超革新ひふみ神示

超革新ひふみ神示

ひふみ神示は、金をかけて先入観を植え付けようとする勢力を称賛などしてません。 「神で食うて行くことならん」ともあります。 虚心坦懐に読んでみてください。

高千穂は宮崎なのか?

キリスト教3 「聖母子信仰」イシス女神

https://cyrus2.hatenablog.jp/entry/2022/09/28/220849

の余談を追記しておきます。

 

明日は明日で、最近のブログアクセス分析について

書くつもりなのだけれど、それだけでは話題が

ちょっとどうかなと思うので、土曜は土曜で

話をあげておこうかなと。

 

聖母子信仰の起源をアフリカ東部まで追っていると

奇妙な一致に氣づきます。

 

人類の起源はナイル川上流の「ヴィクトリア湖」か、もっと南まで遡ると考えられるのですが、アフリカの雛形は九州で、ヴィクトリア湖あたりは、ちょうど今の宮崎県の「高千穂峡」辺りに相当するのです。

 


その前に、日本列島を世界の雛形とする見方にふれておきましょう。

本州がユーラシア大陸、北海道が北アメリカ大陸

九州がアフリカ大陸、四国がオーストラリア大陸

中南米が沖縄(あるいは台湾まで含むか?)と対応する

という見方です。東南アジアは伊豆半島あたり、

北欧は能登半島辺り。

チグリス=ユーフラテス川は木曽三川あたり。

カスピ海は琵琶湖辺り。

カイラス山は富士山辺り。

キプロス島は淡路島辺り。

厳密なミニチュアとは言えないと思う方も

いらっしゃるかも知れませんが、こじつけというには

かなり一致が見られます。上出来ではないかとも思います。

 

もちろん昔はスエズ運河パナマ運河もなく

ユーラシア大陸とアフリカ大陸はつながっていたし

北米と中南米もつながっていました。

それにしてもよく一致しています。

 

そこでヴィクトリア湖辺りはどこか探ると

だいたい高千穂峡と一致するのです。

 

これに関しては、「日本列島は世界の雛形ではないか」

と思った西洋人などが、後から高千穂の地を日向に変えた

可能性も無くはないのです。

というのも、記紀の舞台は初めは全て筑紫・火の国・豊国の

近辺までだという見方もあるからです。

例えばタケミナカタ神が諏訪に逃れたという話がありますが

長野県の諏訪湖ではなく、周芳(山口県)に移っただけ

という見方もあったりします。

気比(ケヒ)は本来はキビ(吉備)と読んだのではないか?

という話もあります。

大和三山」は香春一の岳、二の岳、三の岳の

三連山(三輪山)で、角度によっては

蛇がとぐろを巻いてるように見えたとも言う。

もともとは3つのご神体山それぞれに神を

御祀りしていたもを、奈良県三輪山に移したために

三ツ鳥居という形になったのだという見方があるのです。

 

そのような見方においては、「天孫降臨高千穂峰」は

英彦山(ひこさん)と考えられています。

ナイル川の雛形は遠賀川として、その支流の一つが

彦山川英彦山まで通じます。

 

また、「筑紫の日向の橘の小戸」といった

表現が知られているものの、

「筑紫の肥後の」とか「筑紫の豊前の」

といった表現は見られないため、

「筑紫」は九州全体を指すわけではなく

福岡の博多湾岸や筑後川周辺、

その中で日向の橘と言えば

福岡市と糟屋郡にまたがる立花山あたり

ではないかと考える方もいらっしゃるわけです。

 

一方、今の宮崎県の高千穂峡辺りから発する五ヶ瀬川

東海岸延岡まで出ていきます。

この辺りはモンバサ川の雛形と言えるかも知れません。

その南の五十鈴川の河口付近に、乙島という小島がある

のですが、これがちょうど、フェニキア商人にとって

重要だったザンジバル島(タルシシ)に当たるのです。

https://www.google.com/maps/@-5.8322641,38.0351881,8z?entry=ttu

門川港浅海防波堤西灯台」で検索すると近いかな。

https://www.google.com/maps/@32.4662268,131.653826,15z?entry=ttu

 

その先にあるマダガスカルはアフリカ大陸に近いが
血液型の比率など、いろいろなものが
東南アジアと近くなっている。

 

旧約聖書の『列王紀上』10章には、ソロモンの栄華について

「タルシシの船隊に3年に1度、金、銀、象牙

猿、孔雀を載せてこさせた」とある。

であれば、少なくともインドまでは行っていたはずです。

ちなみにソロモン王は半ヒッタイト(ヘテ人)です。

木村愛二氏は、フェニキア人のローマでの別称である

ポエニの語源を。古代エジプト語の鉄(ベニーペ)と

考えていらっしゃいます。

https://www.jca.apc.org/~altmedka/afric-43.html

 

