超革新ひふみ神示

超革新ひふみ神示

ひふみ神示は、金をかけて先入観を植え付けようとする勢力を称賛などしてません。 「神で食うて行くことならん」ともあります。 虚心坦懐に読んでみてください。

超革新ひふみ神示 19~22章

<  19  > 真実こそが言霊

 

ひふみ神示 第二十四巻「黄金(こがね)の巻」

第五十五帖(五六六)

「口にまこと伝へるとも実行なきもの多いぞ。

偽りに神の力は加はらない。偽善者 多いのう。」

 

ひふみ神示 第二十巻 「ん目(ウメ)の巻」
第二十四帖 (四五一)
「口上手身振り上手で誠ない者この方嫌ひぢゃぞ。」

 

「ポジティヴな言葉しか言ってはいけない

みたいな事を言う方が

「スピリチュアル系」の中にもいらっしゃいますが

それは成功哲学とか、自己啓発セミナーとか、

その界隈の発想ではなかろうかと思います。

 

まず、真実でなくては言霊は無いかと。

原子力発電所の事故などありえない」

と思えば、冷却装置を外しても大丈夫か?

と言えば、そんな事はありません。

無事を願うのなら、そんな

矛盾した事をすべきではない。

 

五十黙示録 第三巻「星座の巻」

第十九帖 (五三)
「天人の言葉はマコトであるから、只一言で万語を伝へ得るぞ。言葉の生命(いのち)は愛であり、真であるから、真愛から発しない言葉はマコトの言葉でないぞ。子音と母音と組み組みて父音の気を入れて始めて言葉となるのぢゃ、今の人民のは言葉でないぞ、日本の古語がマコトの言葉ぞ、言霊ぞ、数霊と倶に弥栄ゆく仕組。」

 

このように、まず現実をありのままに表現するのが大前提です。

その上で、よい未来をこそ願えばよい。

 

ひふみ神示は、戦中に敗戦と復興を予言しています。

その上で、しっかりしないともう一度、ひどい敗戦があって、もう二度と復興できないと思うような所から復興するという話があります。ただ、これは日本人がしっかり目覚めて、災禍を回避しようとすれば無難に済む、という話なのです。

 

人事を尽くさなければならないし

ありのままを見る必要があります。

最悪を想定し、最善を尽くす必要がある。

それができてない方々は「お花畑」とか

呼ばれています。

兵器増強が全てではないんですよ。

まず、兵器を持つのが害人ばかりでは無意味。

 

・海軍の親睦団体であった水交社の本部がフリーメイソンに占拠されてしまったように、当時の海軍首脳は丸ごとスパイだった可能性が指摘されています。

・数々の不可解な点を考慮すれば、山本五十六がスパイであった可能性は高く、しかも彼は、兄が教会で牧師をしていたように、当時の敵国宗教を信仰していたクリスチャンであり、しかもカトリックの信者だったと言われています。

・山本長官はソロモン海戦でも「大和」「武蔵」などの大型戦艦を攻撃隊に加えることなく、戦力の小出し投入を行なった。このため戦艦「大和」はついに「大和ホテル」と呼ばれるありさまであった。ミッドウェー作戦には、無能であり、しくじることがわかっている南雲忠一中将や草鹿龍之助少将を最も重要な機動部隊に起用し、自らは後方400キロの北西海上で旗艦「大和」や戦艦「長門」「陸奥」などとともに主力部隊にとどまり、これまた高見の見物をしていたのである。

・防衛政務官公明党出身の石川博崇参院議員について、ある自衛官

公明党出身の防衛政務官に敬礼しなければならないのは
内心、納得がいかない。バックの創価学会は親中親韓だし、
偏差値があまり高くない創価大学の出身です。」

 

そういう事を分かってる人は、

平和主義者の中にしかいないのではないかと。

戦争主義者は賊を正当化したがるので。

 

まず、ありのままに見る。

最悪を想定し、最善を尽くす。

そして、良い結果を願う。

 

