超革新ひふみ神示

超革新ひふみ神示

ひふみ神示は、金をかけて先入観を植え付けようとする勢力を称賛などしてません。 「神で食うて行くことならん」ともあります。 虚心坦懐に読んでみてください。

ひふみ神示 第二十七巻「春の巻」11~20帖

昭和27年1月27日(1952年) ~昭和27年2月15日(1952年)


十一帖(六六八)

内の自分は神であるが、外の自分は先祖であるぞ。祖先おろそかにするでないぞ。先祖まつることは自分をまつることぞ。外の自分と申しても肉体ばかりでないぞ。肉体霊も外の自分であるぞ。信じ切るからこそ飛躍するのぢゃぞ。不信に進歩弥栄ないぞ。肉体霊も外の自分であるぞ。まかせ切るからこそ神となるのぢゃ。神に通づるのぢゃ。他力で自力であるぞ。真剣なければ百年たっても同じ所ウヨウヨぢゃ。一歩も進まん。進まんことはおくれていることぞ。真剣なれば失敗してもよいと申してあろうが。省みることによって更に数倍することが得られるのであるぞ。いい加減が一旦成功しても土台ないからウタカタぢゃ。下座の行、大切。

 

第十二帖(六六九)

無くて七癖、七七四十九癖、悪い癖 直して下されよ。天国へ行く鍵ぞ。直せば直しただけ外へひびくものが、かわって来るぞ。よくなってくるぞ。かわって来れば、外からくるもの、自分に来るもの、かわってくるぞ。よくなってくるぞ。幸となるぞ。よろこび満ち満つぞ。神みちみちて天国ぢゃ。一升桝もってきて一斗入れよと人民申しているが、神は一斗も二斗も入れてやりたいなれど、一升桝には一升しか入らん。大き桝もって来い。頂くには頂くだけの資格いるぞ。一歩づつ進め。一歩づつ絶えず進めよ。それより他に道はないのぢゃ。

 

第十三帖(六七〇)
自分はよいが、世の中が悪いのぢゃと申しているが、その自分省みよ。自分が神の理(ミチ)にあり、真実であるならば、世の中は悪くないぞ。輝いているぞ。自分にふりかかって来る一切のものは最善のものと思へ。如何なる悪いことも それは最善のものであるぞ。この道理よくわきまへて下されよ。真の神を理解すれば、一切の幸福 得られるのぢゃ。世を呪ふことは自分を呪ふこと、世間や他人を恨むことは自分を恨むこと。このこと悟れば一切はそこからひらけくるぞ。十のもの受けるには十の努力。

 

第十四帖(六七一)

どんな草でも木でも その草木でなければならん御用あるぞ。だから生きているのぢゃ。そのはたらき御用忘れるから苦しむ。行き詰る。御用忘れるから亡びるのぢゃ。個人は個人の、一家は一家の、国は国の御用がある。御用大切、御用結構。日本が変って世界となったのぢゃ。自分の為ばかりの祈りには、自分だけの神しか出て来ない。悪の祈りには悪の神。善の祈りには善の神。始めの間は中々判らんものぢゃ。神様のなされるマネから始めて下されよ。

 

第十五帖(六七二)
思ふようにならんのは、天地の弥栄、育成化育にあづかって働いていないからぞ。今の世界の行き詰りは、世界が世界の御用をしてないからぢゃ。神示よめよ。秘文(ヒフミ)世界にうつせよ。早ううつせよ。早ううつせよ。人間の智のみでは世界はよくならん。裏側だけ清めても総体は清まらん。神にめざめねばならん。愛にも内のものと外のものとがある。愛と申せば何でもよいと思ふていてはならん。愛の悪もあるぞ。総てこの通りぢゃ。上の、より高いところから来るから奇跡と見へ、偶然と見へるのぢゃ。神からの現われであるから、その手順が判らんから偶然と見へるのぢゃぞ。偶然の真理さとれと申してあろう。これが判れば大安心。立命

 

第十六帖(六七三)

あなたまかせ、よい妻と申してあろうが。神まかせがよい人民であるぞ。この神とみとめたら理解して、マカセ切れよ。太元の神さまにホレ参らせよ。真の信仰の第一歩ぞ。雨降らば雨を、風ふけば風を、一先づ甘受せよ。甘受した後、処理して行かなならん。受けいれずにハネ返すのは大怪我のもと。何回でも何回でも同じことくりかえさねばならんことになるぞ。何か迫り来るのは、何か迫り来るものが自分の中にあるからぞ。内にあるから外から迫るのぢゃ。自分で呼びよせているのぢゃ。苦しみの神、因果の神 呼んでおいて、不足申している者 多いのう。自分で呼びよせながら嫌がってハネ返すテあるまいにのう。同じものでも表からと裏からとでは違ふのぢゃ。同じ目で見ても、ちがってうつるのぢゃ。心得よ。

 

第十七帖(六七四)
希望は愛の現れの一つ。どんな時、どんな人にも与へられているのぢゃ。希望にもえつつ、現在を足場として生きよ。呼吸せよ。同じことしていても、希望もつ人は栄え、希望なき人は亡びる。希望は神ぞ。アイウエオからアオウエイの世にうつって来るぞ。アオウエイの世が天国ぢゃ。用意はよいか。今の世は道具ばかりぢゃ。使ふ人民、早うつくれよ。

 

第十八帖(六七五)
使命がいのち。上から、神から命ぜられたことがいのちぞ。使命はつくられた時に与えられる。使命なくてものは生れんぞ。自分の使命は内にききつつ外にきけよ。使命果たすがよろこびぞ。使命果たすには生命がけでなくてはならん。生命ぢゃからのう。努力した上にもせなならんぞ。努力には苦もあるぞ。苦のない努力ないぞ。右を動かせば左もうごくぞ。果たせば苦は楽。果たさねば楽も苦。重荷あるからこそ、苦あるからこそ、風にも倒れんのぢゃ。神が主であるぞ。

 

第十九帖(六七六)

小乗の行と馬鹿にするでないぞ。理屈で神を割出したり、そろばんでハヂキ出したり、今の鼻高さんはしているなれど、何処まで行っても判りはせんぞ。土耕す祈りに神の姿現はれるぞ。とどまってはならん。いつも弥栄々々に動いて行かなならん。大中心に向って進まねばならん。途中には途中の、大には大の、中には中の、小には小の中心はあるなれど、行く所は一つぢゃ。ぢゃと申して小の中心を忘れてはならん。神は順であるぞ。先づ小の神から進んで行けよ。ほんとのこと知るには、ほんとの鍛練いるのぢゃ。たなからボタモチ食っていては段々やせ細るのみ。鍛えよ鍛えよ。鍛えればこそ光出て来るのぢゃ。

 

第二十帖(六七七)
他力の中の自力ぢゃ。ぢゃと申して、まかせきったと申して、ふところ手ならん。自力大切ぢゃ。まつりは常住坐臥にあるぞ。拝むばかりではならん。拝むまつりはまつりのカタぢゃ。カタから入るのが入り易いが、この程度の境地では戒律いるぞ。カタに囚われてはならん。戒律の世界にいつ迄もいてはならん。十年たてば十才になるぞ。恩、知らねばならん。恩に報ひなければならんぞ。人民、天地の恩 忘れているから、喜び少ないのぢゃ。ものの順序わきまえねばならん。悪平等ならん。政治や経済は裏、二義的のもの。

 

ひふみ神示 全文

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