超革新ひふみ神示

超革新ひふみ神示

ひふみ神示は、金をかけて先入観を植え付けようとする勢力を称賛などしてません。 「神で食うて行くことならん」ともあります。 虚心坦懐に読んでみてください。

古代史の復元1 素盞嗚尊の建国

古代史の復元」というサイトの紹介です。

https://mb1527.thick.jp/index.htm

いつ消えるか分からないので保存しておくべきかと。

 既にリンク切れになっている地図などもあり。

 

見どころは真の建国者である素盞嗚尊饒速日の時代。

特に方形周溝墓や四隅突出型墳丘墓の時代の

鉄器や青銅器、土器の変遷から文化圏の推移を

分析するくだりは秀逸。

 

記紀では語られないスサノヲ大神様と

ニギハヤヒ大神様の建国談が

神社伝承には残っていて、

考古学的な事実と照合できるのです。

 

「古代史の復元」の特徴は

飛騨伝承、先代旧事本紀ホツマツタヱなどを

参考にしながらも、「竹内文書」絶対主義などに

はしる事なく、後半は古事記日本書紀を中心に

している事。これは、かなり特異なスタイル。

 

ニギハヤヒ朝ヒノモト唐古・鍵遺跡入りと

奈良三輪山祭祀のはじまりを大和朝廷の開始と位置づけ

通説よりかなり早く見積もっているのも大きな特徴。

(それは邪馬台国ではなく東鯷国かとは思いますが。)

しかし終盤史書文献の比較などが増え、

考古学的な遺物などの検証は無くなる。

 

案外・・「古代史の復元」を書いてるような方が

記紀編者の生まれ変わりなのかも知れない。

 

記紀の修正版としては、「古代史の復元」は

よく出来たストーリーだと思う。人皇時代以降は

記紀編者には勘違いなどはあっても

真実を隠して体制に都合のよい話にしようという気はない」

という前提での憶測・つじつま合わせに終始しているのもあり

証明・真実・決定版とは言えないけれど。

 

縄文文明を尊重しつつも、弥生以降の記述は常に

「大陸からの最新技術がないと駄目なはず」という

思い込みの元で書かれているけれど

朝鮮びいきの方の文章としては棘がなく

全方位から受け入れられやすい話となっているかもしれない。

 

百済本紀、新羅本紀などを読んだ事がない人にとって

優れた入門書となるかも知れない。

在日朝鮮人がどんな世界観を持っているのか

今まで以上に分かるようになって来た。

例えば「平成」という元号

高句麗王の諡号から取っているのかも知れない。

 

また、考古学の知識が盛り込まれていて、

他で見ないような貴重な情報も多く

大真面目に努力してはいらっしゃるのもあり

軽視すべきではない、馬鹿にできない。

 

敬意を持って接しているけれど

同じ情報が複数箇所に重複して書かれたりも

していて、そのまま他の人にお勧めはできない。

 

どうやら著者さんはお亡くなりになられたか、ここ数年の

肺炎ではなくアレでアルツハイマー認知症などになられたか

更新は止まっているので、重要な情報がある箇所などを

ピックアップしておき、読まれやすくしたい。

 

第三章がメインで、

第一章第二章あらすじや、前提となる考え方の解説

 

第一章

第二節 一年2歳論

https://mb1527.thick.jp/n1-02-2nendaisuitei.html

 半年一年暦から中国暦へ

https://mb1527.thick.jp/N1-02-1nendaisuitei.html

 半年一年暦の干支

https://mb1527.thick.jp/N2-03hantosireki.html

 第四節 復元古代史のあらすじ

神社伝承を基にした復元古代史

https://mb1527.thick.jp/N1-04jinjadenshou.htm

あらすじをさらに簡単に言えば、

シュメール系渡来人から『平和な文明社会を

アッカドファシスト蛮賊に暴力で乗っ取られた』

を聞いた飛騨の縄文人は、戦争にならない内に

列島を統一する必要性を感じる。スサノヲ倭国が西を、

ニギハヤヒ朝ヒノモトが東日本を統一した上で

倭国と日本を合併させ列島統一を完成させる案を遂行。

戦争でなく技術の伝達によって加盟地域を増やした。」

というのが序盤の大筋です。

 

