超革新ひふみ神示

超革新ひふみ神示

ひふみ神示は、金をかけて先入観を植え付けようとする勢力を称賛などしてません。 「神で食うて行くことならん」ともあります。 虚心坦懐に読んでみてください。

自由と平等は両立できない?

フランス革命は「自由・平等・博愛」を

スローガンにしていたが、その革命は

悪の仕組んだものだった、とも言われている。

 

そして、「自由と平等を同時に成立させる事はできない」

などとも大本営は言っている。

 

はたしてそうだろうか?

 

独裁者などでない人にとっては

ただ公正でありさえすればよい。

 

例えば1分間に60文字タイピングする人と

300字タイピングする人の給料が同じでなくてもよい。

アルファベット1字に対する給料、

ひらがな1字に対する給料、

変換しにくさに応じた漢字1字に対する給料

などが公正であればよい。

そういう話だ。

 

自由とは?

 

奴隷化されなければ自由だ。

犯罪者を批判したからといって殺されたりしない、とかね。

 

公正に法によってどんなものが罪か定められていて

誰がやらかしても同じ犯罪なら同じ犯罪として裁かれる。

それだけで自由が成立する。

 

「犯罪を禁止されたら自由じゃない!!

権力者が強姦とか略奪を禁止されたら自由じゃない!!」

とかいうのは、サイコパスの言い草だ。

一般的な日本人にとっては

犯罪を禁止されたからといって

自由がなくなったりはしない。

 

そうでしょ?

 

そういうわけで、自由と公正(平等と訳されるが公正という意味合いにも訳される)は普通に両立できる。

 

差別を禁止し、ファシズムも禁止すれば

「隷属・束縛からの解放」「公正」が成立する。

 

法治国家が「犯罪の自由」を禁止するのは当然の事。

 

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ところで、ひふみ神示日月神示)には

「悪自由」「悪平等」という言葉が出てきます。

 

当ブログ内を「平等」で検索すると、こんな感じ。

https://cyrus2.hatenablog.jp/search?q=平等

 

神示で言う悪自由は、もちろん

新自由主義」のような「犯罪の自由」の事でしょう。

 

「犯罪の自由」は、被害者の自由を侵害している。

 

悪平等とは、誰も彼も同じにしてしまう事。

 

猫や豚には小判や真珠より餌の方がよい、

働きに応じ、段階に応じてふさわしいものがあるのに

世界を赤一色とか黒一色とかにしようとするのは間違い、

というような話かなと。

 

例えば・・・力が強いが走るのは遅い

というような人物は

走る速さに左右されるスポーツには向かないが

腕相撲などの競技には向いてるかも知れない。

 

そういう人物が、自分を有利にするために

腕相撲で強い者が何でも独裁できるようにする

みたいなのは駄目。

全ての尺度を腕の強さだけにして

誰にも彼にも腕だけ鍛えるように仕向けるとか・・・

そういうのはファシズム国家でしょ。

それが「悪平等」。

 

 天つ神は天つ神らしく生きるのが生きがい。

悪神のように生きたいとは思っていない。

そのように使命に生きる事を

さまたげないのが「自由」を保証するという事。

束縛しないという事。

 

だから、サイコパスでない人や神にとっては

自由と平等は同時に成立します。

 

「生きがい搾取」は奉仕職に多い。

 

低賃金でも、生きがいのある職業は

やってくれる人がいる。

 

そういう人はバカ高い給料を求める事が少なく

給料の高さを人間の価値の全てと主張する事もない。

 

だから、「女を性奴隷にして売って金儲けして

いばっている」ような大本営の鬼畜どもとは

価値観が全く違うわけです。