昭和24年11月17日(1949年) ~昭和25年1月18日(1950年)
第四十一帖(五五二)
このほうの許へ引寄せた人民、八九分通りは皆一度や二度は死ぬる生命を神が助けて、めぐり取って御用さしてゐるのぞ。奉仕せよ。どんな御用も勇んで勉めよ。肚に手あてて考へて見よ。成程なあと思ひあたるであらうが。喉元すぎて忘れて居らうが。かのととり。ひつ九十
第四十二帖(五五三)
神示読めば神示の氣通ふぞ。神示読めよ。神示うつせよ。うつす御役 結構ぢゃなあ。うつせ。うつせ。人にうつせよ。世界にうつせよ。悪のミタマなごめ抱き参らすには理解大切ぢゃ。かのととり。一二十
第四十三帖(五五四)
野見よ。森見よと申してあらう。水の流れにも宗教あるぞ。これを人民勝手に宗教に一度下げるから、神冒すことになるのざ。引下げねば判らんし、心で悟れよ。覚(サ)めの生活 弥栄えるぞ。天国の礎、出足の地場は(二二)からぢゃ。二二(フジ)の道は秘文(ヒフミ)の道ぢゃ。和ぢゃ。かのととり。一二十
第四十四帖(五五五)
奉る歌書かして置いたに何故読まんのぢゃ。大き声で読み上げよ。歌うたひ呉れと申してある時来てゐるぞ。歌でイワトひらけるぞ。皆 歌へ唄へ。各も各も心の歌つくって奉れよ。歌結構ぞ。
ひふみゆら、ひふみゆらゆら、ひふみゆらゆら。
かけまくも、かしこけれども、歌たてまつる。
御まへに、歌たてまつる、弥栄(ヤサカ)み歌を。
世を救ふ、大みゐわざぞ、みことかしこし。
まさに今、神のみことを、このみみに聞く。
三千世界、救ふみわざぞ、言(コト)ただし行かな。
大神の、しきます島の、八十島(ヤソシマ)やさか。
天かけり、地(クニ)かける神も、みひかりに伏す。
堪へに堪へし、三千年の、イワトひらけぬ。
したたみも、いはひもとほり、神に仕へむ。
大稜威(オオミイヅ)、あぎとふ魚も、ひれ伏し集ふ。
かむながら、みことの朝を、みたみすこやかに。
神の子ぞ、みたみぞ今の、この幸になく。
国原は、大波うちて、みふみを拝す。
天もなく、地もなく今を、みことに生きん。
大みつげ、八百万神も、勇みたつべし。
天地の、光となりて、みふで湧き出づ。
一つ血の、みたみの血今、湧きて止まらず。
大みこと、身によみがえる、遠つ祖神(オヤ)の血。
すでに吾れ、あるなし神の、辺にこそ生きん。
高鳴るは、吾か祖の血か、みつげ尊し。
吾れあらじ、神々にして、祈らせ給ふ。
天地も、極まり泣かん、この時にして。
かつてなき、大みつげなり、たたで止むべき。
天地も、極まりここに、御代生れ来ん。
大き日の、陽にとけ呼ばん、くにひらく道。
みことのり、今ぞ輝き、イワトひらけん。
宮柱、太しき建てて、神のまにまに。
抱き参らせ、大御心に、今ぞこたへむ。
言いむけ、まつろはしめし、みことかしこし。
ただ涙、せきあへず吾(ア)は、御(オン)まへに伏す。
ささげたる、生命ぞ今を、神と生れます。
大まへに、伏すもかしこし、祈る術(スベ)なし。
今はただ、いのちの限り、太道(オミチ)伝へむを。
祈りつつ、限りつくさん、みたみなり吾れ。
いのち越え、大きいのちに、生きさせ給へ。
ひたすらに、みことかしこみ、今日に生き来し。
言霊の、言高らかに、太陽(オオヒ)にとけな。
天に叫び、吾れにむちうち、今日に生き来し。
あらしとなり、あまかけりなば、この心癒えむか。
走りつつ、今海出づる、大き月に呼ぶ。
みみかくし、生命と生れて、遠つ祖神(オヤ)さか。
神々の、智は弥栄え、此処に吾れたつ。
みたみ皆、死すてふことの、ありてあるべき。
あな爽け、みたみ栄(ハエ)あり、神ともに行く。
さあれ吾の、生命尊し、吾(ア)を拝(オロガ)みぬ。
みづくとも、苔むすとても、生きて仕へん。
いゆくべし、曲(マガ)の曲こと、断たで止むべき。
かへりごと、高ら白さんと、今日も死を行く。
追ひ追ひて、山の尾ことに、まつろはさんぞ。
追ひはらひ、川の瀬ことに、曲なごめなん。
みことなれば、天(アメ)の壁立つ、極み行かなん。
と心の、雄たけび天も、高く鳴るべし。
まさ言を、まさ言として、知らしめ給へ。
たな肱(ヒヂ)に、水泡(ミナワ)かきたり、御稲(ミトシ)そだてんを。
むか股に、ひぢかきよせて、たなつつくらむ。
狭田長田、ところせきまで、実のらせ給へ。
神々の、血潮とならん、ことに生き行く。
言さやぐ、民ことむけて、神にささげん。