朝鮮半島の情勢

https://mb1527.thick.jp/N1-03-1chousen.html

楽浪郡帯方郡などの位置

https://mb1527.thick.jp/N1-03-2kakukoku.html

メソポタミア文明の発祥過程

https://mb1527.thick.jp/mesopotamia.html

 

第二章    国家統一方法

第一節 日本史の疑問点

https://mb1527.thick.jp/N2-01kokkatouitusuruniha.htm

第二節 平和統一

https://mb1527.thick.jp/N2-02touituhouhou.htm

古代史の復元における縄文王朝に対する対応の変化(つぶやき)

https://mb1527.thick.jp/joumonouchou.html

 

第三章    各種資料との照合

ノーカット版へのリンク

https://cyrus2.hatenablog.jp/entry/2024/01/25/003318

約20節ずつの11巻に分割し番号をふってみました。

 

10 ウガヤ王朝の正体

https://mb1527.thick.jp/ugayachou.html

 御物石器(全国で142点中、飛騨で73点
 御物石冠(全国で540点中、飛騨で300点

秦代以前にも72人の皇帝が泰山に登り、封禅の儀を行っている。

一般には始皇帝だけが知られているが。

 

11 飛騨王朝の功績

https://mb1527.thick.jp/hidakouseki.html

唐津の菜畑遺跡。大量の杭を尖らせてある。

つまり当初から農業に鉄器を使っている可能性大。

鉄器は日本の気候・土壌ではサビやすいが、

無かったと断定する方がおかしい。

 

13 遠賀川式土器の登場

https://mb1527.thick.jp/suiden.html

遠賀川とは北部九州の川で、アフリカで言えばナイルに相当。

中部・北陸・関東までは遠賀川式土器

中部などで作られた模造品が混在。

東北は模造(遠賀川系土器と呼んで区別する)のみ。

 

17 秦徐福上陸

https://mb1527.thick.jp/N3-01-2jofuku.html

有明海の炭化米徐福の古里の炭化米とよく似た長粒米

広隆寺の仏像は新羅赤松

 

30 素盞嗚尊朝鮮半島統一

https://mb1527.thick.jp/N3-03-2singijutu.html

金官伽耶首露王兄・伊珍阿豉王伽耶の始祖。

 

※ 一般的な資料集ではこの辺がごちゃ混ぜ表記されてますが

ごく稀に、伽倻諸国をきちんと別々の国とする地図があります。

https://artne.jp/column/1797

「丸みを帯びた金官加耶

 直線的な大加耶

 ほっそりとした小加耶

独特の火焔(かえん)状の透孔(すかしあな)

を持つ阿羅加耶など、地域別に明確な特徴がある。

各地の「窯元」ごとに伝わる流儀があったのかもしれない。

土器のスタイルが似通った新羅とは対照的だ。」

 

消されない内に保存しておきましょう。

どうも大本営はウヤムヤにしたいようですから。

 

倭国は大伽耶への影響力が強かったというか

領土にしていたようですが、伽耶諸国の盟主

とされた金官伽耶首露王を大伽耶の王のように書く

方もいて、情報が錯綜しすぎ。金官伽耶は地理的に

新羅に近く、占領されている。新羅の卵生神話は元は

南方のものなので伽倻に伝わったかも知れません。

 

*正直に言えば当初、推理は眠くなると感じていたのですが
 32~40節は遺跡・遺物からの考察が非常に興味深い

 

AD5年頃

32 山陽地方の統一

https://mb1527.thick.jp/N3-03-3setoutitouitu.html

新技術を用いて瀬戸内海沿岸地方を統一。

この連合国を「倭国」と命名

槍鉋(かんな)が瀬戸内型に。

 

