超革新ひふみ神示

超革新ひふみ神示

ひふみ神示は、金をかけて先入観を植え付けようとする勢力を称賛などしてません。 「神で食うて行くことならん」ともあります。 虚心坦懐に読んでみてください。

日月神示 第十二巻「夜明けの巻」1~10帖

昭和20年7月21日(1945年) ~昭和20年8月8日(1945年)

1945年の旧九月八日は新暦10月13日。


第一帖 (三二一)
イシはイにかへるぞ。一(ヒ)であるぞ。 (ム)であるぞ。井であるぞ。イーであるぞ。㋼(〇に井)であるぞ。㋑(〇にイ)であるぞ。キと働くのざぞ。わかりたか。今までは悪の世でありたから、己殺して他人助けることは、此の上もない天の一番の教といたしてゐたが、それは悪の天の教であるぞ。己を活かし他人(ひと)も活かすのが天の道ざぞ、神の御心ぞ。他人殺して己助かるも悪ぞ、己殺して他人助けるも悪ぞ、神無きものにして人民生きるも悪ぞ。神ばかり大切にして人民放っておくのも悪ぞ。神人ともにと申してあろが。神は人に依り神となり、人は神によって人となるのざぞ。まことの神のおん心わかりたか。今までの教へ間違っていること段々判りて来るであろがな。天地和合して✡(八方放射線つき〇の中に・)となった姿が神の姿ざぞ。御心(みこころ)ざぞ。天(あめ)と地(つち)ではないぞ。あめつちざぞ。あめつちの時と知らしてあろうが、みな取違ひ申して済むまいが。神示よく読めと、裏の裏まで読めと申してあろが。七月の二十一日、あめのひつぐのかみ。

 

第二帖 (三二二)
神の国は神の肉体ぞと申してあるが、いざとなれば、お土も、草も、木も、何でも人民の食物となる様に出来てゐるのざぞ。何でも肉体となるのざぞ。なるようにせんからならんのざぞ。それで外国の悪神が神の国が慾しくてならんのざ。神の国より広い肥えた国 幾らでもあるのに、神の国が欲しいは、誠の元の国、根の国、物のなる国、元の氣の元の国、力の元の国、光の国、真中(まなか)の国であるからぞ、何も彼も、神の国に向って集まる様になってゐるのざぞ。神の昔の世は、そうなってゐたのざぞ。磁石も神の国に向く様になるぞ。北よくなるぞ。神の国おろがむ様になるのざぞ。どこからでもおろがめるのざぞ。おのづから頭さがるのざぞ。海の水がシメであるぞ。鳥居であるぞと申してあろうが、シメて神を押し込めてゐたのであるぞ。人民 知らず知らずに罪犯してゐたのざぞ。毎日、日日(ひにち)お詫(わび)せよと申してあらうが、シメて島国日本としてゐたのざぞ、よき世となったら、身体(からだ)も大きくなるぞ。命も長くなるぞ。今しばらくざから、辛抱してくれよ。食物心配するでないぞ。油断するでないぞ。皆の者喜ばせよ。その喜びは、喜事(よろこびごと)となって天地のキとなって、そなたに万倍となって返って来るのざぞ。よろこびいくらでも生まれるぞ。七月二十一日、あめのひつくのかみ。

 

第三帖 (三二三)
天の異変 氣付けと申してあろが、冬の次が春とは限らんと申してあろが。夏 雪降ることもあるのざぞ。神が降らすのでないぞ、人民 降らすのざぞ。人民の邪気が凝りて、天にも地にも、わけの判らん虫わくぞ。訳の判らん病ひどくなって来るのざから、書かしてある御神名 分けて取らせよ。旧九月八日までに何もかも始末しておけよ。心引かれる事 残しておくと、詰らん事で詰らん事になるぞ。もう待たれんことにギリギリになってゐる事 判るであろがな。七月二十四日の神示、あめのひつぐの神。

 

第四帖 (三二四)
この方 カの神と現はれるぞ、サの神と現はれるぞ、タの神と現はれるぞ、ナの神と現はれるぞ、ハマの神と現はれるぞ。ヤラワの神と現われたら、人間 眼明けて居れん事になるぞ、さあ今の内に神徳積んでおかんと八分通りは獣の人民となるのざから、二股膏薬ではキリキリ舞するぞ、キリキリ二股多いぞ。獣となれば、同胞(はらから)食ふ事あるぞ。氣付けておくぞ。七月二十九日、あめのひつくのかみ。

