく、うつくしき吾が那勢命(なせのみこと)、時廻り来る時あれば、この千引の磐戸、共にあけなんと宣り給へり、ここに伊耶那岐命しかよけむと宣り給ひき。」

 

つまり、祖神とは、最初の男女の大神様です。

天地創造神龍様をさしている事もあれば

人類の祖先の男女をさしている事もあるようです。

 

場合によっては、ナギ・ナミ両大神様ではなく

男神の天照国照彦様、女神の白山菊理媛様、

御子神瀬織津姫様となっているかと思います。

どちらかと言えば菊理媛様を除いて

天照皇大神様と瀬織津姫様で一対という事が多いですが。

 

ちなみに、伊勢神宮の内宮は真北を向いてるわけではなく、

どうやら白山を向いているようです。

http://tsurugine.blog.fc2.com/blog-entry-88.html

ホツマツタヱにおいては、

白山媛様はアマテル様を産湯に浸した叔母。

 

水辺にある八幡宮は、応神天皇は配偶神で

瀬織津姫様が主祀神だった可能性が高いです。

石清水にしろ近江八幡にしろ郡上八幡にしろ。

 

もっとさかのぼると、大日霊女貴様が主祀神で

日子神が配偶神だった可能性が高いと思います。

 

初代日女神は大日霊女貴様、二代目は「倭人伝の卑弥呼」様、

三代目は「倭人伝のトヨ」様、記紀神話でそれを背乗りしてるのが

神功皇后、みたいな見方もあります。

佐賀の與止日女様もトヨ様と重なっているように見えなくもないです。

 

聖母子信仰

https://cyrus2.hatenablog.jp/entry/2023/07/02/234114

 

そして・・・最初の人類である女性とその御子が

母子結婚して人類最初の夫婦となった可能性がある・・・

と思われます。

 

ネイティヴ台湾人の伝承などでは、

洪水で残された兄妹の結婚などのパターンが

見られるそうです。母と子とか、父と娘

というパターンも少数ですが見られるそうです。

 

 * * * * * * *

 

朝鮮半島の「道祖神」であるチャンスンに関しても

そういう伝承が残っているようです。

チャンスンは元々はシュメールの

父なる天(アン)・母なる地(キ)です。

バビロニアでアッダ・アン・ウム・ク、

モンゴル語でアッヂャンムツ、

黒竜江省の地名でヂャアムス、

朝鮮半島でチャンスン、日本列島でチャウスと変化。

 

バビロニアン・ブラザーフッド

https://cyrus2.hatenablog.jp/entry/2023/07/30/235246

 

これが南方ルートだとアン・キのまま

速秋津媛となったりしているようですが。

「安来」「安芸」のような地名も、本来

アンキだったのではなかろうかと思っています。

 

そして・・・日本の米とか蚕とか鵜飼いとかが

揚子江に起源を持つのはまぎれもない事実で

日本語の基盤はポリネシア系である事、

次に来てるのがドラヴィダ語族である事も

大野晋先生の研究で明らかになっていますから

南方ルートの方が重要なのです。

 

北方がルーツだと主張する大本営工作員たちは

匈奴高句麗百済系(現代「日本人」の

20%のB型や10%のAB型の半分)を古くからの

日本人だと主張したい詐欺師という事です。

40%いるA型の内半分をAA型、半分をAO型

B型もBB型BO型が半々だと仮定すると、
 AA型20%AO型20%OO型30%
 BO型10%BB型10%AB型10%
という割合になります。その上で、さらに
AO型の半分はA型魂、半分はO型魂
BO型の半分はB型魂、半分はO型魂
AB型の半分はA型魂、半分はB型魂
と仮定を重ねると・・・

A型魂35%O型魂45%B型魂20%
という事になります。つまり

バビロニアは5人に1人でしかない。

それを昔からの主流だと主張したいのが工作員

 

ユダヤ(偽アーリア)の正体がフン族匈奴

だからそうなっているのです。

 

寒冷適応したウラル=アルタイ系騎馬民族

だから細目( ´,_ゝ`)なのであって

暑い中東にいた真正ユダヤならそうなりません。

「かわいそうな被害者」に見えますか?