33 北九州統一

素盞嗚尊中広銅矛をシンボルとして周辺諸国から統一した

https://mb1527.thick.jp/N3-04kitakyuushuutouitu.htm

宗像地方は北九州の中でも早くから、瀬戸内系の勢力圏。

糸島を除く北九州一帯から王墓が消滅。

祭祀系土器が多いが副葬品は少ない。

※ 「古代史の復元」はふれてませんが瀬戸内勢力と

 北部九州勢力で宗像・沖ノ島厳島を交換したのが

 素盞嗚神様と天照大御神様のウケイではないかという説も。

 

 瀬戸内勢力(出雲倭国)にとっては半島行きのルートを、

 ニギハヤヒ朝にとっては瀬戸内ルートを確保する意味がある。

 九州勢力は東寄りの宗像を使わなくても壱岐対馬を使える。

 土笛の分布は宗像・下関・出雲・丹後など。宗像は山陰圏。

 

34 豊国統一    素盞嗚尊は宇佐に拠点を作る

https://mb1527.thick.jp/N3-04usa.html

弥生時代中期末に宇佐地方を起点に、考古学的な画期

 

35 狗奴国との交渉 

饒速日尊は狗奴国を倭国に加盟させるために努力

https://mb1527.thick.jp/N3-04kunakoku.html
 熊本県神武天皇を祀る神社が全国一多く
 日向系の神社でありながら、出雲系の神社にいるはずの狛犬が。

 

AD10年頃        
36 南九州統一    素盞嗚尊は南九州を統一し

伊弉諾尊の娘日向津姫と結婚

https://mb1527.thick.jp/N3-05minamikyuushuusinkou.htm


37 四国統一    饒速日尊は伊予・讃岐を

素盞嗚尊は南予・土佐を、ほぼ同時に統一

https://mb1527.thick.jp/N3-05-1sikoku.html

 

AD15年頃

38 紀伊半島統一

素盞嗚尊は伊弉諾尊伊弉冉尊を伴い紀伊国を統一した。

https://mb1527.thick.jp/N3-05-2kiihantoutouitu.html

英彦山石槌山→淡路諭鶴羽山熊野神倉山

 

39 製鉄の重要性

素盞嗚尊は製鉄の重要性を認識した

https://mb1527.thick.jp/N3-05-3tekki.html

 

40 饒速日飛騨国訪問

https://mb1527.thick.jp/N3-06-8hidahoumon.html

 

44 飛騨国との交渉

https://mb1527.thick.jp/hidakoushou.html

 

49 伊邪那美命の死

https://mb1527.thick.jp/N3-06susanoonosi.htm

三次熊野神社の記録 昔はこの周辺一帯を伯伎と呼んだ

 

51 饒速日の河内への降臨

https://mb1527.thick.jp/N3-07tensonkourin.html

ルートは 宇佐 周南 上関 周防大島 松山 今治

 西条 川之江 琴平 高松市 小豆島 家島諸島 姫路 明石 三島鴨

 

52 大和統一

https://mb1527.thick.jp/N3-07hinomoto.html

大和朝廷成立後に畿内系土器が全国に見られるようになるが,

この土器は河内地方の土器。大和盆地の土器ではない。

大和盆地の形式の土器は大和からほとんど外部に出た形跡はない。

 

河内地方と大和では土器は異なるが,祭祀形態はほとんど同じである。

弥生時代後期の遺跡分布で考えれば、圧倒的に河内平野が多い。

大和盆地は中期までは大和川支流に沿って集落遺跡が散逸する状態で、

後期になって増加する傾向がある。その遺跡分布の

中心となっているのが唐古鍵遺跡である。

この遺跡も後期になってから巨大化している。

 