 

第五帖 (三二五)
何もかも神示読めば判る様になってゐる事 忘れるでないぞ、此の仕組 云ふてならず、云はねば判らんであろうなれど、神示読めば因縁だけに判るのざぞ。石物云ふ時来たぞ。山にも野にも川にも神まつれと申してあること、忘れるでないぞ、型せと申してあらうが、いづれも仮ざから三千世界の大洗濯ざから、早よ型してくれよ。型結構ぞ。何もかも神人共にするのざぞ。夜明けたら、何もかもはっきりするぞ、夜明け来たぞ。十理(トリ)立てよ。七月二十八日、あめのひつくのかみ神示書。

 

第六帖 (三二六)
今迄の様な大便小便 無くなるぞ。不潔と云ふもの無き世となるのざぞ。不潔物 無くなるのぞ。新しき神の世となるのざから、神々にも見当取れん光の世となるのざぞ。七月三十一日、あめのひつくのかみ。

 

第七帖 (三二七)
神の臣民に楽な事になるぞ。理屈無い世にするぞ。理屈は悪と申してあろが、理屈ない世に致すぞ。理屈くらべのきほひ無くして仕舞ふぞ。人に知れん様によいことつとめと申してあろが。人に知れん様にする好い事 神こころぞ。神のした事になるのざぞ。行けども行けども白骨と申したが、白骨さへなくなる所あるぞ。早よ誠の臣民ばかりで固めて呉れよ。神世の型 出して呉れよ。時、取違へん様に、時、来たぞ。八月一日、あめのひつく神。

 

第八帖 (三二八)
直会(なをらひ)も祭典(まつり)の中ぞ。朝の、夕の、日々の人民の食事 皆 直会ぞ。日々の仕事 皆まつりぞ。息すること此の世の初めのまつりぞ。まつれまつれと申してあろが。おはりの御用は はじめの御用ぞ。まつりの御用ぞ。オワリノ十ノヤマにまつり呉れよ。世につげて呉れよ。役員 皆 宮つくれよ。宮とは人民の申す宮でなくてもよいのざぞ。一の宮、二の宮、三の宮と次々につくり呉れよ。道場も幾らつくってもよいぞ。神の申した事、なさば成るのざぞ。宮と道場つくり神示読んでまつれまつれ、まつり結構ぞ。奥山にはオホカムツミの神様もまつり呉れよ。守りは供へてから皆に下げて取らせよ。五柱、七柱、八柱、十柱、十六柱、二十五柱、三十三柱、三十六柱、四十七柱、四十八柱、四十九柱、五十柱、五十八柱、五十九柱、世の元ぞ。八月の二日、アメのひつくの神。

 

第九帖 (三二九)
天詞様まつれと申してあろが。天津日嗣皇尊大神様(あまつひつぎすめらみことおほかみさま)とまつり奉れ。奥山には御社(みやしろ)造りて、いつき奉(まつ)れ。皆のうちにも祀れ。天津日嗣皇尊 弥栄ましませ、弥栄ましませとおろがめよ。おろがみ奉れ、天照皇大神様、天照大神様、月の大神様、すさなるの大神様、大国主の大神様もあつくまつりたたえよ。奥山の前の富士に産土の大神様 祀れよ、宮いるぞ。清めて祭れよ、タマの宮はその前横に移せよ。奥の富士に国常立大神、豊雲野大神 祀る日 近うなりたぞ。宮の扉あけておけよ。臣民の住居(すまい)も同様ぞ。大難小難にまつりかへて下されとお願ひするのざぞ。取違ひ、お詫び申せよ、楽にしてやるぞ。天の異変 氣付けよ。八月の五日、アメのひつ九の神。

 

第十帖 (三三〇)
元津大神、心の中で唱へ奉り、スメラミコト唱へ、次に声高く天津日嗣皇ミコト大神唱へ、天のひつくの大神と唱へ奉れ。タマの宮は、かむながら祝詞でよいぞ。一二三(ひふみ)のりともよいぞ、シメは当分造りめぐらしてもよいぞ。今までのシメは此の方等しめて、悪の自由にする逆のシメざから、シメ張るなら、元のシメ、誠のシメ張れよ。七五三は逆ざぞ。三五七ざぞ。天地のいぶきぞ。波の律ぞ。風の律ぞ。神々様のおんいぶきの律(なみ)ざぞ。八月の六日、アメのひつ九の神。

 

日月神示 全文

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