 

霊界物語 アルタイ山ウラル彦
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm0616
霊界物語 蒙古魔軍

http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm0130

*霊界の事は確かめようがないですが

 実際のウラル=アルタイ語族の歴史がそんなですから。

 

魏志高句麗
http://www.eonet.ne.jp/~temb/16/gisi_kokuri/gisi_kokuri.htm
人々の性格は凶悪、短気で、略奪を好む。

 

魏志倭人
https://www.yoshinogari.jp/ym/topics/
盗みもなく、争いごとも少ない。

 

氣をつけましょう。

現実をありのままに見る必要があります。

 

記紀神話系図は合成かも

https://cyrus2.hatenablog.jp/entry/2023/09/16/092150

 

倭の五王」は高句麗系かも知れない

https://cyrus2.hatenablog.jp/entry/2023/08/27/170846

 

神功皇后は息長氏とされますが、どうも

息長氏は沖永良部島から出た氏族のようですから

隼人との距離は近いわけで

記紀熊襲・土蜘蛛を討ってまわったように描かれるのは

なかなか奇妙で、その辺は実際は高句麗が倭を破った

という話を隠蔽して、高句麗人皇の話を転嫁してる

可能性もあるかなと思います。

(ナーガは竜蛇ですが、エラブ、イラブも海蛇です。)

景行天皇ヤマトタケルのミコトに関しても、

そういうややこしさがあります。

https://hanzan-qazwsxedc.jimdofree.com/講18-12-ヤマトタケルの負けた理由/景行天皇の北伐/

 

【動画】景行天皇 日本武尊と現地伝承

https://www.youtube.com/watch?v=X3vT1qWKAJY

 

 * * * * * * *

 

さいの神の原像(1)くなと大神

https://xn--u9jta474uoyc71cky0m6xj.jp/category3/entry21.html

 江戸時代末まで出雲大社の上官家であった富家の伝承によれば、

 出雲族は、インドのクナ地方を治めていたクナト王に由来する

 クナト大神(久奈戸大神)を主神として祭ったのだと云う。

 妻神を、幸姫(さいひめ)の命と云い、

 息子神を猿田彦命と云い、三神を合せてサイノカミだそうだ。

 

・・・ですが、常陸息栖神社の場合は

両側に鹿島・香取神宮があって、間に位置してますから

明らかにクナト神様の方が「男女祖神の御子」として

設定されていると思います。

 

また、神社の入り口にある摂社は

たいてい、猿田彦様か、祓戸四神

瀬織津姫様を含む)を御祀りしています。

 

「担わされている役割」は道案内、

露払い、穢れ祓い、厄除け、

といった所のようです。

 

それって権力者のご都合主義で・・・

本来は祖神と御子だった敬うべき神々に

自分たちの罪を転嫁し尻ぬぐいさせるという発想ではないかと。

 

日月神示 第五巻「地(九二)つ巻」
第十五帖 (一五二)

「てん詞様が世界みそなはすのざぞ。

世界中の罪負ひておはします素盞雄の大神様に氣附かんか、

盲つんばばかりと申してもあまりでないか。」

ひふみ神示においてはナギ・ナミ両大神様の御子=天子様かと。

 

大神様を敬慕・信愛し「悪より救いだしたまえ」なら結構だと

思うのですが、自分に非があるのを無かった事にしてくれ

みたいな自己中心的なのは、どうかとも思うんですよね。

おいしい部分だけかっさらって、不都合な部分は他人まかせなんて。

改心・反省もお詫びもせずに。

 

猿田彦様にも日神のような側面がありますから

大日霊女貴様の御子(日子神)だった

可能性もあるのかなと。

本来の八幡神。そして、日本列島で最初の

サタ岬は、大隅半島佐多岬かも知れません。

(サルタとサタ、サダは同じ・・・らしいです。)

 

また、ニギハヤヒ朝のシンボルが

白鳥であるのにも関わらず

ニギハヤヒ様と同一視されている

大物主(大穴持=おほなむち)様は

蛇神と考えられているわけですから

本当はヤマタのオロチがヤハタ神だった

のではないか、という説もあります。

スサノヲ大神様の御子とされるニギハヤヒ様は

大物主を背乗りしたのではないか、という事。

 

なお、大国主様の御子とされるタカヒコネ神様と

そっくりとされる天稚彦様に関しても

蛇神とする伝承があります。

https://ja.wikipedia.org/wiki/天稚彦草子

記紀に出てくるのは

どうも3つくらいの伝承パターンの複合系

(蛇王子・夫捜索型、蛇王子・偽の花嫁型、二人兄弟型。)

をさらに変化させたものらしいです。

 

