ひふみ神示 第二十四巻「黄金(こがね)の巻」
第二十九帖(五四〇)
「神の言葉でも裏表の見境なく唯に信じてはならん。サニワせよ。薬、毒となることあると申してあらうが。馬鹿正直、まことの道 見失ふことあると申してあらうが。」
五十(いせ)黙示録 第四巻「竜音の巻」
第三帖 (六二)
「世界を、日本を、自分をサニワせねばならん。
目に見へぬ所からの通信は高度のものほど肉体的には感応が弱くなり、暗示的となるものであるぞ、ドタンバタン、大声でどなり散らすのは下の下。
神もフトマニに従わねばならん。順を乱すわけには参らん、
高度の霊が直ちに肉体人に感応することはなく、それぞれの段階を経て感応するのであることを忘れてはならんぞ、
下級霊は現実界と紙一重の所に住んでゐるのであるから、その感応は極めて強く、如何にも尤(もっと)もらしく人民の目にうつるものであるぞ、
高度のものは、その人民のミタマの如何(いかん)によって、それと同一波調の神霊に伝達され、その神霊の感応によって表現されるのであるぞ。
特別の使命をもつ天使は、最下級の霊界まで降って来て、人民に特別な通信をなし、指示することもあるぞ。また天使の霊が母体に宿り人民として生れてくる事もあるぞ、末世にはこの種の降誕人が沢山あるぞ。」
五十黙示録 第四巻「竜音の巻」
第五帖 (六四)
「幽界は人間界と最も深い関係にあり、
初期の霊かかりの殆どは この幽界からの感応によることを忘れるでないぞ。
霊かかりの動作をよく見極めればすぐ判る。
高ぶったり、威張ったり、命令したり、断言したり、
高度の神名を名乗ったりするものは必ず下級霊であるぞ、
インチキ霊であるぞ、インチキ霊にかかるなよ、
たとへ神の言葉でも尚サニワせよと申してあろう。
(・・・中略・・・)
今の人民 九分九厘は幽界とのつながりをもつ、
胸に手をあててよくよく自分をサニワせよ。」
五十黙示録 第四巻「竜音の巻」
第九帖 (六八)
「霊界にすむものは多くの場合、自分の住む霊界以外のことは知らない。その霊界が総ての霊界であるかの如く思ふものであるぞ。
(・・・中略・・・)
人民界のことをよく知ってゐる霊は、人民界を去って間もない霊か、地上世界に長く住んでゐた動物霊か、人民に憑依してゐた霊であるぞ。
特別な使命をもつ天使は別として(・・・以下略・・・)」
五十黙示録 第四巻「竜音の巻」
第十三帖 (七二)
「悪行を積んだ霊ともなれば巧みに、その時代々々の流れに合せて化けているから、中々見破ること六ヶ敷いぞ、心得なされよ。或る種の霊は、自分自身は高度な神界に住んでゐると誤信してゐるものもあるが、こうした霊が感応した場合は自信を以って断言する場合が多い、人間が知らぬ世界のことを、自信を以って強く告げられると、多くのサニワは参って了ふぞ。」
五十黙示録 第四巻「竜音の巻」
竜音の巻 十四帖 (七三)
「幽界霊も時により正しく善なることを申すなれど、それは只申すだけであるぞ。悪人が口先だけで善を語るようなものであるぞ、よいことを語ったとて直ちに善神と思ってはならん。」
五十黙示録 第四巻「竜音の巻」
第十六帖 (七五)
「はじめに出て来る霊は殆ど下級霊であるぞ、玄関に先づ出て来るのは玄関番であるぞ。祖霊の出る場合は、何か頼みたい場合が多いぞ、浄化した高級霊ともなれば、人民に判るような感応は殆どないぞ。」
ひふみ神示 補巻「月光の巻」
第四十九帖 (八三六)
「神かかっていても、われにも他にも判らぬようになりて下されよ。鍬とる百性が己をわすれ、大地をわすれ、鍬をわすれてゐる境地が、まことのみたましづめであり、神かかりであるぞ。そこらでなさる行も、それに到る一つの道ではあるが、それのみではならんぞ。気つけ合ってよきに進んで下されよ。」
ひふみ神示 第二十九巻「秋の巻」
第十七帖(七五九)
「神示が一度で判る人民にはミタマシズメやカミシズメやカミカカリはいらん。判らんからやらしてゐるのぢゃ。やらせねば判らんし、やらすとわき道におちゐるし、いやはや困ったもんぢゃのう。」
ひふみ神示 第二十六巻「黒鉄(くろがね)の巻」
第十八帖 (六三六)
「霊眼で見たり霊耳で聞いたりすることは間違ひ多いぞ。心せよ。」
ひふみ神示 第二十四巻「黄金(こがね)の巻」
第五十帖(五六一)
「口で云ふことよくきけよ。肉体で云ふこと、神の申すこと、よく聞きわけ下されよ。
霊媒通じてこの世に呼びかける霊の九分九分九厘は邪霊であるぞ。」
ひふみ神示 第二十六巻「黒鉄(くろがね)の巻」
第二十四帖 (六四二)
「悪霊自身は自身を悪と思うてないぞ。」
五十黙示録 第四巻「竜音の巻」
竜音の巻 第十七帖 (七六)
「悪い企て、悪い行為ぢゃとて、直ちにキメつけてはならん、
やんわりともちかけて善きに導かねばならんぞ、
悪をきらふ心があってはならん、悪抱き参らせと申してあろうがな。」
五十黙示録 第四巻「竜音の巻」
第十八帖 (七七)
「霊に ☉(絵文字:〇の中に・)神示をよんで聞かせて見よ、その偉大さがハッキリ判るぞ。
どんな下級霊であっても、その霊を馬鹿にしてはいけない、
馬鹿にすると反射的にサニワを馬鹿にして始末におへんことになるぞ。
