超革新ひふみ神示

超革新ひふみ神示

ひふみ神示は、金をかけて先入観を植え付けようとする勢力を称賛などしてません。 「神で食うて行くことならん」ともあります。 虚心坦懐に読んでみてください。

超革新ひふみ神示 6~10章

<  6  >「てんしさま」とは?

原書(カナ文字・絵文字中心で漢字は基本的に漢数字だけ)でどう書かれているのかは知りませんが、「天子様」なのか「天使様」なのかすら、正確には断定できない所で、勝手に「天皇」などとルビをふる方もいらっしゃるのは驚きです。

コスモ・テン出版から出ている「ひふみ神示」全文には、そのようなルビが無いのはもちろん、「てん詞様」という当て字もされています。これはこれでやりすぎでしょうけれど、案外そういう当て字の方が真をついているかも知れません。当て字されたのは、岡本天明先生の後妻の三典先生かと思います。

「てん詞様とは天千様のことぞと申してあろがな、この方シチニの神と現はれるぞと申してあろがな、天二(てんぷ)様のことざぞ。」

つまり・・・国常立大神様ないし御子神のスサノヲの大神様は、ヤーウェ神、アッラー神などと同一神であり、地球の天地創造神である事を表していると思います。大本教霊界物語風に言えば、国祖という事。天地創造の際の姿が黄金の神龍だったともいう。

 天父(てんぷ)はヤーウェ大神様、天子(てんし)はキリスト様というように分ける場合もあろうかと思いますが、「三位一体」という見方もあります。

 ひふみ神示においても、国常立大神様とスサノヲ大神様の区別は、ほとんどないような感じです。天地創造の場面における黄金の神龍(国常立大神様)が伏羲的な意味でのイザナギ大神様、白銀の神龍(豊雲野大神様)は女媧的な意味でのイザナミ大神様、と考えられます。(「イサナは古語で鯨の事」とか「四国の神社で御祀りされている事が多い」などは、この場合あまり関係ないかと思います。)

 

<  7  > シュメール神話

シュメール神話において最初の女性はニンティー女神。

ニンには女性という意味があり、ティーには助骨、生命、癒すなどの意味もあり、ティ+ティで乳房を、ティ+アマットで海を意味するそうです。

このため、ヘブライ語聖書を書いた人がシュメール神話を知っていたとしたら、「全ての生命の母」と訳すべき所を誤って「助骨」などと訳した可能性も考えられるわけです。

 シュメール神話は女神が第一の神だそうです。

 また、ギリシャ神話の冥界降りの原型もシュメール神話に既にあるのです。

イナンナ女神の冥界降り神話です。冥界降り神話と言えば、ギリシャデーメーテール女神、オルペウスなどが知られていますが、原形がシュメールにあった事はあまり知られていません。イザナギの冥界降り神話も、必ずしもギリシャとは関係なく、単純にシュメールからインド、揚子江などを経て来ているのかも知れません。

 イナンナという神名はニン+アンナで、天の女主人という意味と考えられています。

 このイナンナ女神がアッカドバビロニアの母体となった国)ではイシュタル女神として信仰されるようになるのですが、様々な神の特性を取り込んで金星・愛欲・戦争を司る女神とされるようになったそうです。アッシリアではあごヒゲをはやした姿で表現され、ヒッタイトでは法律と戦争を司り男神同様の扱いを受けたとか。もう、その土地土地の事情次第で、何でもありです。

 これがユダヤ教などから誤解を生む原因となったようです。

 バビロンのイシュタルの神殿などでは、神殿売春の風習があったと考えられています。メソポタミアのそうした風習に最初にふれているのはギリシャヘロドトスだそうです。多くの神話で愛と美を司る女神が性に奔放と性格づけられるようになったのにも、そうした背景がありそうです。「バビロンの大淫婦」と罵られるようになったのは、アッカド系の蛮賊の風習と関係があるわけで、女神の本来の性質とは関係ない、濡れ衣のようなものです。