人間にとってコブラのような毒蛇は怖い存在です。

それを食べてくれる孔雀のような鳥はありがたいです。

しかしながら・・・人間にも「天地創造」の力が

それなりに備わっていて、人間が蛇を邪と見る

想念が、蛇を毒蛇に変化させた・・・ような事も

あるのかも知れません。

 父は守護の神々からそう教わったらしいのです。

蛇は水や農耕のシンボルでした。

 

けれど、鳥が海を越え稲を運んだという伝承が

まさるようになったようです。

 

そして、物部氏と協力関係にあった奥州安倍氏

鳥海山(とみやま)をニギハヤヒ様の降臨する聖地と

したようですが、祖先の弟とされるナガスネヒコ様の

ナガはナーガ(竜蛇)をさしているかも知れません。

 なんだか物部氏ナガスネヒコ様の末裔と称してる

 可能性も感じはじめました。

 

 * * * * * * *

 

ちなみに、稲荷神社も本来は穀物などの神様です。

狐が眷属とされるようになったのは

お供えしてあった稲荷寿司を狐が食べた

みたいな事があっての事らしいです。

伏見稲荷大社の傘下に入った神社であっても

名が白高だったりするのなら、本当は白鷹では

ないのかと考えてみるべきかも知れません。

ニギハヤヒ朝のシンボルの白鳥は英語でいう

Swan、古代ギリシャ風で言うキグナスではなく

鷹の類の可能性がありますから。

父神が穀物神(大歳神)、母神が蛇神で

御子神が「玉姫」なら、御子神

御年神・瀬織津姫様と豊玉姫様と豊受大神様の習合

のように推測できるかと思います。

 

それと、個人的な感想ですが、頻繁に手入れするのも

大変でしょうから、朱塗りの鳥居をやたらめったら

並べなくてもよいのではなかろうかとも思います。

 

 * * * * * * *

 

この機会に、少し説明しておくべきかと思う事があるのですが

ギリシャ神話とか、メソポタミア神話の中に

地母神から生まれた子とか、主宰神の妻が夫に対抗して

単性生殖(男女の交わりによらない)で産んだ子などが

できそこないとか邪悪な怪物とされる話があるのですが

(デュポーンとかティアマトの子らの話)、

男が戦争で権力を握るようになった結果として

そういう「神話」が生まれてる可能性があるかなと思う

わけです。で、それに乗っかって、7つ、8つ、9つの頭を持つ

龍とか大蛇とかを敵視して、倒す者を英雄視する話がある

けれど、もともと蛇や龍は水や農耕の神のシンボルだった

ようで、本当に悪なのか?を見直し・聞き直しする必要が

あるのかなと思うのです。

 

出口王仁三郎聖師様の霊界物語でも、悪神は蛇とか

龍として描かれる事も多いですし、実際、悪龍も

霊界というか幽界には存在するかも知れないですが

ひふみ神示の場合、霊界物語に乗っかりつつも

たしなめるような、「乗り突っ込み」みたいな部分も

あるんですね。例えば・・・霊界物語にはこうあります、

 

「太陽界と、大地球界とは鏡を合はしたやうに、同一状態に混乱紛糾の状態を現出した。太陰の世界のみは、現幽両界ともに元のままに、平和に治つてゐる。ひとり太陰に限つて、なぜ今いまでも平和に治つてゐるかと言へば、この理は月の形を地上から観測しても明らかである如く、光はあれども酷烈ならず、水気はあつても極寒ではない。実に寒暑の中庸を得たる至善至美の世界であるからである。これに反して太陽の世界は、非常に凡てのものが峻烈で光りは鮮やかであり、六合(りくがふ)に照徹(せうてつ)する神力はあれども、それだけまた暗黒なる陰影が多い。しかしてまた大地は、もとより混濁せる分子の凝り固まつてできたものであるから、勢ひとして不浄分子が多い。したがつてまた邪神の発生するのも、やむを得ない次第である。」(第1巻 第22章 国祖御隠退の御因縁)

 

ひふみ神示ではこうなります。

 

五十黙示録 第二巻「碧玉の巻」
第十帖(二五)