霊覚者や行者の中には奇跡的なことや非常識な行動をする者がよくあるぞ、一般の人民はそれにだまかされることがよくあるぞ、何れも下級霊のしわざであるぞ、正神には奇跡はない、奇跡ないことが大きな奇跡であるぞ、奇跡するものは亡びる。高級霊は態度が立派であるぞ、わかりたか。」
*空中浮遊のようなのを戒めるのであって
手当てくらいならよろしいかも知れません。
病直しや按摩の真似はさせないという個所もあるので
そうした、言わば脇道に特化したり、
奇跡に重点を置いたりする事は戒めるものの
(そうした教団は別にありますし、
ひふみ神示には別の意義があるので。)
「手当て」を示すような個所もあります。
ひふみ神示 第四巻「天つ巻」
第二十九帖 (一三六)
「病あるかなきかは手廻はして見れば直ぐ分かるぞ、
自分の身体中どこでも手届くのざぞ、
手届かぬところありたら病のところ直ぐ分るであろうが。
臣民の肉体の病ばかりでないぞ、心の病も同様ぞ、
心と身体と一つであるからよく心得て置けよ、
国の病も同様ぞ、頭は届いても手届かぬと病になるのぞ、
手はどこへでも届くやうになりてゐると申してあろが、
今の国々のみ姿見よ、み手届いて居るまいがな、
手なし足なしぞ。手は手の思ふ様に、足は足ぞ、
これでは病直らんぞ、
臣民と病は、足、地に着いておらぬからぞ。
足 地に着けよ、草木はもとより、犬猫もみな
お土に足つけて居ろうがな。
(・・・中略・・・)
足よごれてゐると病になるぞ、
足からお土の息がはいるのざぞ、
臍(へそ)の緒の様なものざぞよ、
一人前になりたら臍の緒切り、社(やしろ)に座りて居りて三尺上で神につかへてよいのざぞ、臍の緒切れぬうちは、いつもお土の上を踏まして頂けよ、それほど大切なお土の上 堅めているが、今にみな除きて了ふぞ、」
ひふみ神示 第26巻「黒鉄(くろがね)の巻」
第三〇帖 (六四八)
「奇跡を見せ、病気を直してやるのもよいのぢゃが、それのみによって改心を迫ってはならん。それのみで道を説いてはならんぞ。そんなこと位でマコトのホッコンの改心が出来るならば、人間は遠の昔に改心して御座るぞ。」
五十黙示録 第四巻「竜音の巻」
第十九帖 (七八)
「霊の発動をとめて、静かにする法は『国常立大神 守り給へ幸(さき)はへ給へ』と三回くり返すこと。又『素盞鳴大神 守り給へ幸はへ給へ』と三回くり返すこと、又は『太日月地(おおひつきくにの)大神 守り給へ幸はへ給へ』と三回くり返すこと。世界そのものの霊かかり、日本の霊かかり、早うしづめんと手におえん事となるが、見て御座れよ、見事な事を致してお目にかけるぞ。」
低級霊とよく似ているというのが分かると思います。
ただの異論・反論を「荒らし」と呼ぶ方もいますが
それは自己中心的に過ぎます。
異論を提示して議論するのが「荒らし」などと
どれだけ自己中心的なファシストなのかと。
本当の荒らしは、こんな感じです。
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/streaming/1662295268/993-995
同じ文章をコピーして連続して物量攻撃とか
アスキー・アート(AA)と呼ばれる、
文字と記号を組み合わせた絵で「くそ」等を
描いて連投したり、およそ議論はできない
ような奴がテロ的な行為で感情を満たそうと
するのが荒らし。
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/streaming/1662881304/527-768
あるいはナチス的な「戦略」とかね。
反論できないので真実をテロで抹殺するような。
右翼の「論戦」の発想は戦争や
声闘(ソント)などと同じで、
公正な議論という概念が無さそうですからね。
「強い」「弱い」ばかりで
対等という概念が無さそう。
半島や徳川の「朱子学」もそんな風でしょ。
ひたすら理がなく、汚職を正当化するような
差別的・自己中心的・サイコパス的と感じますね。
2001年頃の旧2ちゃんねるの荒らしは
7割が右翼、2割が社民系エセ左翼、1割が愉快犯
くらいに感じました。全く正論を提示できず
異論に反論すらできないくせに自分が正義と
妄信してたいような蛮賊が荒らしになるわけです。
当時は「B型・右翼・左翼・荒らし団」と
自分の中では呼んでましたが、今ではその正体は
だいたい見当がついています。
旧2ちゃんねるには疑問
http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-463.html
「スクリプト埋め立てしておちょくるの楽しいw」
と5ちゃんねるで書く人物の反日思想
https://cyrus2.hatenablog.jp/entry/2022/08/28/230402
私から見れば小林よしのりも似たようなものです。
https://cyrus2.hatenablog.jp/entry/2022/09/15/064111
他人の不幸を喜び、嘲笑したがる
ようなのは、一発アウトで蛮賊認定でよいかと。
問題は・・・私は悪を嫌っているので
祈りで幽魂の浄化など他力にお願いはできても
下賤の荒らしの類を「抱きまいらせる」事は
今の所、実践は難しいという事です。