悪い結果を願ってる、呪ってるような方も

インターネット上でたくさん見かけますからね。

「日本は害人に乗っ取られる」

みたいな事ばかり言いたがるような。

 

ひふみ神示 第十巻「水の巻」
第十一帖 (二八五)
「富士は何時爆発するのざ、何処へ逃げたら助かるのぞ
と云ふ心 我れよしぞ。何処に居ても救ふ者は救ふ
と申してあろが。悪き待つキは悪魔のキざぞ。
結構が結構生むのざぞ。」

 

「謀略を阻止しよう!」というのは

ごく少数しか見かけない。

検索妨害などされてるかも知れません。

 

何もせずに、口だけで

良くなると言えば良くなるわけではありません。

当然です。

ただ悪い事を願う念、気がよくない。

 

言霊は「根性論」などの類ではない、

順当な事が起こるだけ、

非論理的な飛躍などはない、

と理解しておいてください。

 

「嘘つかないネイティヴ」でない方が「言霊」を騙ると

「ポジティヴ・シンキング」の話ばかりに

なりがちですが、そういう話ではない。

「問題があると指摘してはいけない!」

などという話ではありません。

井沢元彦氏の「言霊の国」とは全然違うのです。

 

問題点を徹底的に洗い出し、根本から解決するのが

ハワイの本当のホ・オポノポノであり、

アイヌのウコチャランケなのです。

口先だけで「ごめんなさい、ありがとう」と言えばよい、

などという俗説とは違うのです。

嘘つきに騙らせるのがよくない。

前にも書いてますが、日本はポリネシア系で

ネイティヴ・ハワイ人はネイティヴ日本人の同胞です。

ホ・オポノポノについては、「フナー古代ハワイの神秘の教え」

という本から学ぶのがお勧めです。

https://www.amazon.co.jp/フナ―古代ハワイの神秘の教え-シャーロット-バーニー/dp/4478790612

 

そもそも、「真実をありのままに指摘してはいけない」

という右翼思想の根底にあるのは「権力者の

メンツを潰してはいけない。そんな事をすれば

逆ギレされるのが当たり前」という蛮賊の世界観であり

正道のいくさ(公正な議論)をよしとする

本来の日本人とは関係ないのです。

 

「不都合な正論はテロで抹殺するのが当然」

というのはファシスト蛮賊の思想。

 

 

<  20  >アヤワの秩序とワヤの無秩序

 

ひふみ神示には、アの身魂を中心に

ヤの身魂、ワの身魂が順を守って支えるのが

秩序という、アヤワという話があります。

それだけだと無味乾燥な言葉の羅列にしか

感じない方も多いかも知れません。

 

けれど、様々な事情に通じた上でよく読めば、

アがOO型、ヤがAA型、ワがBB型という話・・・かも知れません。

今はワヤになっているという話です。

悪神が上になり、天つ神が下になり、

国つ神が無きものにされているという話です。

 

続日本紀には、桓武天皇百済の血筋とあります。

実際、周りは百済人だらけです。

百済王族は高句麗・扶余と同じ系統です。

 

538年に百済仏教が渡来したと言われていますが、

その直前には、継体天皇と皇子たちが暗殺され

大伴金村も左遷されるという事態が起こっています。

 

尾張一宮・真清田神社や

越前二宮・剣神社には、

継体天皇の異伝が残されていたそうです。

 

<< 真清(ますみ)探當證(たんとうしょう) >>

後の雄略天皇は、帝が殺された事をいち早く知り、皇位継承の邪魔になる皇子たちを抹殺しようと計画し実行しました。市辺押磐皇子も殺害されたのですが、その子の億計王(おけのみこと)と弘計王(をけのみこと)の兄弟は難を逃れました。

時が流れて弘計王に生まれた子が後の継体天皇になる男大迹王(をほどのみこと)です

(21代)雄略天皇が亡くなり、二人の皇子は(22代)清寧天皇により都に迎えられ、まず弟の弘計王が即位し(23代。後世の諡号顕宗天皇)、続いて兄の億計王が即位しました(24代。後世の諡号仁賢天皇)。

