超革新ひふみ神示

超革新ひふみ神示

ひふみ神示は、金をかけて先入観を植え付けようとする勢力を称賛などしてません。 「神で食うて行くことならん」ともあります。 虚心坦懐に読んでみてください。

超革新ひふみ神示 第27章(前編)

< 27 > 大本の雛形経綸

 

大本教は大正十年に一度弾圧された後、再び目覚しい発展を遂げ、

昭和十一年に、もはや復興は不可能だろうと思われるほどの大弾圧を受け、

そこからまた立ち上がりました。

 

そういう大本の姿は、第二次世界大戦で負けながら、驚異的な復興をとげた日本の雛形(プロトタイプ)という話があります。

 

大本神諭
「世界にある事変は、皆明治三十二年から大本の内部に模写(かた)がしてみせてあるぞよ」
「この内部のごたごたが世界に出来るぞよ。いつ大本にこういう事 がありたという事を、つけとめておいて下されよ、世界の鏡になる 大本であるから、世界にあること、雛型(かた)を して見せるぞよ」
「大本にあった事は必ず日本と世界に実現する、大本は世界の模型であるから、箸の転んだ事までつけとめておいて下されよ」

 

大本が二度弾圧されて二度復興したように、日本も二度負けて二度復興するとも言われていますが、大神様としては、大難を小難にして済ませたいという話です。全ては人の改心次第という事も示されています。今が、その二度目を避けるべき大事な局面と思い、改めて大本の雛形経綸について記しておきます。


昭和九(1934年)年7月22日
東京九段の軍人会館で昭和神聖会を発足。この時の副総裁は日本右翼運動の創始者内田良平。以後大本は急速に右翼化
<6年後>
昭和十五年(1940年)7月22日
東京九段の軍人会館で近衛内閣が組閣される。陸相の東条秀樹が大政翼 賛会を発足。 以後、日本は急速に右翼化

 

昭和十年(1935年)12月8日
憲兵特攻が、松江の宍道湖(しんじこ)近くに滞在していた王仁三郎を 奇襲、検挙する。
<6年後>
昭和十六年(1941年)12月8日
海軍の特攻隊がハワイの真珠湾に停泊中の、アメリカ太平洋艦隊に奇襲 攻撃をする。

 

昭和十一年(1936年)4月18日
綾部・亀岡の聖地所有権が町に移され、ダイナマイト1500発にて全 国の大本関連施設が破壊され、瓦礫と化した
<6年後>
昭和十七年(1942年)4月18日
米軍機が東京・名古屋・神戸等の本土上空を空襲、爆撃によって日本の 各所が廃虚と化した。

 

昭和二十年(1945年)年9月8日
大審院にて大本は無罪となる。王仁三郎は国に対する賠償請求を放棄。
<6年後>
昭和二十六年(1951年)9月8日
サンフランシスコ講和条約日米安全保障条約が締結され、
戦後連合国は 日本に対し、賠償を一切放棄した。

 

出口王仁三郎聖師様が投獄されていた期間
昭和十年12月8日~昭和十七年8月7日、6年8ヶ月(2435日 閏年2回)
<大本弾圧事件発生~最終解決までの期間は9年9ヶ月で、
太平洋戦争~サンフランシスコ講和条約が結ばれる迄の期間も9年9ヶ月>
日本が連合国の占領下にあった期間
昭和二十年8月27日~昭和二十七年4月27日、6年8ヶ月(2435日 閏年2回)

*日之本研究ホームページなどを参照

 

このような事実があるのであれば

「全て偶然」で片づけるよりも

大本教団が日本の雛形というのは真剣に

受け止めた方がよいのではないか、と

考えてよいのではないでしょうか。

 

とある大本教信者さんのブログから抜粋・編集させていただきます。

昭和48年6月、父、出口宇知麿(うちまる)のあまりにも見事な死に際に心揺さぶられた出口和明さんは、父との死の際の約束を守り、
意識的に教団の外を生きた暮らしに終止符を打ち、
宇知麿・八重野家が継承する大本斎司家を継ぎ、教団内部に入ります。

しかし、そこで見たものは自分の青年時代とは
驚くべき変貌を遂げた教団執行部の独裁体制でした。
執行部は完全に京太郎に占められ、教主側近もまた同じで、
“絶対的生神”とされる三代教主直日の耳に入る情報は、
全て京太郎派にコントロールされた情報だけという仕組みになっていたのです。

挙句のはてに京太郎はこの頃、二代目出口王仁三郎襲名を狙っていました。
神定でどうしても男が教主になれないのなら、
開祖、二代を超越する存在、出口王仁三郎を襲名すればいいという考えからです。

