超革新ひふみ神示

超革新ひふみ神示

ひふみ神示は、金をかけて先入観を植え付けようとする勢力を称賛などしてません。 「神で食うて行くことならん」ともあります。 虚心坦懐に読んでみてください。

何をもって歴史好きというのか?

こう言うと一般的な「歴史好き」の方が怒るかも知れませんが・・・

 

例えば戦国ファンと言うと

真田幸村が好きで、小早川隆景徳川家康が嫌い

とか、

 

逆に大河ドラマ視聴者層と言えば

徳川家康が好きとか、成功した人物に憧れる

とか、

 

ある程度、年齢や性別などによって差がありつつ

立花宗茂は優れているとか

福島正則は馬鹿とか

ある程度の共通理解はあったりするのかなと思います。

 

何をもって「歴史好き」というのか・・・

おそらくは本人が「歴史好き」と思ってれば

歴史好きなのだ、という事になるのでしょうけれど

 

おそらく、一般的な「歴史好き」には

知られていない話というのもあるんですね。

 

例えば・・・

 

1499年 細川政元が比叡山焼き討ち
1509年~1532年 両細川の乱

 管領細川氏の継承争い。

 復権を狙う将軍・足利氏も絡む複雑な抗争。

1523年 寧波の乱

 勘合貿易利権を巡る細川氏大内氏の争い。

 

こういうのは義務教育や受験勉強には出てこないし

「歴史好き」でも知っている人は少ないのではないか

と思われます。私も数年前まで知りませんでした。

 

比叡山焼き討ちについてWikipediaを読んでいたら

しっかり書いてあった所から、細川の知られていない

話が次々に出てきたのですが、一般的には

信長公が比叡山を焼いたとばかり思ってる方が大半でしょう。

 

 Wikipediaはかなり優れています。

 あれだけ真実をおおやけにできるメディアはそうそう無いでしょう。

 Wikipediaにも工作員による改竄があるとか言う方もいますが

 ツイッター(X)のデマ工作員やシャドウBANや凍結などと

 比べれば全然たいした事ありません。

 

 ついでに言うと、ツイッターは最近、ミュート

 (特定のツイートを表示しないようにする)しようとすると、

 「歴史」などのジャンルごとに消せるようになったのだけれど

 べつに「歴史」ジャンルの全てを消したいわけではない

 んですね。ただ不公正な大本営発表をよしとするようなのが

 嫌なだけで。「おすすめ」が蛮賊などに偏り過ぎ。

 ”YouTuber”などはざっくり全体ミュートでよいのだけれど。

 

そもそも比叡山の僧兵

他の寺を焼いていたりするんですよ。

 

明智光秀が焼いたのは根本中堂だけで

山全体が焼けたりはしてない事が調査で分かっています。

 

1542年 大内氏の富田城襲撃で出雲の熊野大社が全焼

 

松永久秀東大寺を焼いた、などよりも

こちらの方がはるかに大きな事件かも知れません。

 

何故かと言えば、

古文書が消失しているからです。

 

本当の歴史を記録した、貴重な文献があった可能性大。

 

日本書紀などは藤原不比等が都合よく書かせた

歴史捏造書でしかない中で、個々の作業者が

なんとか暗号などを組み込もうとしている程度

と思われるので、元になった氏族文献の方が重要なのです。

 

ちなみに百済系という大内氏の家臣だったのが毛利ですから

百済系の藤原氏と対立した土師氏の子孫を称するには

あまりにも役不足であり、吉川・小早川を背乗りしたのと

同様に、毛利をも背乗りしてるだけではないかと疑われます。

 

なお、毛利八郎は藤原氏西園寺家の養子となって

藤原を継承しています。

 

そして、大内と同盟を結んでいた大友の家臣だったのが

立花ですね。そして、小早川(毛利)と同盟している。

 

東大寺などは、藤原氏の背乗り春日大社の付属物でしかないし、

比叡山だって日枝神社の記録などをたいして持ってるわけでも

なさそうです。大乗仏典などは、せいぜいがナーガルジュナ

(竜樹菩薩)をはじめとするインド諸子百家がお釈迦様の名を

使って世に出したものでしかなく、個人の思想・創作であって、

 

日本にあるのは漢文訳やその写本でしかなく、

貴重な歴史的事実を知れる文献などではないわけです。

 

そもそも日枝神社には出雲の熊野大社ほどの

資料は無かったでしょうし。出雲の熊野大社

皇祖スサノヲ大神様の事績などを保存していた

可能性があり、次元が違います。

 

一応、出雲には「冨家伝承」と呼ばれるものが

伝わってるらしいのですが、これはおそらく

百済系の持統天皇元明天皇に古文書を没収された

後にうろ覚えで書き留めたものを元にしている

可能性があり、後は独学と推論を追加したものと

思われます。 下記の記事である程度ふれてますが。

https://cyrus2.hatenablog.jp/entry/2023/10/19/062325

 

