超革新ひふみ神示

超革新ひふみ神示

ひふみ神示は、金をかけて先入観を植え付けようとする勢力を称賛などしてません。 「神で食うて行くことならん」ともあります。 虚心坦懐に読んでみてください。

ひふみ神示 第二十八巻「夏の巻」1~10帖

昭和27年3月3日(1952年)~昭和27年3月8日(1952年)

 

第一帖(七一八)

与へられたもの、そのもの喜ぶようにすれば楽にゆけるよう、暮しむきもたのしたのしで暮せるようになってゐるぞ。あり余る程 与へてあるでないか。生かして使へよ。生活に何故アクセクするのぢゃ。与へてあるもの殺すから自分も死の苦しみするのぢゃ。有限でなければモノは顕われないぞ。モノに顕わすと有限となるのぢゃ。総てに感謝せよと申してあろうが。総てのものに、それ相当の意義あるぞ。全体的には喜びせねばならん。愛をもって接しなければならん。信をおかねばならん。ぢゃと申して局部々々に於ては、それぞれ、その時に応じて処理せねばならん。只その場合は、ゆとりをもって処理せよ。綱長くしておかねばならん。

 

第二帖(七一九)

・がよろこびであるぞ。また・の・はムでもあるぞ。内から外に向って行くのが(〇の中に・)のやり方、外から内に向って行くのが、がいこくのやりかた。〇から・に行くのは、マコトが逆であるから、マコトのことは判らん。外から行く宗教や哲学や科学が元を判らなくしてゐるのぢゃ。元わからんで生きのいのちの判る筈ないぞ。今の世は逆様ぢゃ。先祖から正せよ。原因から正して行かなならんぞ。(〇の中に・)から出て・にかへり、無限より出て有限に形し、有限から無限にかへり、又有限に動くのがマコトのやり方であるぞ。マコトの理解者には甘露の水ぞ。

 

第三帖(七二〇)
人間は神と共に自分自身で生長して行かなならん。人間から見れば全智全能の神、あるのであるぞ。このことよく判りて下されよ。マコトの理解と迷信との別れる大切ことぞ。

 

第四帖(七二一)
何神様とハッキリ目標つけて拝めよ。只ぼんやり神様と云っただけではならん。大神は一柱であるが、あらわれの神は無限であるぞ。根本の、太☉Θ㊉(〇に・、〇に・・、〇に十、ヒツキ)大神さまと念じ、その時その所に応じて、特に何々の神様とお願ひ申せよ。信じ合ふものあれば、病気も又たのしく、貧苦も亦たのしいのであるぞ。例外と申すのは、ないのであるぞ。他の世界、他の天体、他の小宇宙からの影響によって起る事象が例外と見えるのぢゃ。心大きく、目ひらけよ。

 

第五帖(七二二)
なりなると申してあろうが。なると申すのは内分は同じであるが、形の変ることであるぞ。ウムとナルとは同じであって同じでないぞ。

 

第六帖(七二三)

ほんとうにモノを見、きき、味はい、消化して行かなならんぞ。地の上にあるもの、人間のすること、その総ては霊界で同じことになっていると申してあろうが。先づ霊の世界のうごき大切。霊の食物、霊の生活、求める人民 少ないのう。これでは、片輪車、いつまでたってもドンテンドンテンじゃぞ。そのものを見、そのものに接して下肚がグッと力こもってくるものはよいもの、ほんものであるぞ。キは総てのものに流れ込むもの。信仰は理智的にも求められる、完き情である。真理を理解するのが早道。確信となるぞ。

 

第七帖(七二四)

神も人間も同じであると申してあろう。同じであるが違ふと申してあろう。それは大神の中に神を生み、神の中に人民生んだためぞ。自分の中に、自分新しく生むときは、自分と同じカタのものを生む。大神弥栄なれば、神も弥栄、神弥栄なれば人民弥栄ぞ。困るとか、苦しいとか、貧しいとか、悲しいとか云う事ないのであるぞ。理(ミチ)ふめと申すのは、生みの親と同じ生き方、同じ心になれよと申すことぞ。人民いくら頑張っても神の外には出られんぞ。神いくら頑張っても大神の外には出られんぞ。

 

第八帖(七二五)
見へるものから来る幸福には限りがあるが、見えんものから来る幸福は無限ぞ。つきんよろこびは常に神から。

 

第九帖(七二六)

ウムと申すことは、自分をよりよく生長さすこと。一つ生めば自分は一段と上に昇る。この道理わかるであろうがな。産むことによって、自分が平面から立体になるのであるぞ。毎日、一生懸命に掃除してゐても、何処かにホコリ残るもんぢゃ。まして掃除せん心にホコリつもってゐること位、誰にでも判ってゐるであろうが。神示で掃除せよ。大病にかかると借金してでも名医にかかるのに、霊的大病は知らん顔でよいのか。信仰を得て霊的に病気を治すのは、一瞬には治らんぞ。奇跡的に治るとみるのは間違ひ。迷信ぞ。時間もいり手数もいる。物も金もいる。大き努力いるのであるぞ。取違ひ多いのう。

 

第十帖(七二七)
過去も未来も中今(ナカイマ)。神も人間と同じで、弥栄して行くぞ。悪いくせ直さねば いつ何時までたっても自分に迫ってくるもの変らんぞ。おかげないと不足申してゐるが、悪いくせ、悪い内分を変へねば百年祈りつづけてもおかげないぞよ。理屈なしに子は親を信ずるぞ。その心で神に対せよ。神が親となるのぢゃ。目と口から出るもの、目の光りと声とは、実在界にも実力もってゐるのであるぞ。力は体験通して出るのであるぞ。

 

ひふみ神示 全文

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