「次の岩戸しめは素盞鳴命に総ての罪をきせてネの国に追ひやった時であるぞ、素盞鳴命は天下(あめがした)を治しめす御役(おんやく)の神であるぞ。天ヶ下(あめがした)は重きもののつもりて固まりたものであるからツミと見へるのであって、よろづの天の神々が積もる(と言ふ)ツミ(積)をよく理解せずして罪神と誤って了ったので、これが正しく岩戸しめであったぞ、命(みこと)をアラブル神なりと申して伝へてゐるなれど、アラブル神とは粗暴な神ではないぞ、あばれ廻り、こわし廻る神ではないぞ、アラフル(現生る)神であるぞ、天ヶ下、大国土を守り育て給う神であるぞ、取違ひしてゐて申しわけあるまいがな。このことよく理解出来ねば、今度の大峠は越せんぞ。絶対の御力を発揮し給ふ、ナギ、ナミ両神が、天ヶ下を治らす御役目を命じられてお生みなされた尊き御神であるぞ。素盞鳴の命にも二通りあるぞ、一神で生み給へる御神と、夫婦呼吸を合せて生み給へる御神と二通りあるぞ、間違へてはならんことぞ。」

 

積もるのを罪と見るのは誤り、となりますね。 そして、

一神で生んた話は、そもそも誤解・改竄された話ではないのかと。

 

日月神示 第七巻「日の出の巻」 

第十三帖 (二二六)
「真上(まうへ)に真すぐに神を戴いて呉れよ、(・・・中略・・・)斜めや横から戴くと光だけ影がさすのざぞ、影させば闇となるのざぞ、大きいものには大きい影がさすと臣民申して、止むを得ぬ事の様に思ふてゐるが、それはまことの神の道知らぬからぞ、影さしてはならんのざぞ、影はあるが、それは影でない様な影であるぞ、悪でない悪なると知らせてあろが。真上に真すぐに神に向へば影はあれど、影無いのざぞ、闇ではないのざぞ。此の道理 会得るであろがな、神の真道(まみち)は影無いのざぞ、幾ら大きな樹でも真上に真すぐに光戴けば影無いのざぞ、失敗(しくじり)無いのざぞ、それで洗濯せよ掃除せよと申してゐるのぞ、神の真道(まみち)会得(わか)りたか。

 

こういう風で、話を受け継ぎつつ、微調整のようでいて

大きな転換をしていたりもします。

 

改心すべき悪人は実際いるけれども

もともと水神の象徴だった蛇神とか

女神とかを敵視する事そのものが誤り

かも知れないと思っておいた方がよいのかなと。

 

神示大本営発表を盲信せよ」ではなく

真逆なのです。確かめよう、吟味検証しようの連続です。

 

聖師様のおっしゃる事であっても

全面盲信せよではない・・・それは大本神諭も同様です。

https://cyrus2.hatenablog.jp/entry/2023/08/06/233349

 

 * * * * * * *

 

ニギハヤヒ大神様をはじめ天つ神は

A型人種ですから、インドから来てる

可能性は多いにあります。

シナ=チベット語族の語順は

インド=ヨーロッパ語族と同じですし。

我 愛 你(ウォーアイニー)

I love you.(アイラブユー)

みたいな感じで。

 

シュメール系の語順を持ち込んだのは

ドラヴィダ語族で、それがいわゆる

日琉語族だと思われますが。

朝鮮半島南部の「三韓」も

日琉語族がしきっていたと考えられています。

 

高句麗が半島に南下するのは三国時代が終わってから、

晋(司馬懿の一族)が匈奴に負けたりしてからです。

 

実際の所、卵や石から生まれる新羅系神話(天日矛と

アカルヒメなどの)は台湾などと共通していて

南方ルートの伝承なんですよ。

 

 * * * * * * *

 

ドラヴィダ語族の主導層(原エラムかも)はO型と

考えられるのですが、(下層はアッカド系のB型ですが、)

沖縄などの離島の方がO型比率が高い事実があります。

沖縄に多い母系DNA(ミトコンドリアDNA)は

ハプログループM7aです。台湾・フィリピン方面は

M7cが多く、揚子江方面はM7bが多いので、

M7系統が倭人かも知れません。

M7aは列島中央では多くはなく、北海道の方が比率が高いです。

 

また、北海道の縄文人に多いのはN9bです。

そしてN9aは分布がひろく、台湾や中国南部で

比較的多い。当然、沖縄でもN9系統は多い。

これまた本州では、さほど多くもない。

ですから、N9系統も縄文人ないし倭人

(国つ神ないし天つ神)と考えられるのですが

日本語の基盤はドラヴィダ語族(シュメール語族)でも

アーリア語族≒シナ語族でもない。

ポリネシア系なんです。

http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-426.html

 

