意外な事実を知りました。
有栖川宮の血を引いていたため
様々な勢力から注目される運命にあった
という話です。(もっとも、徳川家と
皇族・公家の婚姻は珍しいわけでもなく
「皇女和宮」ばかり特別にとりあげる事で
間違った印象ができてるだけかも。また
江戸幕府は許可なく大名が結婚する事を禁じ
結婚や養子縁組で支配していたような面もある。)
それに・・・黒船来航時(1853年)の年齢は
こんな感じです。
(数え年みたいに1月1日で加齢しつつ
1才からでなく0才からはじめると。
やや数え年方式、だけど誕生日を考慮しない。)
<中年>
鷹司政通(関白)64
<壮年>
徳川家定(第13代将軍)29
<青年>
桐村なお(大本教開祖・出口直)16
<少年・幼年>
林利助(百姓の子→父が水井の養子→水井が伊藤の養子)12
祐宮(第2皇子→睦仁親王)1
朝廷の最高権力者が関白の鷹司政通で
岩倉具視はその門下だったなんて
知らなかったよ。
孝明天皇は15才で即位した21才。
64才の関白・鷹司政通に実権を握られていた。
黒船の浦賀来航の直後、
第12代将軍・徳川家慶が亡くなり
第13代将軍・徳川家定が即位。
天璋院篤姫がその正妻となるが
薩摩の名君と仰がれる島津斉彬は
黒船から5年後の1858年に死去。
伊藤博文は百姓の子・林利助だったが
黒船直後くらいに父親が水井武兵衛の養子、
さらに水井が伊藤弥右衛門の養子となった
事で13才頃に下級武士となる。
15才から松下村塾に通う。
尹(ユン)じゃなくて林(イム)だったのか。
*なお、西郷さんは「薩摩御用盗(ごようとう)」と恐れられるテロ集団をつくり、江戸市中で強盗・殺人・強姦・放火とあらゆる犯罪を行った。大店を次々に襲って、家人らを殺害し、大金を強奪し軍用金とした。
https://toyokeizai.net/articles/-/202622?page=5
のだそうです。それが事実なら、
確かに右翼ですね!右翼はよく西郷隆盛が先駆けみたいに
ほざいてるけど。極悪人だったのなら、確かに右翼だ。
犯罪の正当化、背徳カルト思想などが右翼の特徴ですからね。
もちろん私は原資料を見たことがなく、一人だけから聞いた話が絶対事実などと断言できる状態ではありませんので、よく知りもしないのに軽々しく敬称をはぶくのもどうかなと思い「さん」をつけておきますが。
京都は薩摩が制圧している状況で
徳川慶喜を京都に駐留させたのは
島津久光だった。
なぜそんなに軍事力があるかと言えば
イエズス会などが香港方面から来るのは
薩摩とか肥前だから。その手前に位置する
琉球も薩摩が支配しているから。
慶喜は後見人になるのを嫌がったが
いろいろあって後見人となり、
江戸幕府最後の、第15将軍となる。
なければ難しかった。けれど、孝明天皇と違い
実は開国やむなしという意見を持っていた。
なかなか難しい綱渡り状況だったそうだ。
慶喜は明確な開国思想を早い時期から持っていた。
にもかかわらず、孝明天皇の意向に沿った理由は、2つある。
https://toyokeizai.net/articles/-/446033?page=4
1つは、薩摩藩が政治を主導するのが許せなかったということ。
もう1つの理由としては、
つまり、徳川家と朝廷の両方の血が流れていたのである。
慶喜が政権を返上したことで、
薩摩は倒幕へと動けなくなった。
https://toyokeizai.net/articles/-/434971?page=2
岩倉具視はといえば、偽勅が発覚してはまずいと、
10月21日に密勅を取り消すというバタバタぶりを見せている。
薩摩の動向を踏まえれば、
むしろギリギリのタイミングでの起死回生の一策であった。
独特の政治的勘を持っていた慶喜
https://toyokeizai.net/articles/-/436653
いやはや・・・家康などよりずっと
難しい綱渡りみたいだよ。
真山知幸という方の話を聞く限りではね。
大きな流れの中で見ると、
徳川家は海外勢力の傀儡ないし窓口
あるいは藤原の手下という見方は変わらないけれど。
https://cyrus2.hatenablog.jp/entry/2023/01/07/205353
真光の開祖様も母方が徳川の血を引いてるそうです。
父方は織田の血を引いてるとか。どちらも
家系図などは公表されてないようですが。
家光の母親が秀忠の正室の江(おごう、おえよ)
家康とは違う要素が入ってくる。 家光の
とか千利休の血をこっそり入れてる可能性もある。
そもそも将軍家は吉宗の強引な即位からは
別系統の可能性がある。
徳川吉宗が将軍になるまでのミステリー
7名の重要人物が次々に死亡って!?