 もともとは豊穣の女神だったようです。イシュタルを示す楔形文字が豊穣を示すアシの束だったので、そう考えられています。

 なお、メソポタミアでは豊穣を願う儀式の中で、国王がイシュタルの夫役を演じる聖婚儀礼が行われたそうです。日本の大嘗祭などにも、その影響が残っていると思います。

 古代の人々は、冬になると植物が枯れ動物たちが冬眠する事実を女神の冥界降りと結びつけ、女神が冥界から帰還する事でまた繁殖や作物の豊穣につながるとして祭祀を行っていたようです。クリスマスも、元々はそうした冬至の祭典でした。ナザレのイエス=キリスト様の生誕日は、聖書の星の記述などから逆算すると4月と考えられていたかと思います。

 

<  8  > 豊穣の女神への不敬ないし呪い

豊穣神と関係する神話には女神の死体から様々な作物や神々が生まれたという

「死体化生神話」(ハイヌウェレ型神話)というものもあります。

オオゲツヒメの頭から蚕が生まれ、目から稲が生まれ、耳から粟が生まれ、鼻から小豆が生まれ、陰部から麦が生まれ、尻から大豆が生まれた」とか、「イザナミの嘔吐から金山ひこ神、金山ひめ神、糞からハニヤスひこ神、ハニヤスひめ神、尿からミズハノメの神、ワクムスビの神が生まれた」などなど。

 縄文時代土偶なども、そうした豊穣神話に基づいて、砕いてバラバラに埋めたりしていたようです。なお、土偶は妊婦の身体と植物の種子などをモデルにしているようです。

ところが、です。ショッキングな話をしますが・・・メラネシアでは、成人の儀式で女性を輪姦して殺してバラバラにして埋めるなどという事を実際にやっていたらしいのです。そもそもメラネシアでは死体化生神話の内容も残酷だそうです。隣のポリネシアだと、そこまで残酷ではないそうです。メラネシアにはダニ族のような食人種もいます。

 日本はポリネシアの系統を継いでいます。母音が中心というのも、「神々」「山々」のような重ねる言い方をするのも、ポリネシアの特徴だそうです。詳しくは大野晋先生の「日本語はいかにして成立したか」を参照していただければと思います。

https://ameblo.jp/cyrus2/entry-11930308936.html

 

「手足の爪まで抜きとられ、あるにあられん、むごいことにされて追ひやられたのであるが、マコトはマコトぢゃ、時めぐりきて、我(が)がとれたので、光がさしそめたのぢゃ、岩戸がひらけたのぢゃ。神が苦しむ時は人民が苦しみ、人民苦しむ時は神も苦しむのぞ。」

「落ちてゐた神々様、元へお帰りなさらねば この世は治まらんのであるぞ。」

「曲って世界を見るから、大取違ふから曲った世界つくり出して、自分で苦しむのぢゃ。其処に幽界出来るのぢゃ。有りてなき世界、有ってならん。」

「迷信であってもそれを信ずる人が多くなれば、信ずる想念によって実体化し、有力な幽界の一部をつくり出すことがあるから気付けておくぞ。無き筈(はず)のものを生み出し それが又地上界に反影してくるのであるから心して下されよ。」

「地獄地獄の言葉、やめて下されよ。言葉からモノ生むのぞ。」

「人間の死後、自分の命(イノチ)の最も相応(フサワ)しい状態におかれるのであるそ。悪好きなら悪の、善好きなら善の状態におかれるのであるぞ。皆々、極楽行きぢゃ。極楽にもピンからキリまであるぞ。神の旨に添ふ極楽を天国と云ひ、添はぬ極楽を幽界と申すのぢゃ。」

「皆何も天国に行くやうになってゐるではないか。この世でも天国、あの世でも天国、目出度いなあ。地獄説く宗教は亡びるぞ。地獄と思ふもの、地獄つくって地獄に住むぞ。」

 

<  9  > 大地の神の復活

 余談ですが、インドで「至高の神」というニュアンスを持つ「イシュワラ」という語は、「イシュタル」と同じ語源を持つのではないか、と思ったりもしています。

今はインターネットという便利なものがあり、様々な知識・情報が公開されていますので、それを参照すると「イーシュワラはブラフマン(仏性、神性、奇霊)}+純粋なマーヤー(幻、顕現)=限りがない」とする解説や、「統治する者、権力者、神、宇宙の現象の全て」とする解説などを見る事もできます。またマヘーシュヴァラ(マハー・イーシュヴァラ)には「偉大なる主宰神」という意味があるそうです。「仏教」ではマヘーシュヴァラを大自在天という形に変えて取り込んでいるようですが。

