超革新ひふみ神示

超革新ひふみ神示

ひふみ神示は、金をかけて先入観を植え付けようとする勢力を称賛などしてません。 「神で食うて行くことならん」ともあります。 虚心坦懐に読んでみてください。

神霊体・幽体などの認識

宗教とかスピリチュアル系の話は

基本的に学校で教わる事はないわけですが

興味を持つ人はいるわけで

そういう方は「新興宗教」の客層になりやすいかも知れません。

 

また、例えば「仏教」とか「キリスト教」を

学術書などで学んだところで

そういう情報はなかなか出てきません。

 

そこで、今回は少し、宗教的な世界観の基本的な部分に

ふれておこうかと思います。

 

幽体離脱」という言葉は、テレビでも放送される

事があるので、聞いたことがある人は多いでしょうね。

 

ドラマや映画では、半透明で描かれるけれど

実際は、霊能者でないと見えない事も多い。

けれど、一般的に見えない体の中では

一番波動が物質に近く、粗い、らしい。

 

これを神道では「ニギみたま(和魂、和霊)」と呼び

英語ではSoul(ソウル、魂)と呼んでいるかと思います。

 

さらに繊細な波動で、魂より内奥に存在するのが

神霊体。神道では「サチみたま(幸魂・霊)」、

英語ではSpirit(スピリット、精神)とか

ホーリー(聖なる)をつけて聖霊、あるいは

エンジェル(天使)とか呼んでると思います。

 

もっとも、肉体を持つ人の神霊体を天使と

呼ぶ事は稀でしょう・・・天使の化身と呼んだり、

聖霊をハイアー・セルフ(上位の自分)と呼んだり

する事はあるけれど。

 

肉体・魂(幽体)・神霊体のさらに内奥の

微妙な波動の存在が奇魂(くしみたま)ですが

これはいわゆる良心(conscience)とか、

インド哲学アートマンと呼ばれる存在と考えます。

幽体・神霊体の図

ですから「我は汝の幸魂奇魂なり」とは

「我はそなたの神霊体である」という意味になるかと。

奇魂(アートマン)まで行けば皆一つかも知れないので。

 

そして、「アラみたま(荒魂、荒霊)」とは肉体の事。

 

この理解だと非常にいろんなものが

わかりやすくなると思うのですが

 

一霊四魂などで検索すると、また別種の見解が

出てくるかと思います。

大本教出口王仁三郎聖師様のボディーガードを

なさっておられた合気道植芝盛平先生などの。

 

植芝先生の事はリスペクトしていますが

ここの見解は私は違っています。

 

荒魂を勇猛心とは考えておりません。

「あら」は現れ(あらわれ)、

表れ(あらわれ)、粗(あら)い波動

などの「あら」ですから、荒魂とは肉体と考えます。

現身魂と書いた方がよいかも知れません。

 

少なくとも神社の御祀神に

天照大神の荒魂」などとある場合は

「勇猛心」と解釈するよりも

「うつしみ」「肉体を持って現れたお人」

と解釈した方が理解が進むと思われます。

 

また・・・特殊な例として

皇祖ニギハヤヒ大神様の事を

奇魂(くしたま)と申し上げる場合もあります。

これは豆知識程度に。

 

初心者の方は奇魂とは良心、アートマンなのだ

と理解しておくと良いかなと思います。

 

いや・・・肉体・幽体・神霊体の次が

すぐアートマンというのはかなり簡略化した話かも。

 

ひふみ神示 第二十五巻「白銀(しろがね)の巻」

第一帖 (六一二)

「あの世では、そなた達の心を肉体としての人がゐるのであるぞ。それがカミと申してゐるものぞ。あの世の人をこの世から見ると神であるが、その上から見ると人であるぞ。あの世の上の世では神の心を肉体として神がゐますのであって限りないのであるぞ。」