https://bushoojapan.com/jphistory/edo/2020/01/17/40299
見れなくなってる・・・勝手に他の記事に飛ぶ。
ttps://bushoojapan.com/jphistory/edo/2022/10/20/171517
暴れん坊・徳川吉宗~怪しすぎる8代将軍・誕生劇
http://indoor-mama.cocolog-nifty.com/turedure/2009/08/post-5db1.html
次々死んだ7名+αとは
鶴姫 1704年旧4月(綱吉の娘で綱教の正妻。27才、子を産む前)
綱教 1705年旧5月、39才で突然死(持病なし)
光貞 1705年旧8月(88才。綱教、頼職、吉宗らの父)
頼職 1705年旧9月、26才(藩主になって3か月)
綱吉 1709年旧1月、63才
家宣 1712年旧10月、50才
吉通 1713年旧7月、23才(持病なし)
家継 1716年旧4月、6才(病弱)
「家康がファシストだったから日本人は善良に
なった」みたいな馬鹿げた理屈をこねる方も
いますが、ファシストなんて大陸のどこでもいる。
「そのおかげで民衆が善化した」なんて事例は
多分どこにもない。善良さは国つ神・天つ神の
比べればよい。フィジーなども犯罪率は低い。
蛮賊が入ってくると悪化する。クズの分際で
恩着せがましい。朝鮮の罪人を部落に住ませたり
して今の外人横行につなげた張本人。罪は重い。
特亜がいない所にファシストはいない。
問題は大本営に盲従しないと殺すというやり口。
薩摩が琉球を攻めたのは参勤交代の負担が重いせい
家康のせいはあってもおかげで微々たるもの、
圧倒的マイナスと推測される。
日月神示 第十八巻「一火リ(ひかり)の巻」
第三帖 (三九九)
「人民 神とあがめよ、神となるぞ、
泥棒と見るキが泥棒つくるのぢゃ、
元の元のキの臣民 地(くに)の日月の神ぢゃと申してあろがな。」
※なお、「弱者救済する必要はない」と答える日本人が多い
などと言ってる者は、いかに日本人が酷使されてるか
知らない、生活保護などで暮らす外国人ではないかと。
「なぜ働かない他人のために負担しなければならない?」
と思う者も多い。当人が混血してるせいもあるかと。
一般的サラリーマン:シソンヌ長谷川みたいな(多め)、
LDHのNAOTOみたいな細目、兼近みたいな崩れめ二重、
リチャード・コシミズさんみたいな管理職、程度かな。
パッチリ二重まぶたの超絶美形サラリーマンではない。
神々はそういう者を幽界(がいこく)魂と呼び日本人とは呼ばない。
この辺の理解がなく犯罪階級が害人である事実を
棚に上げる者も日本人ではないはず。
* * * * * * * *
関連: 有栖川宮と大本教団
https://cyrus2.hatenablog.jp/entry/2023/05/02/000733
どうする家康?がダメなワケ