男大迹王は億計王が即位するときに都に呼び寄せられました。

 

<< 剣神社盛衰記 >>

(24代)仁賢天皇の皇后はたぐいまれな美女でした。
右大将の武烈は、皇后に横恋慕して仁賢天皇を罠に落として退位させ、天皇に即位しました(25代)。

仁賢天皇の子供を宿していた皇后は、武烈の意に従わなかったので武烈に足を板で打たれました。
この足の傷に黒い羽がはえたので、後世にこの皇后を「足羽の宮」と呼んだそうです。

そして皇后は丸木船に乗せられて湖に流され、越の国に着きました。そこで炭焼きをする「藤太」に助けられて子供を産みました。
この皇子が後の(26代)継体天皇です。

*通説では仁賢天皇の娘の手白香皇女が継体の后。

継体が仁賢の子なら異母妹、継体が顕宗の子なら従妹となる。

 

ちなみに、加賀一宮・白山比咩神社のお膝元にも

鶴来(つるぎ)という地名があります。そして、

出雲国風土記の神須佐乃烏(かむすさのお)命の

御子にも、都留支日子(つるぎひこ)命という人物が

存在するのです。そして、出雲は新羅

越(北陸)方面と関りがあるわけです。

 

興味深いのは、織田信長公が、剣神社の神官の家系だという事です。

継体天皇応神天皇の5世子孫。

応仁天皇の母は神功皇后で、天の日矛の子孫とされています。

天の日矛は新羅系です。

新羅の最初の王は倭人とも言われます。

つまり扶余・高句麗百済王族とは系統が異なります。

おそらくは新羅の王族は元々はA型ではないかと。

扶余・高句麗百済王族はB型と考えられます。

 

信長公を御祀りする建勲神社を創始なされた明治天皇

この辺りの事情をご存じだったかも知れません。

明治天皇には都母(つぼ)の碑(いしぶみ)を見たがった

という逸話もあります。青森の千曳駅近くで発見された

日本中央(ひのもとのまなか)と書かれた岩がそれと考えられています。

 

武田信玄公が、織田信長公の比叡山焼き討ちを「神仏を恐れぬ悪行」

と糾弾する書状を信長公に送った際、天台座主沙門とか書いてあったそうで

それに対して信長公が「第六天魔王信長」と署名して返信した、

という逸話がありますが、将軍・足利氏や管領・細川なども比叡山焼き討ち

をしているし、比叡山延暦寺の僧兵も他山を焼いたりしています。

明智光秀が焼いたのは根本中堂だけで山全体が燃えたりはしてません。

そして、『太平記』には、こんな話があるのです。


天照太神第六天魔王との間に契約が交わされていたのである。 
日本に仏教が広まると第六天魔王の力が弱まってしまうと怒り訴える。 
天照太神は自分は三宝(仏・法・僧)に近づかないと誓う。 
それにより第六天魔王は怒りを鎮め、天照太神の子孫を日本の主(天皇)とし、 
天皇に逆らったり国を乱す者が現れたら、第六天魔王の一族がこれを懲らしめる事を誓う。

 

つまり、百済仏教系の桓武天皇藤原氏の血筋は

第六天魔王」との誓約に違反している。

 

そもそも比叡山延暦寺が美化され過ぎで

親鸞聖人の時代には既に、肉食もすれば

女遊びもしていた。信長公は宗教理解が深いからこそ

そうした殺人坊主をよしとしなかったと考えられます。

安土城には、三皇五帝孔門十哲、七賢、

釈門十大御弟子、釈尊御説法図なども描かれていたそうです。

 

そもそも仏教には不殺生戒(アヒンサー)があります。

厳密に言えば、人殺しは沙門(仏教徒)ではありません。

破戒僧です。比叡山は僧兵の根拠地です。

僧兵は人を殺してもよくて

そうでない武士や足軽は反撃してはならない

などと差別する方がおかしいのです。

殺してはならないというのなら

戦争そのものを否定するのが筋です。

 