 

なお、検索すると「イーシュワラ」表記が多いものの

インドの神歌・讃歌をYouTubeなどで聞いてみると

「アートマ」などのように必ず伸ばすわけではなく

「イシュワラ」「イシュワル」などの発音もあります。

 

例:Satyam Shivam Sundaram(真神美)
http://www.youtube.com/watch?v=MClteDdwtvM

サンスクリット語ヒンディー語、ドラヴィダ諸語などは

私も一部かじった程度でしかないので全訳はできませんが

「至高の神(イーシュワール) シヴァよ

真実(サッテャ)こそが至高の神(イシュワルー)」

のようなニュアンスかなと感じています。

 

 ひふみ神示において、スサノヲの大神様の属性として語られる「天ヶ下、大国土を守り育て給う神」は、そのままイナンナ女神、イシュタル女神の本来の性質ではないかと思われると同時に、最初の神、国祖という意味合いも伴っていそうです。

 イシュタル神は「明けの明星としては男神、宵の明星としては女神であったが、最終的に1つの女神として習合された」そうです。

 奇しくも、スサノヲの大神様は神社において「不動明王の瀧」の御祀神とされる事も多いですが、元は水神・瀬織津姫様を御祀りしていたのでは?と思われる場合も多くあります。

 元々は最高神は女性だったのに、戦争で男性が権力を握るようになり、アッカドがシュメールを侵略してバビロニアを建国するといった歴史の過程の中で、女神が男神に変化していった可能性も疑われます。

 

ひふみ神示 第八巻「一八十(磐戸)の巻」

第一帖(二三七)

「ウズメとは女(おみな)のみでないぞ、男(おのこ)もウズメざぞ、女のタマは男、男のタマは女と申してあろがな。」

 

神示は世界の古代からの話を前提としています。

全てご存じの上での神示でしょう。

ただ人間側の知識が追いつけるようになるのを待っておられただけで。

国常立大神様は地球そのものですから、日本だけを構われるわけではないのです。ただ、天地創造の時の龍体と、日本列島の姿が似ているという話です。

 

「国常立神も素盞鳴命も大国主命も、総て地にゆかりのある神々は皆、九と十の世界に居られて時の来るのをおまちになってゐたのであるぞ、地は智の神が治(し)らすのぞと知らしてあろうが、天運 正にめぐり来て、千引の岩戸はひらかれて、これら地にゆかりのある大神達が現れなされたのであるぞ、これが岩戸ひらきの真相であり、誠を知る鍵であるぞ。」

「スサナルの大神様この世の大神様ぞと申してあらうがな。
間違ひの神々様、この世の罪けがれを、この神様にきせて、
無理やりに北に押込めなされたのざぞ。」

 

〇九十(マコト)の世界とは沖縄、東北、北海道かも知れないな、と思っています。

母系に遺伝するミトコンドリアDNAでいうと、

ハプログループM7aやN9は中央よりも 東北・西南に多いのです。

 

「ここに伊耶那美命 息吹き給ひて千引岩(ちびきいわ)を黄泉比良坂に引き塞(そ)へて、その石なかにして合ひ向ひ立たして つつしみ申し給ひつらく、うつくしき吾が那勢命(なせのみこと)、時廻り来る時あれば、この千引の磐戸、共にあけなんと宣り給へり、ここに伊耶那岐命しかよけむと宣り給ひき。」

 

都母(つぼ)の碑(いしぶみ)と呼ばれる「日本中央(ひのもとのまなか)」の碑も

千曳岩と呼ばれています。多賀城にも志引石と呼ばれる磐座と壺の碑と呼ばれるものがありますが。なぜ東北に?という話はまた後ほど。

 

「今の臣民に判る様に申すならば御三体の大神様とは、

天之御中主神様(あめのみなかぬしのかみさま)、
高皇産霊神様(たかみむすびのかみさま)、
神皇産霊神様(かみむすびのかみさま)、

 

