超革新ひふみ神示

超革新ひふみ神示

ひふみ神示は、金をかけて先入観を植え付けようとする勢力を称賛などしてません。 「神で食うて行くことならん」ともあります。 虚心坦懐に読んでみてください。

万教同源 宗派の差異

小難しい話になるかも知れません。

 

キリスト教」という記事で

敵を愛し、迫害する者のために祈れ」

という福音書の御教えは

旧約聖書の世界とは異質とか書きましたが

https://cyrus2.hatenablog.jp/entry/2022/08/23/001315

そうは言っても、旧約聖書新約聖書

セットにしていたからこそ忘れられてない事もあります。

 

新約聖書のエリヤ

https://ja.wikipedia.org/wiki/エリヤ

イエス・キリストの変容の際、エリヤはモーセと並んでイエスの傍にあったものとして書かれていることにも、その位置づけの大きさが伺われる。エリヤの死が聖書に記載されていないことから、1世紀当時、エリヤが再来するとの伝承があったことが、新約聖書などから知られる。洗礼者ヨハネイエス・キリストも、一部からはエリヤの再来とみなされたようである。これはメシア預言と複合して、来るべき救世主の再来を告げるものとされた。福音書は洗礼者ヨハネをこれに比定して書かれている。

 

・・・いや、私は普通に、聖書は輪廻転生を認めていると思います。

どこだったか覚えてないけれど、そう思わせる個所はいくつかあったかなと。

 

エリヤはアハブ王の時代の人とされていますが、

アハブ王の「治世」は紀元前869-BC850とか。

https://ja.wikipedia.org/wiki/アハブ

その後、800年以上も肉体が生きていると

思われてたのでしょうか?違うのではないかと。

 

エリヤはアハブ王と対立する立場の人、

つまり「体制革新」側の人です。

朱子学ファシズム、右翼思想、差別主義)では

「悪人」となるかも知れません。

「体制保守」に不都合な人士。

「上司や社会的権威は

絶対に部下や被支配層より正しいに

決まってる!!!批判する者は悪人に

決まってる!!処刑せよ、抹殺せよーー!!!」

みたいなファナティックな思想ではないわけです。

 

エリヤから後継者に指名されたエリシャは

アハブの子ヨラムを倒したエヒウを祝福したという。

 

ところが、客観的に歴史上のエヒウを見ると

イスラエルの滅亡を早めた暗君という評価もある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/イエフ

 

 ややこしいですがアメリカ英語だと

 エリヤ(Elijah)はエライジャ、

 エリシャ(Elisha)はエライシャです!

 

ともかく、旧約聖書の人物が

出てくる部分があるので、

旧約聖書が完全に忘れさられると

困る人もいらっしゃるだろうし

残すだけの意義というか、分割しない意義もあるかなと。

 

今のローマ・カトリック教会などは

輪廻転生を認めてないのかも知れませんが

旧約聖書新約聖書には、

「転生などあるはずないに決まってる!」

という世界観は、必ずしも存在しません。

 

 ちなみに英語で輪廻転生は

 「リインカーネイション(再具現)」

 とか言います。Re-incarnation.

 インカーネイション(具現、化身)は

 スペイン語だとエンカルナシオンです。

 菊池雄星投手のマリナーズ時代の

 チームメイトにそういう名の選手がいましたね。

 

そもそもナザレのイエス=キリスト様は、人々から「ダヴィデの子」と呼ばれています。「子孫」くらいの意味かも知れないけれど、では父親などもそう呼ばれていたかと言えば、そうでもない所などから考えても、「ダヴィデの子の生まれ変わり」みたいな意味合いの方が強かったのではないかと。

 

エス様御自身は「人の子」と自称されていて

ダヴィデの子」とは自称されていませんが

預言者エゼキエルなどは、神々(天使、聖霊)から

「人の子」と呼ばれていたようです。

 

旧約聖書新約聖書ヘブライ語とか

アラム語とかの原典で全て読んだわけではないけれど。

だから「人の子」が全く同じ表現なのか詳しくは知りませんが。

 