日月神示 第十一巻「松の巻」

第六帖 (二九七)
「今の世に出てゐる守護神、悪神を天の神と思ってゐるから なかなか改心むつかしいぞ。今迄の心すくりとすてて生れ赤子となりて下されと申してあろが。早よ改心せねば間に合はん、残念が出来るぞ。」

 

ひふみ神示 第二十三巻「|三(海)の巻」

第十六帖(五〇八)
「世界に、人民に判らんめづらしき事を出すぞ、皆この神の仕組であるから、変りたこと、判らん事が愈々となったら、神代近づいたのであるぞ。役員には神示の肚に入った者がなるのざぞ、役員の御魂は沢山あれど、神示読まねば役員にはなれないのざぞ、なればスコタンばかり、長らく世に落ちて居た神人神々様を世にお上げせねば世はよくならんのざぞ、軽く見るから神示分らんのぢゃ、人も軽く見てはならんぞ。」

 

日月神示 第一巻「上つ巻」

第十三帖 (一三)

「この身魂はいづれも落ちぶれてゐるから、たづねて来てもわからんから、よく氣をつけて、どんなに落ちぶれている臣民でも、たづねて来た人は、親切にしてかへせよ。」

 

これだけ明白な革新神示を革新と理解できず

「保守」を妄信しているようだと

「上」をそのままにして、それに都合よい人物が

「下」から上がってくるかのように誤解するようですが。

そういう「常識的」な話ではないという事に氣づきましょう。

 

日月神示 第二巻「下(四百)つ巻」

第三十七帖 (七九)

「生れ代り死に代り鍛へてゐるのぞ、

ひつくの臣民 落ちぶれてゐると申してあろがな、

今に上、下になるぞ、逆立ちがおん返りて、

元のよき楽の姿になるのが近づいたぞ、

逆立ち苦しかろがな、

改心した者から楽にしてやるぞ、御用に使ふぞ。」

 

日月神示 第二十一巻「三ラ(空)の巻」

第二帖

「たばねの神は、束(たばね)の人は後からぢゃ、後から出るぞ」

 

科学的な事実が知れ渡って

神示も知れ渡って

なおかつ、ファシズム体制ではなく

なってないといけませんからね。

 

日月神示 第七巻「日の出の巻」

第十六帖 (二二九)
「悪の衣(ころも)着せられて節分に押込められし神々様御出でましぞ。此の節分からは愈々神の規則通りになるのざから氣つけておくぞ、容赦(ようしゃ)は無いのざぞ、それまでに型さしておくぞ、御苦労なれど型してくれよ。ヤの身魂 御苦労、石なぜもの言はぬのぞ、愈々となりてゐるではないか」

 

これは、結局は人が石から何を読み取るか?にかかっているかと思います。

世界中で、ペトログリフ(岩刻絵文字)と呼ばれるものが見つかっており、線1本はア、2本はオ、3本はウ、4本はエ、5本はイと読むそうです。

 

ひふみ神示 第二十七巻「春の巻」
第十七帖(六七四)
「アイウエオからアオウエイの世にうつって来るぞ。
アオウエイの世が天国ぢゃ。用意はよいか。」


ひふみ神示の後継などと自称していながら、
今どき「あいうえお」でやってるようなのは偽物ではないかと。

 

岩刻絵文字は日本では下関の彦島のが有名。
フェニキア人がイベリア系ケルト人を連れて行った所に多いらしく、
イベリア系ケルトにはオガム文字というものもあります。

 

 また「沖縄のロゼッタストーン」というものが沖縄県立美術館などにあります。

「2008年までに13枚発見され、1枚紛失しているので、現存は12枚ですが、戦後に米軍が144枚没収したともいわれています。」だそうです。

 