「まだ襲名には年が若いから、56歳になるまで待て」
となだめたという直日の言葉が伝えられています。

 

京太郎派は千葉三郎を筆頭とする
右派大物国会議員や地方の右翼勢力を扇動し、
装甲車数台で本部を占拠する」の言葉とともに
3代教主出口直日様を脅し、娘婿の出口栄二氏の解任を迫りました。
千葉三郎とは、昭和45年、京都と東京で勝共連合らが開いた
世界反共連盟世界大会(笹川良一大会総裁)の推進委顧問もつとめた人物です。

 

出口栄二氏は、有栖川宮熾仁(たるひと)親王の公式の御落胤である

田中いくさんの子です。聖師様の同父妹(異母妹)の子です。

しかしながら、「社会主義国こそがみろくの世」という思想を

持っていたために公安ににらまれたようです。

ここまで読んでくださっている皆様の中には、

「確かにひふみ神示大本神諭は超がつくほどの革新で、

資本主義や帝国主義新自由主義は悪魔的・・・かも」と

考えるにいたった方もいらっしゃるかも知れません。

栄二は何もおかしくないのです。

むしろかなりの大本神諭理解者と言えはしないでしょうか?

 

昭和57年の節分大祭でのことです。
直日様は突然、出口京太郎氏を総長から解任し、
総代の宇佐美龍堂を総長兼本部長に選んだのです。

宇佐美は代表役員であるとともに総長兼本部長という絶対的権限が与えられた。

 

宇佐美龍堂…非常にいわくつきの人物です。
戦時中は左翼活動家でしたが、検挙されたのち直ちに転向し、
戦後は、公安調査庁の前身、
法務府特別審査局近畿支局の嘱託秘密工作員だったともいわれ、
右翼・左翼情報を収集していたようです。
昭和28年2月には月刊誌『現代人』を創刊します。
その編集方針は「反共」で、執筆陣も警察・公安出身者たちが中心でした。
29年7月号からは、
昭和十年の第二次大本事件を直接指揮したあの元京都府特高課長杭迫軍二に、
ペンネーム「亀谷和一郎」と名乗らせ、
半年にわたって「宗教界の野望-大本教について」と題して
大本大々的に攻撃した記事を連載したのです。

記事の末尾には
「本稿は第一回以下、その編集文責は当編集部にあることを付記します」とあり、
宇佐美自身の意思で、
大本つぶしの記事を掲載した意図がありありと伝わってきます。

 

一方で、弾圧をまぬがれた岡本天明先生を霊媒として、
昭和十九年6月10日(旧五月五日)から、ひふみ神示が始まったわけです。

 

統一教会の元幹部のアレン・ウッドという方は

 「彼(笹川良一氏)は胸を叩きながら『私は鮮明氏の犬だ』と言った。

日本で最強の人物が自分を文氏の下に位置づけた。

あの時『我々は世界を支配できる』と思った」と発言しています。

その動画がツイッターなどで拡散されているので、御覧になった方は

少なからずいらっしゃるはずです。今は全部消されたかも知れませんが。

 

大本神諭 大正6年旧2月9日
悪の守護神が、大本の中へ這入りて来て、何彼の邪魔を致すから、
氣ゆるしは少とも出来んから、物事が遅くなりて、世界中の苦しみが、
永うなると申す事が、毎度筆先に出して知らしてあるぞよ。
大本には、世界の事が写るから、大本の中の様子を見て居りたら、
世界の事の見当が、明白に判りて来るぞよ。」

 

アメリカ議会の報告書(1978年)には、
KCIAの創設者である鍾泌

政治的手段として統一教会を組織した」

と記されているそうです。

 「手段」の所は実際はtool(道具)となってます。

 

王仁入蒙」にばかり気をとられて、それが何を意味する雛形なのか理解していない方々は、「霊界物語」に「蒙古の魔軍」などなどしっかり記されている事には注意が行ってないようです。聖師様は、自らがそのような役を演じなければならない宿命を承知の上で、大本弾圧などの過酷な雛形を完遂されたわけです。

 

聖師様は頭山満などの右翼と確かに関係なさっておられます。

けれど、これが何の雛形なのか、また「第3次大本事件」は

何の雛形なのか?という事をよくよく考えていただきたい。

 

「蒙古の魔軍」と記されているのは

霊界物語  第1巻 第4篇「竜宮占領戦」 

第30章 黄河畔の戦闘〔三〇〕024です。

 

「平和を愛する環太平洋モンゴロイド」などという

真っ赤な大嘘を吹聴する方もいらっしゃいますが

モンゴル帝国ほど殺しまくった帝国はそう多くありません。

 

そもそもポリネシアや北米、中南米の先住者にB型は皆無です。

アラスカで寒冷適応している人々はいらっしゃるものの

それで外見が似ただけで、実は人種は全く違うのです。

インディアンはまっすぐな舌を愛し、
先が二つに割れた舌を憎む。」と言います。

平気で歴史捏造し冤罪で長屋王などを殺す藤原氏などとは全く異なります。

よくよく現実をみましょう。

自己中心主義を抜きにして。

誰が「白人」なのか?

