超革新ひふみ神示

ひふみ神示は、金をかけて先入観を植え付けようとする勢力を称賛などしてません。 「神で食うて行くことならん」ともあります。 虚心坦懐に読んでみてください。

キリスト教3 聖母子信仰

エス=キリスト様の御教えの根幹については

キリスト教」で既に書きましたが

https://cyrus2.hatenablog.jp/entry/2022/08/23/001315

 

現在の「キリスト教」は、本来はキリスト教

関係ない風習を含んでいます。

 

例えば12月25日の祝祭は、本来は

キリスト教が公認される前の

ローマ帝国にひろまっていた

「ミトラス教」の冬至の祭典だそうです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ミトラ教

 

ナザレのイエス様の実際の誕生日は

聖書の記述と天文学から考えて

4月と推測されていたかと思います。

 

クリスマスの起源は冬至の祭り

https://ameblo.jp/cyrus2/entry-11733913876.html

 

今回は、聖母マリア信仰」について書きたいと思います。

 

ローマ帝国ネストリウス派が異端とされ、

国外へ逃れて中国に景教として伝わった

というくらいの事は中学・高校の世界史で

教わると思いますが、アタナシウス派

何がどう違うのか?詳しくは知らなかったので

ちょっと調べてみて驚きました。

 

ネストリウス派では、

エス様の母マリアを

もちろん尊敬はしているけれど

あくまで人間と見ていてたという。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ネストリウス派

いたって当然の事と思えます。

 

ニケーア公会議で正当とされた

アタナシウス派などは

母マリアをも「神・御子・聖霊

と同様に神聖な、人を超えた存在と

考えていたようです。

 

言葉のあやのようでもありますが

「至高の神と同等の神格」として

特別視するという事になります。

 

本当の事を言えば、万人の心の奥に

良心=アートマン=ブラフマン

存在するというのが私の解釈です。

もちろん、魂の清らかさによって

聖性の現れる度合いが人によって違う。

エス=キリスト様が一般と比べて

飛びぬけているのは間違いないと思います。

お釈迦様だってそうですよね。

 

そこでローマ帝国のような軍事力を持つ

権力が、イエス=キリスト様だけを特別として

至高の神と一体化した存在として権威づけ

他の人間は同じ次元には行けないかのように

差別するというか・・・そんな構造を感じます。

 

それって一種の「王権神授説」だよね。

その少し前には、ローマ皇帝をミトラス神と

同一視したりしていたようですから。

 

ただ、聖母子信仰は、

そういう「三位一体」の理屈とは

また別のようでもあります。

 

これもおそらくは、本来はキリスト教とは

関係なかった、イシス女神と御子ホルス王

への信仰を取り入れたものではないか、

と感じました。

 

現生人類ホモ・サピエンス

アフリカから出発して

世界各地に移動したと考えられています。

 

アフリカには、それより古い猿人もいて

最古の人類と考えられて来たのが

アウストラロピテクスの女性で

「ルーシー」と名付けられました。

現在では、もっと古い猿人の化石が

最古の人類とされているそうですが。

 

ともかく、ケニアエチオピアなど

エジプトより南にナイル川をさかのぼった

所に、人類の起源があると考えられている。

ただエジプトより前の話は「旧約聖書」に

出てこないので、どうしてもエジプトとか

シュメールからの話になりがちなのでしょう。

(もちろん「エデンの園」はアフリカ

 と言う方はいるけれど、証明は難しい。)

 

「エジプト以前」は興味深い世界です。

世界を知りたい人は是非、木村愛二氏の

古代アフリカ・エジプト史への疑惑」を

読んでみてください。 他にアフリカ研究を知らないし。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/afric-43.html

オンライン公開されてる中から「タルシシの船隊」

を選んでリンクしています。ソロモン王と関係します。

人類の知性の白眉と言っても過言ではないかと。

悟っている聖者などを別にしてかも知れないけれど

公正な姿勢で真摯な検証をした人物として。

 

これは全く何の証明にもならない話かも

知れませんが、父が一時期、神々から御指導を

いたただいていた際に、最初の人類は女性

と教わったそうです。男尊女卑的な父が

そういう事を自分の発想から引き出す事は

なかろうと思います。

 

最初の人類は女性だったが

軍事独裁がひろまった事で

そうした話は否定されるように

なって来たようです。

 

けれど、聖母マリア信仰の原型は

おそらくはエジプトのイシス信仰や

それ以前までさかのぼるものと考えられます。

 

厳密に言えば、本来キリスト教ではないものが

キリスト教」と呼ばれているのではないか

と思います。まぁそれはそれでよい

のかも知れません・・・が、何も

おかしくないのに異端とされた

ネストリウス派が不憫かなと思わなくもない。

 

聖母のイメージの元にもなった

「母性の象徴」としてのイシス

https://bymn.xsrv.jp/nekomegami/basted/isis.html

アナタシウス派・・・「イシス、神の偉大な母」

って、書いちゃってるよ。

 