また、元春日の枚岡神社はスサノヲ大神様の御子

とされるニギハヤヒ大神様を御祀りする神社で

本来、渡来人なのに系図捏造で

天つ神とされたような藤原氏とは関係ありません。

 

方形周溝墓や銅鐸祭祀は真の皇族である

ニギハヤヒ大神様がひろめたものと考えられ

副葬品などは必ずしも多くはなく、また

銅鏡なども一個人が独占するのでなく

伝世する公共物となっていたようです。

(銅鏡が鋳造された年と、古墳に墳墓に埋葬された時期に

差がある。何年も埋葬されずに伝えられている。)

福岡の糸島などでは、最後まで権力者が

宝物を独占するような状態が続き、

最後にニギハヤヒ朝の傘下にはいったようですが。

 

「神代」の日本のあり様は、

右翼の軍事独裁恐怖政治とは全然違います。

古神道は「極左」なのです。

 

模範的な左翼を描く

銀河英雄伝説

https://cyrus2.hatenablog.jp/entry/2023/05/05/001811

 

 * * * * * * *

 

右翼体制の大本営発表は極めて偏ったものです。

 

そもそも「武士」などというテロリストは

大半が独裁者に追従して利権を狙う出世・保身主義者

領民を兵卒として犠牲にしたり

略奪・強姦する事、搾取する事などは平気な

サイコパスの集まりである事が大半でしょう。

 

信長公の家臣に対する扱いが酷いとほざくけれど

てめーらの領民に対する扱いと比べればはるかにまし、

信長公は領民に優しいので最大多数の最大幸福を

全大名の中でも実現している方かと思われます。

上杉謙信公などを除けば。

 

謙信公は小田原北条と同盟しながら

越後まで出向けとか言って全然援軍を出さなかった

から義将ではないなどと言う方は

サイコパスどうしでの価値観しか頭にない

自己中心主義者なのでしょう。

 

兄の代には負けてた戦で勝つようになり

青苧(あおそ)を原料とする越後上布などの

交易で収入もあり、他の地域と比べ

少なくとも領民は平和に暮らせたかと。

 

島原藩主の松倉勝家が領民の生活が成り立たないほどの

過酷な年貢の取り立てを行ったのに対し

領民が一揆を起こし、浪人が加担して(あるいは一揆

けしかけ仕組んで?)天草・島原の乱となった際、

領民を救済するのでなく

寄ってたかって領民を苦しめた連中

義などありはしない。全員、賊でしかない。

江戸幕府などその程度の悪魔政権でしかないし

明智秀満の子の三宅重利なども加担してるんですね。

明智秀満こそが南光坊天海の前身ではないかという

説もありますが。家康の軍師的な。

 

ひふみ神示は、そういう右翼的な価値観の

全否定なのです。

 

ひふみ神示 第二十九巻「秋の巻」 
第二十四帖(七六六)
今迄の、三千年のやり方違ってゐたと心つくなれば、心付いて神示よむなれば、一切のことありやかとなるのぢゃ。カンジンぢゃ。」

 

「歴史好き」右翼とは「犯罪者がのさばってる話が大好き」

というサイコパスに他ならない。

 

悪の世を 善の世と 思いたい方

https://cyrus2.hatenablog.jp/entry/2022/07/06/204657

 

領民を平気で犠牲にするような邪悪な右翼に

権力を持たせていれば、領民を迫害するのは

分かりきった事です。

 

松平信綱のような自己中心的なサイコパス

大塩平八郎や三浦命助のような義人と

どちらが偉いのか?

 

犯罪体制を揺るがすと「乱」なのか?

犯罪結社に不都合なら賊なのか?

 

犯罪結社をこそ賊と呼ぶべきでしょう。

江戸幕府なんぞ犯罪結社でしかない。

 

振り込め詐欺師が軍事独裁して搾取するのと何が違う?

 

どうして投票変えないの?政府が悪でも

https://cyrus2.hatenablog.jp/entry/2023/11/06/003714

 

当たり前の事を当たり前に理解できる

知性を持ちましょう。自身の本心ため、世界平和のため。

 

五十黙示録 第二巻「碧玉の巻」
第十帖 (二五)
仏教の渡来までは、わずかながらもマコトの神道の光がさしてゐたのであるなれど、仏教と共に仏魔わたり来て完全に岩戸がしめられて、クラヤミの世となったのであるぞ、その後はもう乱れほうだい、やりほうだいの世となったのであるぞ、これが五度目の大き岩戸しめであるぞ。

 

下劣な体制にとって都合のよい作り話を

丸暗記するのが好きというのが右翼。

 

本当に歴史から学ぶには、

虚構・建前を盲信するのでなく

真相を探究する必要があります。