超革新ひふみ神示

超革新ひふみ神示

ひふみ神示は、金をかけて先入観を植え付けようとする勢力を称賛などしてません。 「神で食うて行くことならん」ともあります。 虚心坦懐に読んでみてください。

大本教団と有栖川宮

江戸幕府最後の将軍」徳川慶喜

有栖川宮の血を引いてる事を知りました。

 

慶喜孝明天皇

https://cyrus2.hatenablog.jp/entry/2023/05/01/220005

そのため、むしろ新しい王朝を創始しようという意図も

持っていたらしい。

 

大本教出口王仁三郎(聖師)様には、

有栖川宮熾仁親王落胤という話もあるので

徳川慶喜は遠い親戚という事になります。

 

系図にするとこんな感じ。

有栖川宮家は名前の漢字が似ていてややこしい。

織仁(おりひと)

韶仁(つなひと)

幟仁(たかひと)

熾仁(たるひと) です。

 

大工の娘・桐村なおは、福知山藩から表彰される

ほどの孝行娘だったそうで、黒船来航の直後くらいに

親戚の出口家の養子となり、やがて大本教の開祖様

となるわけです。

 

苗字を認められていたという事ですが

そもそも庶民も苗字はあったけれど

公式文書に残す事を禁じられていた

という説が現在では有力です。

 

上田家も丹波にいました。信州上田などという

デマを流してるのもいますが、連中は

朝鮮人の罪を日本人に被せたいだけ。

笹川大本教弾圧した側の人物ですよ?

 

聖師様(出生時は上田喜三郎)の

養父は佐野梅吉。上田家に婿入りして

田吉松とされています。

祖父も吉松と名乗っていたそうです。

 

けれど、実は聖師様は有栖川宮

熾仁(たるひと)親王の御落胤とされています。

祖母の上田宇能(うの)という人が

有栖川宮の侍医だった中村孝道の家で育った

娘、姪、妹などと言われている。

 

明治5年になって戸籍に登録する際に

出生年を1年ずらし、1871年で登録したが

実際は聖師様は1870年生まれなのだそうです。

母の上田世祢(よね)は証拠というか

形見の品として短剣などを授かっている。

 

「証拠の品々は、大正六年の秋頃、噂を知って穴太に詰問に走った出口すみが、上田よねに見せられている。白い小袖をちらと見ただけですみは衝撃のあまり穴太をとび出し、気づいたときは京都の二条駅に立っていたと後年よく語っていた。」

https://ameblo.jp/cyrus2/entry-11758580131.html

出口和明(やすあき)氏のホームページから転載した

逸文が残っていますが、

元の出口和明氏のホームページは

和明氏の他界後、削除されてしまっています。

すばらしいサイトだったので残念です。

 

鶴殿親子という人は、熾仁親王の親戚で

聖師様のお顔を見てよく似てると感じて

大本教に入信なされたそうです。

 

熾仁親王明治天皇即位後、

大正天皇が生まれるまで、

皇位継承順1位にいた人物。

 

それどころか、大正天皇

出生後も当初は1位でなかったと

書いてるサイトすら見受けます。

 

しかし熾仁親王明治天皇の東京遷都後も

京都にいたそうです。

そして、名古屋にも御落胤を残した

らしく、こちらは公式に文書に

名が残っています。

田中たまという人物が御落胤の母親だと。

その御落胤というのが、田中いく、

結婚して家口(やぐち)いく。

その子が家口榮二、のちの出口栄治氏だそうです。

 

田中たまさんは佐分慎一郎という方と結婚し

佐分(さぶり)眞という画家を産んでもいますが

母親の連れ子「いく」さんに佐分姓の時期があるかは不明。

 

家口榮二氏は出口直美様に婿入りなされた人物。

本来、直美様が大本教4代目教主だったはず

なのですが、出口栄二氏は社会主義国こそ理想世界

(みろくの世)としたため、大本に潜入した

右翼勢力から追放されたようです。

 

神示反日カルトの真逆

https://cyrus2.hatenablog.jp/entry/2022/10/11/214249

 

写真で見る第三次大本事件

大本信徒連合会・愛善荘

https://www.omt.gr.jp/o379

 

ひふみ神示日月神示)から大本教霊界物語

大本神諭などを学ぶ人も多いかと思いますが

それだと宗教法人おほもと(亀岡城と綾部)しか

知らないままで終わってしまいがち。

 

けれど、今はかつての大本教が分裂していて

どうも公安などに寄生され乗っ取られているような

状態のようだと、知っておかないと本質は

わからないかと思います。

※なお、創価学会なども、はじめは

 マジメな日蓮宗の集団で、単に

 無神論からの転向者の受け皿だった

 ために文部大臣などと関係もあった

 ようです。しかし戸田会長が「急死」し

 借金取り立てをしていた池田大作が継いだ。

 https://twitter.com/Camille_Dyalan/status/1650348124844736517

 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1381418623

 それから統一教会みたいになっていったようですから

 それより前に関わった方は裏社会の手下とも限りません。

 

大本雛形経綸

https://ameblo.jp/cyrus2/entry-11414817404.html

 

もっとも私は「おほもと」の第五代教主様も好きです。

昔からの信者さんが残っていらっしゃるのも知っています。

そういう問題ではなくて・・・周りがどういう人物に

主導されているか?という所に懸念すべき点があるのと

 

外部に教団の本質を継ごうとする有志が分散している事実、

本来の教主様が不遇である事実なども忘れてはならない

と思うのです。そして、この状態が何を雛形として

示しているのか?も考えるべきではないかと。

 

 * * * * * * * * *

 

例えば・・出口直(開祖)様を

大(おほ)日霊女(ひるめ)貴(むち)様、

出口王仁三郎(聖師)様をスサノヲ様とするなら

出口澄様は卑弥呼(ひみか)様、

出口日出麿(尊師)様はニギハヤヒ様、

出口直日様は白山菊理媛様、

出口栄二(本来なら教主補)様は応神天皇

出口直美様は瀬織津姫様となぞらえる事もできるかと。

 

あるいは家口顕氏をニギハヤヒ様、

田中いくさんを神功皇后

有栖川宮熾仁親王崇神天皇などに見立てたり。

完全に1対1で対応するわけでもないけれど。

藤原の血が入っているので

聖子様が持統天皇で京太郎氏が藤原不比等とかもありうるし。

今のおほもと教主様を中将姫様などに見立てる事も可能かと。

(中将姫様は白山菊理媛様の血筋と父から教わっている。)

https://ameblo.jp/cyrus2/entry-11758580131.html

 

ニギハヤヒ朝ヒノモトの東遷・北上

https://ameblo.jp/cyrus2/entry-11734676114.html

伊都能売神諭」「鳥海山」などに対する解釈も

隠された歴史を知っていた方が分かるかなと。

学術的・科学的・論理的にきっちり。

 

日本は本来、沖縄と同じように母系継承だった。

大本教はその伝統の復活でもあった。

そこに藤原の血が入って来て、

男系こそがどうのこうのと言い出す者も出てきた。

北朝は足利源氏かも知れないし

とはいえ桓武朝よりは本来の皇族に近いのかも知れないし

いろいろあるわけです。