伊耶那岐神様(いざなぎのかみさま)、
伊耶那美神様(いざなみのかみさま)、
つきさかきむかつひめの神様

で御座るぞ。」

 

シュメールにおける数と神々の対応
60:天父神アン
50:天地の子・風神エンリル
40:地母神

30:月神ナンナル
20:日神ウツ
15:金星女神イナンナ

*ちなみに日月神示は「キの神示」です。

 

天地の子・風神エンリルに相当するのは建速(風速)スサノヲの大神様と言えるかと思います。

天父神アンは天御中主大神様、

地母神キは国常立大神様。

同時に、イナンナの語源がニン+アンナ(天の女主人)ならば、天父神アンもまた本来は女神イナンナから派生したのではないか、という疑惑もわいてきます。

大本営発表を妄信せず、吟味検証する精神を持っているなら。

 

また、スサノヲの大神様と混同され習合している「牛頭天王」は、元はバビロニアにおける天父神アン信仰だったのではないかとも思われます。アッカドのナラム・シンなども牛頭兜を着用した像が残っています。天父神アン信仰に権威があったのでしょう。それを利用する事で、アッカド風の戦争のシンボルみたいに変質させてしまっているのではないかと。こうなると元は女神だったとしても男神になってしまう。

 

神社伝承においては、スサノヲの大神様の御子が天照国照彦(あまてるくにてるひこ)天日明(あめのほあかり)櫛玉(くしたま)ニギハヤヒ大神様、またの名を大歳(おおとし)大神。

その御子が御年(みとし)神・瀬織津姫様で、その母神が白山ククリ媛大神様のようです。

そして瀬織津姫様の配偶神が八幡神ですが、水辺の八幡宮は、元の主祀神は水神だったと考えられます。菊池展明氏のご著書などから考察しますと。

ひふみ神示の黄金(こがね)の巻第四十四帖で「みとし」に「御稲」という字をあててあります。

 

シュメールの場合もそうですが

肉体を持って実在した人と

神霊体の神様が習合しているようです。

 

白山中居神社には

千引岩と呼ばれる磐境(磐座)がありますが

御祀神は菊理媛神伊弉諾尊伊弉冉尊

となっています。

菊理媛神=白山比咩神=白山権現

 

撞賢木(つきさかき)厳之御魂(いづのみたま)

天疎(あまさかる)向津媛(むかつひめ)の神様とは

天照大神様のアラ身魂、とされる神様です。

またの名を瀬織津姫。水神。厳は伊豆とも書く。

アラには荒でなく現という字を当てるべきかと思います。

 

「いよいよとなってマコトの

天照大神、天照皇大神、日の大神、

揃ふてお出まし近うなって来たぞ。」

 

八幡神も本来は応神天皇ではなく

日女神=大日霊女貴(おおひるめむち)

が主だった可能性あり。

 

<  10  > 聖母子信仰

ローマ帝国ネストリウス派が異端とされ、国外へ逃れて中国に景教として伝わった

というくらいの事は中学・高校の世界史で教わると思いますが、アタナシウス派

何がどう違うのか?詳しくは知らなかったので調べてみて驚きました。

 

ネストリウス派では、イエス様の母マリアをもちろん尊敬はしているけれど

あくまで人間と見ていてたという。いたって当然の事と思えます。

 

ニケーア公会議で正当とされたアタナシウス派などは

母マリアをも「神・御子・聖霊」と同様に神聖な、

人を超えた存在と考えていたようです。

 

言葉のあやのようでもありますが

「至高の神と同等の神格」として特別視するという事になります。

 

本当の事を言えば、万人の心の奥に良心=アートマン=ブラフマンが存在するというのが私の解釈です。

 

ここで霊体・幽体などについて、私なりの見解を説明させていただきます。

 

幽体離脱」という言葉は、テレビでも放送される事があるので、聞いたことがある人は多いでしょうね。

ドラマや映画では、半透明で描かれるけれど、実際は、霊能者でないと見えない事も多い。けれど、一般的に見えない体の中では一番波動が物質に近く、粗い、らしい。

これを神道では「ニギみたま(和魂、和霊)」と呼び

英語ではSoul(ソウル、魂)と呼んでいるかと思います。

 