 

右翼思想は戦争や謀略で勝てば偉いというものです。

 

理があるかどうかではなく、暴力で決着をつけようという。

そういう発想の変形が、荒らしやデマ工作による「論戦」です。

非常にナチス的です。

 

公正な議論を嫌がり、「弱い犬ほどよく吠える」

などとほざき、理のない邪論をテロで押し通そうとする。

テロで正論を抹殺しようとする。

そういうのがファシストです。

そういう右翼こそが「白人」の正体。

 

朝鮮半島の「声闘」(ソント)と発想が同じ。

理があるかどうかではなく、声の大きさで

優劣を決めるという。そういう発想が右翼の発想。

 

桜井誠をはじめとするインターネット世代の右翼が

韓国人の特徴をいろいろ教えてくれていますが

彼ら右翼自身にその特徴がはっきり出ている。

よくよく現実を見ましょう。

 

藤原氏は騙し討ちをよしとする「白人」であり

「インディアン」日本人を虐待しています。

「白人」の主犯格であるフン族匈奴)の同胞

バビロニアン・ブラザーフッド」です。

 

そういう悪のやり方を徹底批判するのが

ひふみ神示なのです。

 

霊界物語 第6巻  第3篇「大峠

第一六章「大洪水」(二)〔二六六〕048

には、ウラル彦悪神がアルタイ山に救われた話などが書かれています。

もちろん、霊界の話は誰にも検証できないかも知れませんが

実際のウラル=アルタイ語族の歴史を知る事は可能です。

歴史に関して、ありのままの真実を描くのは真相探究、写実です。

 

悪人に傾向があるわけではないと主張しながら、

一方で大本営が悪人の傾向を定義しようなどというのもおかしな事です。

ポリティカル・コレクトネス」「ファクトチェック」などの詭弁、不公正。

 

聖師様は、御自身がモンゴル系のお顔でいらっしゃる事をご存知だったか、それとも全く無頓着だったか、本当の所は断言できませんが、大神様は全て御承知の上で、有栖川宮熾仁(たるひと)親王の御落胤である聖師様に雛形を演じるようになされたのでしょう。

 

伊都能売(いづのめ)神諭(しんゆ)
大正七年一二月二三日

「撞(つき)の大神様ミロク様が、
肝心の世を治め遊ばす経綸となりたのを、
五六七(みろく)の世と申すのであるぞよ。
ミロクの御用は撞の大神と現れる迄は、
泥に混(まみ)れて守護いたさな成らぬから、
ミロクの御用の間は変性女子を化かしたり、
化けさして世の立直しを致さすから、
女子は未だ未だ水晶の行状(をこない)斗(ばか)り命(さ)す事は出来ぬ、
和光同塵(まぜこぜ)の御用で辛い役であるぞよ。
それで女子の身魂は未だ未だ内からも外からも、
笑はれたり、怒られたり、攻められ苦しめられ、
譏(そし)られ愛想を尽(つか)され、疑はれ、
云ふに云はれぬ辛抱もあり、
悔しい残念を忍耐(こばら)ねば成らぬ、
氣の毒な御役であるぞよと女子の行状を見て御蔭を落とす人民も、
沢山是れから出て来るぞよ。
女子は斯世(このよ)の乱れた行(や)り方が命(さ)してあるぞよ。
申して、変性男子の手と口とで永らく氣が付けて、
三千世界の大化物じやと申してあろうがな。
余り浅い精神やら小さい身魂では、
途中で分らぬ様になりて、
迯げて帰(い)ぬぞよと申してあろうがな。
二十七年の間の筆先を能く調べて下されたら、
何一言も申す事は無いぞよ。」

 

大本用語で変性男子とは出口なお開祖様、

変性女子とは出口王仁三郎聖師様の事です。

 

日本の本来の王族は母系継承だったようです。

大本教団は、そういう本来の王族の有り様を反映しています。

 

けれども、有栖川宮の血を引く聖師様が婿入りし

その血筋こそが正統と言い出すものが現れた。

男系カルトを反映している、という事になるでしょう。

 

もちろん、混血しているわけですし、親類縁者の中に優れた人がいれば、そういう人が転生して来る事もあるでしょう。また、そもそも侵略者よりも侵略された側の方が魂は残りやすい可能性が高いのではないでしょうか?

