超革新ひふみ神示

超革新ひふみ神示

ひふみ神示は、金をかけて先入観を植え付けようとする勢力を称賛などしてません。 「神で食うて行くことならん」ともあります。 虚心坦懐に読んでみてください。

ひふみ神示 第二十八巻「夏の巻」21~25帖

昭和27年3月3日(1952年) ~昭和27年3月8日(1952年)

 

二十一帖(七三八)

始めは形あるものを対象として拝むもよいが、行きつまるのは目に見える世界のみに囚はれてゐるからぞ。タテのつながりを見ないからであるぞ。死んでも自分は生きてゐるのであるぞ。大我に帰したり、理法にとけ入ったりして自分と云ふもの無くなるのでないぞ。霊界と霊と、現界と現身(うつしみ)とのことはくどう説いてあろうが。神示よめよめ。大往生の理(ミチ)、弥栄に体得出来るのであるぞ。霊と体と同じであると申しても、人間の世界では別々であるぞ。内と外、上と下であるぞ。取りちがいせんようして下されよ。

第二十二帖
つくり主とつくられるものとでは無限にはなれて行くのぢゃ。和ないぞ。和のないところ天国ないぞ。こんな判りきったこと、何故にわからんのぢゃ。尻の毛まで抜かれてゐると申してあろう。早うめさめよ。悪の道、教にまだ迷うて御座るが、早うめざめんと間に合はんぞ。

第二十三帖
無限のものと、有限のものと、ムとウとをまぜまぜにして考へるから、人民の頭は兎角ウになりがちぢゃぞ。慾、浄化せよ。

第二十四帖
すべて世の中の出来ごとはそれ相当に意義あるのであるぞ。意義ないものは存在ゆるされん。それを人間心で、邪と見、悪と感ずるから、狭い低い立場でゐるから、いつまでたってもドウドウめぐり。それを毒とするか薬とするかは各々の立場により、考へ方や、処理方法や、いろいろの運び方によってしるのであるから、心せねばならんぞ。「今」に一生懸命になりて下されよ。三月三日、ひつく神。

第二十五帖
二十二のように知らすぞ。神の仕組、間違ひなし。どしどしと運べよ。三月八日、ひつく神。

 

ひふみ神示 全文

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