さらに繊細な波動で、幽体より内奥に存在するのが神霊体。

神道では「サチみたま(幸魂・幸霊)」、

英語ではSpirit(スピリット、精神)と呼んでるかと思います。

 

肉体・魂(幽体)・神霊体のさらに内奥の微妙な波動の存在が「クシみたま(奇魂・奇霊」ですが、これはいわゆる良心(conscience)とか、インド哲学アートマンと呼ばれる存在と考えます。

 

ですから「我は汝の幸魂奇魂なり」とは

「我はそなたの神霊体である」という意味になるかと。

クシみたま(アートマン)まで行けば皆一つかも知れないので。

 

いや・・・肉体・幽体・神霊体の次が

すぐアートマンというのはかなり簡略化した話かも。

「あの世では、そなた達の心を肉体としての人がゐるのであるぞ。それがカミと申してゐるものぞ。あの世の人をこの世から見ると神であるが、その上から見ると人であるぞ。あの世の上の世では神の心を肉体として神がゐますのであって限りないのであるぞ。」

 

もちろん、魂の清らかさによって聖性の現れる度合いが人によって違う。イエス=キリスト様が一般と比べて飛びぬけているのは間違いないと思います。お釈迦様だってそうですよね。

 

そこでローマ帝国のような軍事力を持つ権力が、イエス=キリスト様だけを特別として

至高の神と一体化した存在として権威づけ、他の人間は同じ次元には行けないかのように主張し差別する・・・そんな構造を感じます。

一種の「王権神授説」です。

その少し前には、ローマ皇帝をミトラス神と

同一視したりしていたようですから。

 

むしろ王権神授説を補強するために、ミトラス教、キリスト教などの勢力の強かった教派や、古くからのイシス信仰なども取り込んでいったようです。

 

現生人類ホモ・サピエンスはアフリカから出発して

世界各地に移動したと考えられています。

 

アフリカには、それより古い猿人もいて

最古の人類と考えられて来たのがアウストラロピテクスの女性で

「ルーシー」と名付けられました。

現在では、もっと古い猿人の化石が最古の人類とされているそうですが。

ともかく、ケニアエチオピアなど、エジプトより南にナイル川をさかのぼった

所に、人類の起源があると考えられています。

ただエジプトより前の話は「旧約聖書」に出てこないので、どうしてもエジプトとか

シュメールからの話になりがちなのでしょう。

もちろん「エデンの園」はアフリカと考える方もいらっしゃるものの、証明は難しい。

 

「エジプト以前」は興味深い世界です。

世界を知りたい人は是非、木村愛二氏の「古代アフリカ・エジプト史への疑惑」を

読んでみてください。私は他にアフリカ研究を知りません。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/afric-43.html

特にソロモン王とカナーン人について考察した第5章2「タルシシの船隊」は人類の知性の白眉と言っても過言ではないかと。

悟っている聖者などを別にしてかも知れないけれど。

公正な姿勢で真摯な検証をした人物の、優れた業績と言えるかと思います。

 

これは全く何の証明にもならない話かも

知れませんが、父が一時期、神々から御指導を

いたただいていた際に、最初の人類は女性

と教わったそうです。男尊女卑的な父が

そういう事を自分の発想から引き出す事は

なかろうと思います。

 

聖母マリア信仰の原型は、おそらくはエジプトのイシス信仰や

それ以前までさかのぼるものと考えられます。

 

厳密に言えば、本来キリスト教ではないものが「キリスト教」と呼ばれているのではないかと思います。

それはそれでよいのかも知れませんが、

何もおかしくないのに異端とされたネストリウス派が不憫でもあります。

 

聖母のイメージの元にもなった

「母性の象徴」としてのイシス

https://bymn.xsrv.jp/nekomegami/basted/isis.html

なんとアナタシウス派は・・「イシス、神の偉大な母」

と書いてしまってますね!!