 

白人が悪い悪いと言うけれど、実際のアメリカ人の大半はフレンドリーで親日だと、少なくとも日本にいる限りは感じます。今はアメリカでも韓流ごり押しが酷くて、それで反感を持つ人も多いそうなので、聖師様のようにモンゴル顔だと嫌われる可能性もなくはありませんが。大谷翔平くんのようにテュルク系の混血だとハンサムと言われるようです。欧米人もテュルク系のフン族と混血してますからね。里田まいちゃんのようにパッチリ二重まぶたの美人だと、「田中将大投手の信じられないほど美しい妻」と絶賛されるようです。

 

現在、アメリカでネイティヴ・アメリカン(いわゆるインディアン)の血筋は絶滅寸前かも知れませんが、では殺された先住者たちは、魂まで消滅するでしょうか?そうした人が同じA型やO型の「白人」に転生する事は、大いにあり得ると思います。

北海道のアイヌも同様です。北海道民の大半は移民の子孫ですが、アイヌもいるだろうし、そうした先祖・親類などが「憑依」というか、「神がかり」する事だってあるでしょう。

 

聖師様についても同様です。お顔はモンゴル系であっても、

魂は日本人かも知れない・・・けれど、肉体上の先祖に

憑依されやすいという側面はあるかも知れません。

 

聖師様が出口なお開祖様の後継者である

出口すみ様に婿入りする前の名は

「上田喜三郎」でした。

大神様は、「鬼三郎」と字を変えるように命じられた

ようですが、聖師様は鬼の字を嫌がり、

出口王仁三郎」と改名した、という経緯があります。

 

大本神諭 明治33年(1900年)閏(うるう)8月1日

上田(上田喜三郎)改心が出来るのについては、純(すみ)の改心出来るなれど、上田が艮(うしとら)の金神がこれで良いと申すようになったら、の改心が出来るぞよ。」

*澄(すみ)という字をあてる事が多いですが、ここでは純となっています。

 

大本神諭 明治33年旧正月7日

「それについてはこの大本に据わろうと思うと、今から出て歩く様な事では先になったら、、、。
出口に言わすと出口が肉体で申すように、上田も思って居るが、出口の申す事を少し聞いておかんと、足立殿の様になると可哀想だから、神から出口に氣を付けさすのであるぞよ。
上田は大本にじっとしているのが行(ぎょう)じゃぞよ。
何なりとこの神の取り次ぎを致すのは、修行なしには御用は聞けんぞよ。
し放題に致して居ってはこの神の御用はつらいぞよ。
上田殿は今まではし放題にさしてありたぞよ。
これからは少し窮屈になるぞよ。」

 

「上田殿」も後に婿入りで出口姓となりますが

ここでの「出口」は開祖の出口なお様を指しています。

このような神諭を公開なさっておられる聖師様が、はたして御自身を本物の変性女子と思っていらしたかどうか・・・これも断言はできないのではないかと思います。

 

なお、伊都能売神諭は王仁三郎聖師様を「化かしたり、
化けさして」「大化物」とする箇所は神諭かと存じますが
霊界物語的な部分は、
聖師様が御自身の意見を書いていらっしゃるだけで
実は神諭ではない可能性を感じております。


天理教のおふでさきにしても、大本神諭にしても、
悪政を批判するような調子が多いのですが、
伊都能売神諭」には、権威は絶対かのように説かれている箇所も
あります。大本神諭とは真逆の思想です。

 

そういう箇所を真に受けていた場合は、
中矢氏のように神示を誤解なされる事にもつながるかも知れません。
岡本天明先生が大神様からお叱りを受けるに
至った原因もそこにありそうです。

 

ひふみ神示 第二十四巻「黄金(こがね)の巻」
第二十九帖(五四〇)
「心して怪しと思ふことは、たとへ神の言葉と申しても一応は考へよ
神の言葉でも裏表の見境なく唯に信じてはならん。
サニワせよ。薬、毒となることあると申してあらうが。
馬鹿正直、まことの道 見失ふことあると申してあらうが。
道は易し、楽し。楽しないのは道ではないぞ、奉仕ではないぞ。」

 

大正八年八月一二日の伊都能売神
「大本の○○は余り正直で、
心が固いから、
千変万化の弥勒の活動が判らぬから、
表面斗りを見て、
神界の実地が判らぬので、
弥勒の神の有難迷惑」
とあるのは、他ならぬ出口聖師様御自身も
大神様から言われていた事なのかも知れない
わたくしは感じております。
父が同様の事をするためそう感じるのかも知れません。

 

*長くなったので分割しました。

( 後編 )

https://cyrus2.hatenablog.jp/entry/2023/08/13/100930