「ホルスを抱く イシス」で検索すると

こういう画像がたくさん出てきます。

http://stat.ameba.jp/user_images/20131222/06/cyrus2/2b/70/j/o0343064012788092285.jpg

ミケランジェロの「ピエタ」も

「ホルスを抱くイシス」を意識してるかなと。

 

そして・・・これだけでは終わらないんですね。

 

日本にも聖母子信仰があったと推測できるのです。

 

日本語で「ひめ」と言えば姫、媛、比咩、

「ひこ」と言えば彦、日子などの字が

あてられていますが、比咩などは

ほとんど意味のない音写、日女とか

霊女などが正しい当て字と思われます。

初期の神々については。

 

漢字1字をあてるようになってからは

姫は天つ神系、媛は国つ神系に

あてられるようになったようです。

天つ神は中国の姫氏(本当は少し字が違うけど)

と関係してるためかも知れませんし

本来は臣下なのだと思う方が書いたのかも知れない。

 

人皇以降の世代については

単なる女性の美称くらいの感じと

見てもよいと思いますが。

 

大(おお)日霊女(ひるめ)貴(むち)が

日本における聖母子信仰の原型をとどめている

と考えられます。

 

「日子、八幡神」は御子で、

「日女神」が主なんですよね。

 

太陽の母子神

http://fusehime.la.coocan.jp/no88.htm

『神話と文化史』は始祖神話を大きく卵生型、箱舟型(うつぼ舟型)、獣祖型、感精型の四種に分け、始祖は、とくに感精型において、太陽の子であることが多いと述べる。うつぼ舟=太陽の舟型の神話は南方系日神信仰、日光感精型の神話は北方系日神信仰と言われているが、前述の大隅正八幡の伝承は日光感精型箱舟型複合型といえる(「ヒルメとアマテラス」は日光感精説話と母子神信仰の複合形態と表現する)

 

「日ユ同祖論」では、何でも秦氏に結び付けるようですが

複合型となると、そう簡単には行きませんね。

秦氏は秦の始皇帝の子孫という方もいますが

日本に秦王国があると書かれてるのは隋書。

ずっと後の時代になります。

そして、中国ではローマ帝国を大秦国と呼びますが

必ずしも始皇帝の秦国と関係してるわけではない。

夏王朝周王朝の支配地域から見て方角が同じという程度。

始皇帝をアレクサンダー帝国のバクトリア太守と

同一視する説があったりはしますが。

大宛(フェルガナ)は宛と関係するわけでもない。

だいたい西の方の異民族は胡人と呼ぶなど

結構、大雑把なんですよね。

だから景教ネストリウス派キリスト教)の寺院を

大秦寺とか呼んだのはローマ帝国から来たから

に過ぎず、秦氏太秦とは関係ないのでは?

秦酒公が「うづまさ」号をもらったのは

だいたい西暦500年前後30年の間と考えられる

のに対し、ネストリウス派

阿羅本が中国に来たのは635年という。

「うずまさ」に「太秦」という字をあてる

ようになったのは、それより後かも

知れませんが、関係ないこじつけかなと。

 

それにネストリウス派

「マリアを聖母として崇拝」とは

違うわけですから、何でも

秦氏と結びつけるのは強引すぎるかと。

 

キリスト教」にしろ「神道」にしろ

解明されたら困る権力者がいるかも知れない。

人類共通の部分にさかのぼったり

本当の系統を分類されたりすると

自分の権威づけに「神」を悪用したい者は

困るかも知れない。けれど、

世界の恒久平和を願うなら

真実を直視しなければならない

かも知れない。そういう話でした。

 

そして・・・こういう事まで全て分かってないと

ひふみ神示を完全に理解はできないと思われます。

自称・日月神示の続編の日月地神示などには

そんな部分は全くありませんが。

 

五十黙示録 第六巻 「至恩の巻」

第九帖 (一〇七)
「天は二一六、地は一四四と申してあろうが、

その後ナギの神は御一人で神々をはじめ、

いろいろなものを生み給ふたのであるぞ、

マリヤ様が一人で生みなされたのと同じ道理、

この道理をよくわきまへなされよ。」

*前後をはしょってるので分かりにくいかと

思いますが、前後を全て載せるとまた長いですし

おそらく読んでも分からないと思うので、さわりだけ。

216+144=360

(216:144) = (3:2)=(60%:40%)

 

ひふみ神示 第二十五巻「白銀(しろがね)の巻」

第四帖 (六一五)
「凸凹(デコボコ)あるから力あらはれるのぞ。凸凹あるため、善のみでも呼吸し、又真(シン)のみでも呼吸(イキ)するのであるぞ」

 

ひふみ神示 第十三巻「アメの巻」

第十帖 (三四四)

「五と五と申してあるが五と五では力出ぬし、四と六、六と四、三と七、七と三ではカス出るしカス出さねば力出んし、それで神は掃除許りしてゐるのざぞ」

 

*「イザナミ大神様」と「聖母マリア様」が半ば「同じ位置づけ」のような話になっているのが分かるかと思います。