 

インターネットで、

「ホルスを抱く イシス」で検索すると

こういう画像がたくさん出てきます。

http://stat.ameba.jp/user_images/20131222/06/cyrus2/2b/70/j/o0343064012788092285.jpg

キリストと聖母

ミケランジェロの「ピエタ」(キリスト様の遺骸を抱くマリア像)も

「ホルスを抱くイシス」を意識してるのではなかろうかと思います。

 

そして・・・これだけでは終わらないんですね。

 

日本にも聖母子信仰があったと推測できるのです。

 

日本語で「ひめ」と言えば姫、媛、比咩、

「ひこ」と言えば彦、日子などの字が

あてられていますが、比咩などは

ほとんど意味のない音写。日女とか

霊女などが正しい当て字と思われます。

初期の神々については。

 

漢字1字をあてるようになってからは

姫は天つ神系、媛は国つ神系に

あてられるようになったようです。

天つ神は中国の姫氏(本当は少し字が違うけど)

と関係してるためかも知れませんし

本来は臣下なのだと思う方が書いたのかも知れない。

 

人皇以降の世代については

単なる女性の美称くらいの感じと

見てもよいと思いますが。

 

大(おほ)日霊女(ひるめ)貴(むち)が

日本における聖母子信仰の原型をとどめている

と考えられます。

 

「日子、八幡神」は御子で、

「日女神」が主なんですよね。

 

三品彰英論文集の第3巻「神話と文化史」によると

始祖神話を大きく卵生型、箱舟型(うつぼ舟型)、獣祖型、感精型の四種に分ける

事ができるそうですが、始祖は、とくに感精型において、太陽の子であることが多いそうです。

うつぼ舟=太陽の舟型の神話は南方系日神信仰、

日光感精型の神話は北方系日神信仰だそうです。

大隅正八幡の大比留女(オオヒルメ)伝承は日光感精型と箱舟型の複合型だそうです。

谷川健一氏『古代史ノオト』の「ヒルメとアマテラス」では

日光感精説話と母子神信仰の複合形態と表現されているそうです。

これは「伏姫屋敷」というインターネット上のサイトからの受け売りでして、

古書の類に入る参考文献全てを収集などはできておりません。申し訳ない。

 

「日ユ同祖論」では、何でも秦氏に結び付けるようですが

複合型となると、そう簡単には行きませんね。

秦氏は秦の始皇帝の子孫という方もいますが

日本に秦王国があると書かれてるのは隋書。

ずっと後の時代になります。

そして、中国ではローマ帝国を大秦国と呼びますが

必ずしも始皇帝の秦国と関係してるわけではない。

夏・殷・周王朝の支配地域から見て方角が同じという程度。

始皇帝をアレクサンダー帝国のバクトリア太守と

同一視する説があったりはしますが。

大宛(フェルガナ)は宛と関係するわけでもない。

だいたい西の方の異民族は胡人と呼ぶなど

結構、大雑把なんですよね。

だから景教ネストリウス派キリスト教)の寺院を

大秦寺とか呼んだのはローマ帝国から来たから

に過ぎず、秦氏太秦とは関係ないのでは?

秦酒公が「うづまさ」号をもらったのは

だいたい西暦500年前後30年の間と考えられる

のに対し、ネストリウス派

阿羅本が中国に来たのは635年という。

「うずまさ」に「太秦」という字をあてる

ようになったのは、それより後かも

知れませんが、関係ないこじつけかなと。

 

それにネストリウス派

「マリアを聖母として崇拝」とは

違うわけですから、何でも

秦氏と結びつけるのは強引すぎるかと。

 

キリスト教」にしろ「神道」にしろ

解明されたら困る権力者がいるかも知れません。

人類共通の部分にさかのぼったり

本当の系統を分類されたりすると

自分の権威づけに「神」を悪用したい者は

困るかも知れない。けれど、

世界の恒久平和を願うなら

真実を直視しなければならない

かも知れない。そういう話でした。

 

そして・・・こういう事まで全て分かってないと

ひふみ神示を完全に理解はできないと思われます。

自称・日月神示の続編の日月地神示などには

そんな部分は全くありませんが。

 

日月神示 第十一巻「松の巻」

第六帖 (二九七)
「この神示わからんうちから、わかりておらんと、

分りてから、分りたのでは、人並ざぞ。」

超革新ひふみ神示 もくじ

https://cyrus2.hatenablog.jp/entry/2023/07/16/220718