そもそもザンジバルという島を知っている日本人が

どれだけいるでしょうか?普通は知らないのにも関わらず

機動戦士ガンダム」というアニメには

ザンジバルという戦艦・空母が出てきます。

 

今の「資本家」は実際は「ユダヤ人」ではなく

カナーンとかアッカドなどの血筋ではないかと

考えられるので、地図を見ていたら乙島と

ザンジバル島の類似性に氣がついたかも知れません。

 

彼らにとってはナイル川遠賀川の対応よりも

乙島とザンジバル島の対応が興味深く思われ

天孫降臨の地」を英彦山から高千穂峡

ずらす可能性はありうると思うのです。

 

種子島ポルトガル船が漂着した

「鉄砲伝来」は1543年、

ザビエルが薩摩に来たのは1549年ですから

その頃から宮崎県や鹿児島県に

高千穂峡」や「大隅正八幡」を

ずらそうとする動きがあったとしても

おかしくありません。

本居宣長古事記伝』の完成は1798年

 

そもそも、将軍より天皇が偉いという世界観が

どうして徳川から出てくるのか?

というのも不自然でして、海外勢力から見ると

朝廷と幕府の二重権力という構造ではやりにくい。

傀儡を一人に絞った方が楽なわけです。

そういう目的による「歴史研究(作成)」があったのではないかと。

 

もっとも・・・倭人は中国南部(揚子江流域)から

沖縄・鹿児島方面か、長崎・熊本方面に来ている

可能性も十分にあるわけで、福岡より先に宮崎に

王朝があったとしても、おかしくはありません。

現在、笠沙の岬とされている辺りは、実際、

中国からの漂着物が来る事もあるそうです。

 

宮崎の串間から出土した玉壁は33.2cmという大きさで、

これほどの優品は中国でもなかなか見られないそうです。

下賜されるはずもなく、王族が持ち込んだのではないか

とも推測されています。鉄器と一緒に出土していて

錆が付着している状態ですが。周辺からもっといろいろな

ものが見つかっていればよいのかも知れませんが、

ほとんど知られていない状態ですね。半島から渡来した

としたい勢力にとっては不都合だからか。

 

「隼人を熊襲と蔑視するのは崇神系王朝の間だけ」

という指摘がある事も知っておくべきかと。

ちなみに吉備の中心的な聖地である

有木神社の不動岩あたりが

梁塵秘抄」で「隼人崎」と呼ばれる地らしいです。

吉備と隼人の共通項には、穴太、アリキ、カヤ、スミ、ウ、犬のつく地名・人名(三角、大隈、高住、墨之江、住吉、隅田、ウガヤフキアヘズ、鵜戸、宇都、宇佐、宇治、犬山、犬飼など)があるという指摘もあります。

(『古代日本と海人―長江・隼人・吉備ルート』参照。)

吉備というと岡山と思いがちなのですが、

広島県東部もかつての吉備の範囲(備後)です。

葦嶽山、鬼叫山の磐座群(神武岩)などが存在します。

 

熊本の菊池川水系の迫間川流域に

神来と書いて「おとど」と読む地名があるのですが

周の夫差・呉の太伯の系統が来ているのではないか

と福永晋三氏は説いておられます。

 

松野連(むらじ)系図というものがありまして、

周の夫差からはじまり、卑弥鹿文(ひみかや)、

市鹿文(いちかや)、はては讃など「倭の五王

まで登場する系図なのですが、これが菊池に

伝わっているのです。

細かい事を申し上げますと、『翰苑』巻30の魏略逸文

倭人は自ら太伯の後裔と称していたとあります。

 

一方、福永氏は、遠賀川流域の勢力を

夏后小康・越の勾践の末裔と考えておられます。

これもまた、『翰苑』巻30の魏略逸文などによるものです。

 

肥後のククチヒコ(菊池日子)と筑豊ヤマトの戦いは

呉越の戦い(夏と周の末裔の戦い)とも

考えておられます。

その場合「卑弥鹿文は卑弥呼なのか?」

という問いが出てくると思いますが。

 

この辺りは漢文・中国語から万葉集まで

原典にあたって苦心しながら読んでおられる

福永先生の独壇場のようになってもいます。

その上、国語教師を退職後は筑豊に帰って

神社の由緒なども歩いて調べていらっしゃる。

いや東京にいた頃からよく戻ってもいらしたそうです。