< 21 > 沖縄・辺野古の秘密

古墳時代でもその前期に限って、前方後円墳の中から、

鍬形石をはじめ、その形状の起源が南島(沖縄本島

トカラ列島)の貝にある石釧、車輪石が大量に出土し、

その分布の中心は「畿内」にあります。


これらのいわば沖縄型副葬品を旧国別の出土数でみると、
三角縁神獣鏡の出土にほぼ比例するそうです。しかし、これらは
4世紀半ば頃の崇神・垂仁「天皇」の時代に
意図的に破壊され、廃棄されているのだそうです。


これは「ヤマト」が沖縄と断絶したことを示唆し、
原初ヤマトとは思想的に全く異なる政権が
奈良に誕生したことを意味します。

 

私は崇神系王朝を崇神朝ヤマト(イリ王朝)と

呼んでいます。ハヤト主体のニニギ朝ヤマトとは

区別するようにしています。

 

名護博先生のおっしゃる所の「擬制日本」はイリ王朝。

名護博先生は混同なさっておられますが出雲は

ニギハヤヒ朝ヒノモトでイリ王朝とは別系統。

あるいはニニギ朝ヤマトと同系統かも知れません。

 

斎場御嶽世界遺産に登録される際の調査で、

御嶽の拝みの中心地の最下層から、弥生時代の人骨とともに、

須玖(すぐ)式土器と呼ばれる弥生時代中期(2000年~2400年前)の

福岡、佐賀県あたりで作られた土器のカケラが出土した事は

ほとんど知られていません。

 

須玖式土器は、神祭り用の場合はベンガラで赤く塗られています。

沖縄の弥生時代といえば、この系統の土器で占められているといってもよい程、各地に分布しています。鹿児島県の山の口式土器も、この系統の土器の中に含まれます。

なお、須玖系土器が出た遺跡の分布は、「赤椀の神歌」の分布範囲と、ほぼ重なるそうです。

 

辺野古の新基地予定地(V字滑走路案)には、貝塚時代の遺跡が存在します。キャンプ・シュワブ内には思原遺跡、思原石器出土地、思原長佐久遺物撒布地、大又遺跡の存在が確認されています。

中でも大又遺跡は、ヤマトの弥生時代を中心とする複合遺跡であり、辺野古集落に伝わる「赤椀の世直し」の神歌、伝説、また神々の乗り物ともみなされたジュゴンの存在とともに、原初のヤマト国家成立の謎を解くための重要な遺跡である可能性があります。

 

この砂浜は海兵隊員による水陸両用戦車の走行運転や上陸演習を繰り返している場所であり、埋蔵文化財破壊の可能性が大いに危惧されます。

なお、戦後の沖縄にある米軍基地はすべて重要な御嶽や拝所がある場所つくられたと云われているそうです。

 

ただし。ブッシュ政権の国務副長官だったアーミテージ氏は、沖縄の人が嫌がるのなら基地は辺野古でなくてもよいと言っているわけで、辺野古案は自民党政府からの要望の可能性もあります。弥生時代の歴史を抹殺したいのはフン族を含むアメリカ人ではなく、百済人ではないのかと。あるいはアーミテージ氏以上の上層部しか知れない事なのかも知れませんね。

 

海兵隊はかなり特殊な部隊でして、一般的な米兵はフレンドリーで親日です。犯罪率も「沖縄県民」よりも低いそうです。

 

何しろ移住者もたくさんいるみたいですからね。ジュゴンの話しかしない活動家などは、実際は辺野古の重要性を知られたくない、政府側の人間かと思われます。あるいは下っ端は何も知らないのかも知れませんが、遺跡の重要性を訴える事が上層部から無視され下層に伝わらないのも不自然です。下層にだって遺跡の話を聞く機会が少しはありそうなものですが。

 

大本神諭 明治41年旧10月15日
「今の世界の人民は、学で出来た智慧であるから、
吾に学があると鼻高に成りて、
人を見下げて、下へ落ちて居る者を、
脚で蹴飛ばさんばかりの世の中に成りて居るが、
これが外国の霊魂の性来であるぞよ。」

 