現代日本の中央にいればネイティヴ日本人」

ではないわけで、北海道や沖縄に多い

M7系やN9系こそが縄文人倭人である

というのと同様に、少数派になっているのが

B系統。インドでRから分かれたと考えられ

ポリネシアに多い系統です。

https://ameblo.jp/cyrus2/entry-11380096260.html

 

中世の種子島の人骨を調べた所、

N系やM系と同じかそれ以上に

B系統が多かったそうです。

(血液型で言えばポリネシアにB型は皆無

というのが、ややこしいかも知れませんが。

ミトコンドリアDNAと血液型はしっかり区別してね。)

 

南方系という事は、パッチリ二重まぶただった

という事ですよ。ただ、環境適応で身に着けた形質は

遺伝しやすいので、寒冷適応で身に着けた細目

(まぶたに脂肪がたまる)の方が遺伝しやすいので

まるで高句麗百済系の藤原の血筋が圧倒的に

多いかのように見えるわけです。その外見を

日本人の外見だと勘違いしてるとヤバイわけです。

 

パッチリ二重まぶたこそが日本美人。

 

ひふみ神示 第廿二巻 「ア火ハ(アホバ)の巻」
第十五帖 (四八四)
「世界から見るから日本が日本ぞ、
も一つ上の世界から見れば世界は日本ぞ、神国ざぞ、
今迄大地の先祖の大神様の血統落して了ふて
途中からの代りの神でありたから、
まぜこぜしたから世が乱れに乱れて了ふたのぢゃぞ、
知らしてあらうがな、よくなっとくしてくれよ、
人民 皆その通りになってゐるのぢゃ。」

 

ひふみ神示 第一巻「上つ巻」

第三十二帖 (三二)

「神から見た世界の民と、人の見た世界の人とは、

さっぱりアベコベであるから、間違はん様にして呉れよ。

 

大本営が「一応二重まぶただけど南方顔とは

言い難い」みたいなのでごまかしたがる理由を考えてみましょう。

 

日月神示 第七巻「日の出の巻」

第二十帖 (二三三)

に氣つけて呉れよ神の国は結構な国で世界の真中の国であるから、悪の神を取りて末代の住家とする計画でトコトンの智恵出して何んなことしても取る積りで愈々を始めてゐるのざから余程褌締めて下されよ、日本の上に立ちて居る守護神に分りかけたら ばたばたに埓あくぞ。早う改心して呉れよ。

 

 

 * * * * * * *

 

ところで・・・この手の民俗学の本は

15年前だったら地元の図書館になくても

遠くの図書館から取り寄せてくれたのですが

2011年の3.11東日本大震災福島原発事故の頃

あたりからだったか、図書館のスタッフが

パソナ(社長は創価学会員、当時は竹中平蔵も関係)

などからの派遣社員になったり、図書館そのものが

ツタヤ(CCC)に委託されたりするようになり

(特に竹中、世耕、二階、川嶋らの地元の和歌山)、

それから連続で3回ほど借りれなかったため

もう図書館には久しく行っていません。

そして、団塊ジュニア世代なのですが、50才頃から

老眼になったようで、以前と比べると読書の

ハードルはかなり上がっています。

 

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一方で、インターネット上に論文を掲載する

サイトができたりしているようなのですが、

これがまた意味不明で・・・アカウント作成の際に

Googleアカウントを使おうとすると

英語で「なんかうまくいってないみたい。

原因解明中だから数分後にまたやってみて。」

みたいな文章が出てくるんだけど。

まるで「2ちゃんねる」みたいな文言。

数分で原因解明とか普通ないし、解消されると

したらサーバー混雑の解消とか、そんなものでしょ。

実際数分では解消されないし。Googleをログアウト

して45分くらいしたらメールアドレスと筆名で

アカウント作れるようになったから、まぁよかったけれど。

 

どうもGoogleからはじからてる可能性がありそうです。

 

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ついでに。8月22日以降のアクセス数が不安定。

何故か今見たら9月4日分は0に変わってるし。

10月1日の37アクセスの内32くらいは

同じ人が32ページくらいにアクセスしているかと。

そういうのを除くと2~4アクセスくらいの低調の日だらけなのかも。

(それも実質は1人とか2人なのかも。)

これってTwitter(現X)で言うシャドウBANみたいなもの?