超革新ひふみ神示

超革新ひふみ神示

ひふみ神示は、金をかけて先入観を植え付けようとする勢力を称賛などしてません。 「神で食うて行くことならん」ともあります。 虚心坦懐に読んでみてください。

武内宿禰は内姓かも?

武内宿禰は紀氏、葛城氏、平群氏、蘇我氏などの祖

とされる人物で、天つ神系豪族の架空の共通祖先とか

祖先の習合とか考えられる事もあります。

 

それはちょうど、海部氏・尾張氏物部氏

協力関係になった事で、天火明命

ニギハヤヒ様と同一視されるのと似てますね。

 

第8代孝元天皇の皇子である彦太忍信命の子ないし孫で

弟に甘美(うまし)宿禰がいます。

一般的に武内だと思われてますが

弟と同様に武(たけし)宿禰と読むのだ、

武は美称(宿禰は尊称)だ、という説もあります。

 

鹿児島出身の内倉武久氏は、

武内宿禰姓なのだとおっしゃっています。自身が

その末裔だと特におっしゃるわけではないけれど。

 

【動画】「熊襲は列島を席巻した」 内倉武久

https://www.youtube.com/watch?v=jYwYXnKJN2k

 

古事記では仁徳天皇応神天皇の子とされる)が

武内宿禰に「たまきはる 内の朝臣よ」

(多麻岐波流 宇知能阿曾)と呼びかけています。

(雁の卵の瑞祥のエピソードにて。)

武内ではなかったんですね。

 

武内宿禰応神天皇の実父の可能性もあります。

応神天皇仲哀天皇の死後に産まれており

神功皇后と共に行動していたのは武内宿禰なので。

 

宇治(ウジ、ウヂ)も昔は「ウチ」と読んだそうです。

孫(応神天皇の皇子)には菟道稚郎子(うぢのわきのいらつこ)

もいます。播磨国風土記では宇治天皇と呼びます。

*「ワキ」「ワケ」は王の事だった可能性大。

 「ワカ」(稚、若)とは本来別の単語です。

また、阿蘇神社の大宮司家は宇治姓です。

 

鹿児島には内姓の人もいらっしゃるけれど

二文字姓に改めるように言われた際に

宇治の二文字にはせずに

内川、内田、内村などに改めた方が多い中

少数が内のままにしたのだと内倉氏は説いています。

 

日置(へき)地名のある

方保田東原遺跡から10kmほど南南西には

内(うち)という地名があり

内空閑(うちクガ)という城の跡地もあります。

 

そして、薩摩の隼人町「内」は

あの「大隅正八幡」鹿児島神宮の近くです。

 

内倉武久氏は、

紀氏はどこかの時点で、隼人と協力関係、

あるいは姻戚関係となったのではないか

と考えていらっしゃいます。(それならそうと

正確な婚姻関係を系図に載せれた方がよいけれど。)

 

記紀では景行天皇神功皇后

熊襲・土蜘蛛を討ってまわった事になっており

鹿文と書いてカヤと読む尊称を持つ厚鹿文(アツカヤ)、

市乾鹿文(イチフカヤ)、市鹿文 (イチカヤ)といった名の

熊襲」が登場するのですが、「松野連系図」では

卑弥鹿文(ヒミカヤ)の子が厚鹿文となっています。

そして、卑弥呼は魏の時代にはヒミカと読んだようです。

 

内倉氏の解釈では、紀氏の祖とされる武内宿禰

神功皇后と共に熊襲・土蜘蛛を襲撃した側です。

それが熊襲と協力関係になったと解釈していらっしゃる。

 

私の場合、記紀を参考に考えはしても、盲信はしません。

 

本当は高句麗に負けた際に侵略されてるのを隠して、

元から隼人と近い関係のはずの息長氏(沖永良部島出身かも)

神功皇后が隼人を討っているという話に人物合成・事績転嫁

されているのではないかと疑っています。

むしろ、倭王武に比定されている雄略天皇ワカタケが

高句麗系ではないのかと。

 

松の連(むらじ)というのは、

「木公」を「松」に変化させ

木氏(紀氏、姬氏)である事を

わかりづらいようにしたのだと

内倉氏はおっしゃっています。

*姬は姫と似た字ですが、臣の真ん中の

 口の部分が縦線から離れています。

 

しかしながら・・・松がつく姓は小松(高麗津)をはじめ

在日・渡来人の好む姓でもあります。

 

維新の党の議員などは疑わしく感じてます。

 

せめて藤原不比等を風刺した竹取物語の作者と考えられる

紀貫之くらいには、反藤原(反アッカド、反バビロン

扶余、反高句麗、反百済)で親日(親天つ神・親国つ神

でなければ、紀氏の末裔と称するのは空々しいかなと。

紙きれ上の系図とか、口先ばかりで、何の意義があろうかと。

 

カヤ出身と称したり、似たような名だったり、

鹿のつく姓だったとしても同じ事で。

鹿島曻氏のように蛮賊を批判する精神を持ってないと。

 

内姓の分布(日本姓氏語源辞典)

https://name-power.net/fn/内.html

 

内神社京都府八幡市内里:旧有智郷

https://ja.wikipedia.org/wiki/内神社

山城内臣と祖先の味師宿禰が御祀神。

 

王塚古墳

宇智王子(味師宿禰)陵 ※継体説も

https://yrekitan.exblog.jp/29328452/

 

宇智神社奈良県五條市:旧宇智郡

https://ja.wikipedia.org/wiki/宇智神社

紀の川吉野川)の支流・宇智川の流域。

和歌山県境に近い。御祀神は国生明神、
内臣の祖神・彦太忍信臣(孝元天皇の皇子)、
宇智土霊埴安神

 