<  22  >「神話」の恐い所

旧約聖書もそうですが、古事記日本書紀

神話から始まっているものの、

 

途中から明らかに肉体を持った人間の歴史書

となっていきます。王族の覇権争い、

戦争などが出てきます。

 

中には、アマテラス大御神様とか

スサノヲの大神様なども

人間だったけれど、崩御後に

神霊として子孫から崇められる

ようになった、と解釈する方も

いらっしゃいます。

 

また「スサノヲの大神様」の所業として

描かれたものの中には、明らかに

孫悟空」風な、北方騎馬民族の神話と

似たような話が出てきます。

神名だけ借りているように見えます。

出雲国(いづものくに)風土記(ふどき)

では、そのような人物ではありません。

 

ですから・・・そういうものなのだ

と理解し、科学的に他の神話や伝承と

比較し、あるいは暗号なのかもと

いう視点から見る人も必要かも知れません。

 

独力でできる作業ではなく

多くの人が手分けして

あるいはそれぞれ独自に研究

したものを持ち寄って

やっと真相に近づける、というものかと。

 

そうした中で、最も問題なのが

雄略天皇」の存在です。

 

雄略天皇」という呼び方は

奈良時代に決められた漢風諡号(しごう、

おきりな)で、日本書紀では

大泊瀬(おおはつせ)幼武(わかたけ)天皇

古事記では大長谷王(おおはつせのみこ)と

呼ぶ事が多いです。他にもいろいろ呼び方があり

大悪(はなはだあしき)天皇(すめらみこと)

というものまであります。

 

その伝承をおおまかに書くと、

 

・『日本書紀』の暦法が雄略紀以降とそれ以前で異なること、『万葉集』や『日本霊異記』の冒頭にその名が掲げられていることから、雄略天皇の時代が歴史的な画期であったと古代の人々が捉えていたことが窺える。

 

・暴強たる様は、従姉妹にあたる反正天皇皇女たちへの求婚を「朝に皇子と会った者は夕方に殺され、夕方に会った者は朝に殺されると聞きます、顔も性格も良くない自分たちに皇子の妻は務まりません」と拒絶されるほどだった。

 

・穴穂天皇安康天皇)は皇后の連れ子である眉輪王(『古事記』では7歳とある)により父の敵として暗殺された。事件を知った大泊瀬皇子は動きの鈍い兄たちを非難し、まず八釣白彦皇子を斬り殺し、次いで坂合黒彦皇子と眉輪王をも殺そうとした。二人は葛城氏の円大臣の邸に逃げ込んだが、大泊瀬皇子は三人共に焼き殺してしまった。

 

・即位7年に最大の地域豪族であった吉備氏に対しても反乱鎮圧の名目で軍を送り(吉備氏の乱)、吉備下道臣(きびのしもつみちのおみ)前津屋(さきつや)や吉備上道臣(きびのかみつみちのおみ)田狭(たさ)の「反乱」を討伐して吉備氏を弱体化させた。

考古学的な調査からも、雄略が在位していたとみられる5世紀末頃より、地方豪族の首長墓から大型の前方後円墳が姿を消していることが確かめられている。

 

よいのでしょうかね??

このような人物を神格化して崇めて。

それでは「強ければ非道でもよいのだ」

というカルトの世界観になってしまう。

右翼の思想というのはそういうもので

宗教からは最もかけ離れた、背徳カルトの

世界観なわけです。

 

雄略天皇は、高句麗百済系くさい。

そもそも本当は人種が違うのではないかと。

 

でなければ、どうして叔母くらいの年齢の

前の天皇の后を皇后とする必要があるでしょう?

皇后との間には子はいませんし。

 

*なお、ひふみ神示においては血統の異なる者が

婚姻や養子縁組で背乗りするのは

「茄子の蔓に瓜をならすのは悪の仕組、

今の世はみなそれでないか」とされています。

超革新ひふみ神示 もくじ

https://cyrus2.hatenablog.jp/entry/2023/07/16/220718