「神」とか「主」とか訳されてる個所には

「アドナイ(主)」「エル(神)」「エロヒム(神々)」

などがある事は知っています。

ユダヤ教一神教と言うけれど、天使・聖霊などと

呼び分けても、それが日本語で言う神である事には

変わりないでしょう。

エロヒム」を複数形でないと言い張るのは

ちょっとおかしくないかと。

 

だからまぁ、強引に宗派の違いをつくるのも

いかがなものかと思うわけです。

 

その土地・部族などの風土・歴史などに合った

宗派というものが、分かれるだけの事情もあり

強引に統一する必要もないですが。

先祖が大切にして来たものとか、

自分の前世の縁などもあるし。

 

例えばイスラム教ですが

皆さんよく勘違いされがちですが

預言者ムハンマドマホメット)が

一夫多妻を提唱したわけではなく

アラビアは、もともとそういう世界だったわけです。

戦乱が続けば男が減り、女の方が多くなりがちで

そうなると一夫多妻になりがちなのです。

むしろそこに制限を設けたのがイスラム教です。

 

アラビアは地理的に「イスラエル」と近い。

むしろアブラハムなどがいたのは

シュメールの都市国家でして

アラビア湾=ペルシャ湾あたり、

チグリス川・ユーフラテス川のあたりから

話がはじまるわけです。(下の雛形地図で言えば

伊勢湾あたり、木曽三川あたりから。)

カナーンの地(地中海側、上の雛形地図の

大阪湾・レバノンあたり)に行くのは後の話。

それで、旧約聖書イスラム教の聖典でもあります。

 

だからといって、強引にイスラム教と

キリスト教を「帰一」させるのは難しい。

やはり地理的・歴史的な違いはある。

 

ひふみ神示 第四巻「天つ巻」
第十五帖 (一二二)
神の国には神の国のやり方あるぞ、支那には支那、オロシヤにはオロシヤ、それぞれにやり方がちがふのざぞ、教もそれぞれにちがってゐるのざぞ、元は一つであるなれど、神の教が一等よいと申しても、そのままでは外国には通らんぞ、このことよく心にたたんでおいて、上に立つ役員どの気つけて呉れよ、猫に小判何にもならんぞ」

 

フリーメイソン」の思想が

「あらゆる宗教は元は一つ」

「万教帰一」みたいなものらしくて

そういう思想を大義名分として宣伝して

ファシストが世界を傘下に収める事を危惧する向きもあるわけです。

 

ですが、正教は元は一つ、とは言えるかなと思います。

私の中では矛盾は存在しないというか、解消できます。

 

ただ、他者に危害を加える犯罪を正当化する

自己中心的な差別思想・背徳カルトとは

本来の宗教は違うと思います。

そこは「帰一」できるはずもない

矛盾したもの。

相互補完関係にあるなら和す事もできますが

矛盾したものは和す事はできません。

 

ちなみに、記事タイトルに「万教帰一」を

入れたのは、「万教同源」で検索したら

上位に表示されたWikipediaの記事タイトルが

「万教帰一」だったからです。変更するかも。

 

「エリヤとエリシャ」の話に戻りますが

「エリヤの再来が洗礼のヨハネ」ならば

ナザレのイエス様はエリシャの再来では?」

と思う人も、当然いらっしゃいます。

そういう世界観と一致するかも知れないのが

大本教霊界物語です。

大本神諭とは別です。

 神諭は開祖・出口なお様が霊媒となり

 仮名文字で自動書記なされたものを

 入り婿の出口王仁三郎聖師様が

 漢字と読み仮名などに変換なされたもの。

 これに対し霊界物語は聖師様の「幻視」

 のようなものを書記に書き取らせて

 また聖師様が校正なされたものだったかと。

 

霊界物語 神世開基と神息統合
ヨハネとキリスト)
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm0124

 

そういう思想は「キリスト教徒」には

受け入れられないかも知れないけれど

いかなる「教祖」をも絶対視する事なく

客観的に評価しようとする場合は

決して、受け入れられない思想でもないかなと。