にぎてかけ、共に歌はば、イワトひらけん。
大き日に、真向ひ呼ばん、神の御名を。
道端の、花の白きに、祈る人あり。
拍手(カシワデ)の、ひびきて中今(イマ)の、大きよろこび。
悔ゆるなく、御まへに伏し、祝詞(ノリト)申すも。
祝詞せば、誰か和し居り、波の寄す如。
のりと申す、わが魂に、呼ぶ何かあり。
御まへに、額(ヌカ)づきあれば、波の音きこゆ。
悔ゆるなき、一日(ヒトヒ)ありけり、夕月に歩す。
曇りなく、今を祝詞す、幸はへたまへ。
奉る、歌きこし召せ、幸はへ給へ。
ひふみよい、むなやここたり、ももちよろづう。
かのととりの日。
※ 年・歳(とし)は本来、稲などの実りだそうです。
1回の実りに1年かかるので、派生して、1年のことを「年」ということになったらしいです。
漢字の「年」も原義は穀物の成熟だそうです。
第四十五帖(五五六)
相談相談と申して、見物を舞台にあげてならん。見物は見物席。祈り祈り結構と申して、邪の祈りは邪の道に落ちるぞ。色々のお告げ出ると申してあらうが。今その通りぢゃ。お告げに迷ふぞ。審神(サニワ)して聞けと申してあらう。審神して聞け。判らなくなれば神示見よ。(十一月裏四日)一二十
第四十六帖(五五七)
今度の仕組、まだまだナルのぢゃ。なってなってなりの果てに始めて成るぞ。生むぞ。先づ金が無ければと申してゐるが、その心まことないぞ。キがもととあれ程申しても未だ判らんのか。役員どうどうめぐり。(十一月裏四日)一二十
第四十七帖(五五八)
ナルとは成る言(コト)ぞ。成るは表、主(曰(シ)ゆ)ぞ。ウムとは✡(六芒星の中に・。ウム)のこと。生むは裏、従(二ゆ)ぞ。ナルは内、ウムはソト。ナルには内の陰陽合せ、ウムにはソトの陰陽合せよ。成ると生むは同じであるぞ。違ふのぢゃぞ。成ることを生むと申すことあるぞ。生むこと成ると見ることあるぞ。ナルとは@(渦。「の」と同じ巻き方。以下同様。ナル)こと、自分が大きく成ることぞ。自分の中に自分つくり、内に生きることぞ。ウムとは自分の中に自分つくり外におくことぞ。このこと判れば石屋の仕組判る。(十一月裏四日)一二十
第四十八帖(五五九)
神の御用と申してまだまだ自分の目的立てる用意してゐるぞ。自分に自分がだまされんやうに致しくれよ。自分の中に善の仮面を被った悪が住んでゐるに氣つかんか。はらひ清めの神が◎三@(スサナル)の神様なり。サニワの神は|曰十@の九ん二ん(ウシトラのコンジン)様なり。それぞれにお願ひしてから、それぞれのこと行ぜよ。この道に入って始の間は、却って損したり馬鹿みたりするぞ。それはめぐり取って戴いてゐるのぞ。それがすめば苦しくても何処かに光見出すぞ。おかげのはじめ。次に自信ついて来るぞ。胴がすわって来るぞ。心が勇んで来たら、おかげ大きく光り出したのぢゃ。悪の霊はみぞおちに止まりかちぞ。霊の形は肉体の形、肉体は霊の形に従ふもの。このこと判れば、この世のこと、この世とあの世の関係がはっきりするぞ。足には足袋、手には手袋。(十一月裏四日)|曰十@(ウシトラ)
第四十九帖(五六〇)
上の、一番の番頭、大将が悪いのではない。一の番頭がよくないのざ。親に背くはよくないが、真理に背くは尚悪い。眷族さんにも御礼申せよ。大神様だけでは仁義になりませんぞえ。月日様では世は正されん。日月様であるぞ。日月様が、☉Θ㊉(〇に・、〇に・・、〇に十。ヒツキ)様となりなされて今度のイワトびらき、あけるぞ。ふで当分二を通じて出せよ。あたえよ。👁(絵文字の目)と二と千とセとワとホとは、先づ奥山。十二月七日。一二十
第五十帖(五六一)
口で云ふことよくきけよ。肉体で云ふこと、神の申すこと、よく聞きわけ下されよ。霊媒通じてこの世に呼びかける霊の九分九分九厘は邪霊であるぞ。はげしくなるぞ。世界一平まだまだ出来さうで出来ない相談。奥の奥、見通して下され。うごきは必要であれど、皮むくぞ。次も駄目、次も駄目、その次の次がまことの一家ぢゃ。寒い所 暖かく、暑い所 涼しくなるぞ。仏には仏の世界はあれど、三千年でチョンぞと申してあらう。神示しめすに、順乱して来るぞ。慾出して下さるなよ。順乱れる所に神のはたらきないぞ。人民 自由にせよと申して、悪自由してならん。(十二月七日)一二十
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