城野キの、しろの、ジョウの)

https://name-power.net/fn/城野.html

1 福岡県(約1,000人)

2 大阪府(約700人) 3 佐賀県(約600人)
4 長崎県(約300人) 5 奈良県(約300人

菊池市木野はキノと読む。

 

【最大級のお墓】弥生時代の大型埋葬遺構! 発見された九州最大の方形周溝墓文化財登録されたよ!なんか市長が遺跡売り払ってぶっ壊したらしいよ【考古学】

http://arukemaya.com/archives/21791576.html

北九州市小倉南区城野(ジョウノ)

 

そもそも九州における木の国豊前

紀の川は旧築城郡の城井川)という説

http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-429.html

*なお、大芝英雄で検索しても上記ブログは

 検索にかかりません。ChatGPTに古代史議論を

 教えこむとか何とかいう以前の問題です。

 歴史改竄・捏造した者が権力者だからですよ。

 ファシストを善だと盲信してる時点でおかしい。

 そんな実態が全くない事は日曜日また書きます。

 そもそも私に正面から反論できる者などいないでしょ?

 どこがどう間違ってると引用して指摘する者など見たことがない。

 そもそも引用した時点で私に理があると第三者には分かりますからね。

 知られたくない重要な指摘を引用する工作員はいない。

 反論できないくせに、逃げながらほのめかしたがるのは賊・工作員の言動。

 「おまえは間違ってる、はい論破」式の右翼ファシスト言動なんて

 何の論拠も無く口だけだし。テロや荒らしをたくらむ奴ばかり。

 荒らしでも何でもない真っ当な異論を承認もしない奴が議論とかほざくなよ。

 議論主義者でなくファシスト=テロ蛮賊。世界を悪くしてる害人そのもの。

 うちがコメント封鎖してるのは荒らしが体制側だから。反論はできるでしょ、

 べつにコメント欄開放しなくても、個人情報出さなくても。

 

「毛野の国は木野の国ではないか」

という説も。(上毛野国=群馬、下毛野国=栃木)

https://gendai.media/articles/-/120285?page=4

元は豊前上毛郡下毛郡三毛郡)が木の国だったのかも?

 

 * * * * * *

 

紀氏は「記紀」上では元々 天道根命又は御食持命を祖とする「神別氏族」である。

http://ek1010.sakura.ne.jp/1234-7-12.html

宇遅彦命の時、紀国造となり

その妹「山下影媛」が8孝元天皇の孫

屋主忍男武雄心命の妃となり、その間に

武内宿禰」が産まれたとされている。

これが紀氏の祖は、武内宿禰であると言われる由縁である。

 武内宿禰は、架空の人物(紀記編纂時造られた)とされ、

この子紀角宿禰は、渡来系の人物で

7世紀あたりで神別紀氏の系譜に入りこんだ、との説も多数ある。
葛城氏、蘇我氏、巨勢氏、平群氏などの有力豪族も

ほぼ同じ時期にその祖を武内宿禰とした。
朝廷の大臣をやるには大臣の鏡とされた武内宿禰の子孫だとする必要があったのか?
元々の紀氏が有する非公開系図上には、須佐鳴尊を祖としている。
その場合は、五十猛命と続くものと思われ筑紫紀氏とでもいえる。
また出雲大国主の子孫ともある。出雲紀氏とも言える。
 中央紀氏は、本拠地は大和国平群大和国平群県紀里?)か?

山城国紀伊郡がある。紀朝臣の拠点か?
紀氏は、秦氏を配下とし蘇我氏に仕えた。平群氏とも非常に近い関係にあったとされる。
その後軍事氏族として朝廷に仕え、飛鳥ー奈良ー平安初期まで多くの人材を出す。

 

 * * * * * *

 

・・・という事で、神別の紀氏と皇別の紀氏は

分けて考えるべきという話もありますが、

 

一般的に知られている紀貫之などは

系図上、武内宿禰の子孫という事になるようです。

 

その辺はY染色体の分析などできれば

はっきり分かるようになると思いますが。

鑑定を捏造できない体制ができれば。

 

神別氏族としての紀氏

 賀茂氏、久米氏、忌部氏、猿田彦命、少彦名

 らと同様に、系図上、「神皇産霊尊」という、

 本来は非人格神(肉体のない神霊)のはずと

 考えられる造化三神を先祖としています。

 なお、カモ(KaMo)もクメ(KuMe)もクマ(KuMa)も

 クモ(KuMo)も元はカミ(KaMui)という意味かも知れません。

 神魂(カモス)神社、岩熊山などから考えて。

 

*さらに余談ですが、私の父は守護の神々から

 スサノヲの大神様が現身でいらした時、

 「山陰の松島」須佐の山で天御中主大神様を

 御祀りしたと伺っているのですが、実際に

 そこへ行ってみると・・・「黄帝社」があります。

 つまり・・・天つ神の祖先神の天御中主大神様は

 姬氏などの祖先という黄帝という事になるのです。

 第三者に向け検証・証明できる話では無いかも知れませんが。

 一種の例え話のようなものかも知れませんが。

 あるいは祖先神を「造化三神」と習合させたというべきか。

 祖先神名を「造化三神」の御名に使ったか。

高皇産霊神は祖先神としては鷹木神と呼ばれていたかも知れず

 神産巣日神も神魂(カモス)神と呼ばれていたかも

 知れないので、対にするために神名を変更し寄せた可能性も。)