超革新ひふみ神示

超革新ひふみ神示

ひふみ神示は、金をかけて先入観を植え付けようとする勢力を称賛などしてません。 「神で食うて行くことならん」ともあります。 虚心坦懐に読んでみてください。

五十黙示録 第三巻「星座の巻」21~25帖

昭和36年5月10日(1961年)

 

二十一帖(五五)
言葉は生れ出るものぢゃ。先づ言葉され、歌となり、文章となり、又絵画となり、彫刻となり、建築となり、又音楽となり、舞踊となり、あらゆる芸術の元となるのであるぞ。神に通ずればこそ、愛であり、真であり、善であり、美であり、喜びであるぞ、喜びなきものは芸術でないぞ。今の芸術は死の芸術、魔の芸術。

 

第二十二帖(五六)
アとオとウとは天人の言(コトバ)、アとエとイは天使の言(コトバ)、人民に与へられた元の言(コトバ)であるぞ、五柱の元つ太神が十柱の夫婦神と現われ十柱の子(みこ)と交わって五十神と現はれるのぢゃ。故に五十神の中の三十二神は新しく生れるのぢゃ、更に二十七神とはたらき又二十五有法とはたらくぞ。

 

第二十三帖(五七)

二二の二の五つの今あけて、よろづゐんねん出づる時来ぬ。天の理が地に現はれる時が岩戸あけぞ、日本の国が甘露台ぢゃ。

 

第二十四帖(五八)
未発表のため欠帖

 

第二十五帖(五九)
歓喜に裁きのない如く、神には裁きなし。さばき説く宗教はいよいよ骨なしフニャフニャ腰となるぞ、戒律や裁きは低い段階、過去の部分的一面に過ぎん、裁きを説くのは自分で自分をさばいてゐること、人民に罪なし。

 

手長手伸(たながたのし) 堅磐常磐(かきはときは)に 祝ふ御代なる。

生井栄井津(いくゐさかゐつ) 長井阿須波比支(ながゐあすはいき) たたへましを。

底つ岩根 千木岩(ちぎいわ)高く 瑞(みづ)の御舎(みあらか)。

四方(よも)の御門(みかど) 五方(いつも)とひらき 宇都幣帛(うづみてくら)を。

御巫(かむなぎ)の 辞竟(ことお)へまつる 生足御国(いくたるみくに)。

塩沫(しほなは)の 留まる限り 皇国弥栄(みくにやさか)ゆ。

海原の 辺にも沖にも 神つまります。

天の壁 地(くに)の退立(そぎた)つ 極み手伸(たの)しき。

八十綱(やそつな)を 百綱(ももつな)とかけて ささし給はむ。

 

ひふみ神示 全文

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