56 河内地方統一

https://mb1527.thick.jp/kawatitouitu.html

大阪湾岸にある代表的な池上・曽根遺跡を調べてみると,

中期までは都市的な色彩を帯びた巨大集落であったが,

中期末(紀元前後)に瀬戸内系土器が出土するようになるとまもなく、

この大規模な集落は 瓦解する。以後は小規模な小集団に分散する傾向がある。

このような変化はこの遺跡だけではなく大阪湾岸 一帯の遺跡で一斉に起こっている。

大阪府高槻市の安満遺跡では,中期末になると,

壺や鉢などの多くの土器に,新形式が出現し,

器形や製作技法に 瀬戸内系の要素が強く認められるようになる。

そして,石器が少なくなり

板状鉄斧や鉄鏃などの鉄器が多く見られる ようになる。

これこそ淡路島で伊弉諾尊が造った鉄器工房

(五斗長垣内遺跡)からもたらされたものであろう。

 


62 少彦名命との出会い
https://mb1527.thick.jp/sukunahikona.html

ヒダとつく地名、豪族は、古代では斐陀、斐太、斐、

飛騨、飛駄、肥田、比多、比田、日田など多くの表記をもつが、

これらに関連する氏族がその多くが飛騨系の

少彦名神を祖神とするか、賀茂一族の系統であるという傾向

# 稗田阿礼もヒタ系の人物ないし象徴ではないかという説あり。

 

66 素盞嗚尊の最期
https://mb1527.thick.jp/N3-06-4susanoonosi.html

四隅突出型墳丘墓は,規模が大きく,複数の埋葬施設があり,副葬品が乏しい

墳丘墓周辺の土が踏み固められていることから,

祭祀は墳丘墓を取り囲むように行われていたことが伺われ,

これは,ピラミッド構造の階級はまだできていなくて,

王以外は平等であったことを意味している。

墳丘墓の被葬者が,信仰上の王すなわち素盞嗚尊祭祀者であることを意味している。

出雲中心域の祭礼は,熊野山(天宮山)で行われるが,

その他の地方ではそのようなものがないので,

四隅突出型墳丘墓を造り,そこで祭礼をしたものと考える。

四隅突出型墳丘墓が四国地方や九州地方まで広がらなかったのは、

素盞嗚尊が広めた青銅器祭祀があったためと考えている。

出雲地方は、統一の出発点であるがゆえに、

素盞嗚尊に対する祭祀がこの時点までなかったのである。

 

68 天日槍命来日

https://mb1527.thick.jp/N3-06-4kunisime.html
新羅本紀には、第四代の脱解王について、次のように記録されている。

「脱解尼師今が即位した。王はこの時、年が六十二歳(修正31歳)であったが、

姓は昔氏で、妃は阿孝夫人である。脱解はもと、多婆那国の生れで、

その国は倭国の東北千里の所にある。・・・」

これに対応するのが丹後一宮の籠神社に「古代にこの地から一人の

日本人が新羅に渡って王様になった。」という伝説が残されている。

 

71 天忍穂耳尊 土佐国開拓

https://mb1527.thick.jp/osihomimitosa.html

高知市以東がヒノモトに所属

銅鐸は高知市以東でしか出土していない。

銅剣・銅矛高知市以東でも見つかっているが出土数は西部より少ない

 

73 東日本統一

https://mb1527.thick.jp/N3-09higasinihon.htm

近畿地方の方形周溝墓の原型と思われる墳墓が中国の東北部で見つかっている。

この頃と言えば、漢武帝が朝鮮を滅ぼした時期(BC108年)とほぼ重なっており」

とあるのですが、方形周溝墓はもっと古くからあるとされています。

 

方形周溝墓弥生中期末(100年頃?)になると、

一挙に関東地方から東北地方南部まで広がっている

出発点近畿の変化:

瀬戸内地方からの土器の流入が増え、そして、

土器に製作技法上の変化が起こっている。

唐古・鍵遺跡のみは今まで以上に巨大化し発展している。

近畿地方に統一政権が誕生し、その中心地(都)が唐古・鍵であり、

その統一政権の指示により、人々の大移動が起こったと見るのが自然である。

おそらく10年ほどの間に東海地方から南東北まで一挙に広まっている。しかも、

現地の人々と戦いがあった形跡もなく、平和裏に行われているようである。

方形周溝墓は祭祀系の墳墓であり、その墓域から祭祀系土器が良く出土し、

副葬品は少ない。これは、力でもって現地の人々を征服したのではなく、

宗教的進入を意味している。

実際、この領域は地域差はあるがこのあと、銅鐸祭祀が広まっているのである。

饒速日尊を祀っていると思われる神社が関東地方では5割を超えている。これは、

物部氏が多数入植してその人たちが始祖である饒速日尊を祀ったものと解釈できる。

伝承上の物部氏の大移動と時期と言い場所と言い完全に重なるのである。

 このように考えれば、大阪湾岸一帯の遺跡が消滅すると同時に、

東日本一帯に一挙に少しづつ形式の違う方形周溝墓が分布するようになる

事実をうまく説明でき、同時に東日本一帯に伝わっている統一伝承も説明できる。

 饒速日尊は紀元40年ごろから55年ごろにかけて、東日本一帯を統一して

ヒノモト国を拡張したのである。

統一完了後、紀元55年ごろ、饒速日尊は大和に帰還した。

 

74 東日本統一と大山祇命饒速日

https://mb1527.thick.jp/nigihayahiooyamagi.html

三島神社で祀られている大山祗命は行動実績を伴っている。

# その他の地では、土着神に大山祗命という名を当てただけの事も多い。

東日本地域の一宮級の神社の祭祀の原点を探ってみると大山祗神であることが多い。

地域の土着神である可能性もあるが、これは一人の同一人物と考えてみる。

 国常立神(玉置神社)

小村神社(高知県高岡郡日高村下分字宮の内)の祭神は国常立神であるが、

この地は高岡郡日下の庄と呼ばれ、日下氏、高丘首が住んでいた。

土佐幽考に「日下氏は神饒速日命の孫比古由支命を祖とし、

高岳首は同祖15世物部麁鹿火大連を祖とするとされ、

その共通の祖神として国常立尊祀った」とある。

 

古代史の復元2 饒速日の統一

https://cyrus2.hatenablog.jp/entry/2024/01/02/000000

 

*ゆっくり追加していく予定ですが

 多分ここまでが一番重要。後になるほど考古学事実から

 「公式の歴史書」に比重が移って行きますから。

 

古代史の復元3 神武と倭日合併

https://cyrus2.hatenablog.jp/entry/2024/01/06/060000

伊都(イツ)国を糸(いと)島、

投馬(トウマ)国を玉(たま)島・玉野と比定するなど

やや怪しい語呂合わせも混じってくるものの、

四隅突出型墳丘墓が方墳に変化するなどの分析が秀逸。

古墳時代は吉備から始まっているという分析。

 

古代史の復元4 倭人天照大神

https://cyrus2.hatenablog.jp/entry/2024/01/09/12300000

 

邪馬台国を奈良三輪山付近としながら

狗奴国を熊本(球磨国と呼ぶが山鹿中心)と比定するなど

九州説の見方も取り入れた独特の説となっている。

 

卑弥呼(ヒミカ様)を倭迹迹日百襲姫と見るため

崇神天皇と同時代とするのは、ありがちな多数派の見解か。

ここからは「定説」寄りになって行くわけですが

 

持統天皇による歴史改竄」は認識していらっしゃる、

というのがまた特異な所かも知れません。その時代までは

書かない内にお亡くなりになられたようですが。

 

古代史の復元5 神功皇后八幡神

https://cyrus2.hatenablog.jp/entry/2024/01/13/060000

 

古代史の復元6 仏教歴史改竄

https://cyrus2.hatenablog.jp/entry/2024/01/16/060000

 

*元のサイトを最初から順番に読もうと思ったら

 脱落する方が多いのではないかと危惧されます。

 第三章は209節(+未完10節)ある上、番号もふられていない

 ので、ここから読みに行く方がよいかなと思います。

 著者さんは重複部分などを削って整理する予定だったのかも

 知れませんが、できないまま他界なされたようです。

 

第四章 まとめ 参考文献

https://mb1527.thick.jp/N4-01matome.htm