https://cyrus2.hatenablog.jp/entry/2023/03/24/004737
<1> 古代ギリシャの状況
現代の日本やアメリカの「民主政治」は
古代ギリシャのものとは違っているかと思う。
古代「市民」の権力と政治参加意識は
現代の「民主主義」国よりもかなり大きい
かも知れない。ただし
平民の下に奴隷がいたりしたかと思う。
古代ギリシャの周辺には
エジプト、ペルシャなどの大国や
辺境地域があった。
戦争は存在する世界だ。
捕虜が奴隷となる時代だ。
現生人類(ホモ・サピエンス)の起源が
アフリカにある以上、ナイル川周辺の方が
文明が古い。ヨーロッパには
あったりはするようだけれども、ギリシャまで
文明が連続しているかと言えば、関係不明だ。
ペルシャはチグリス=ユーフラテス川と近い。
メソポタミア文明のあった地域を
支配下に置いたりもしている。
インドに侵入してインダス文明を滅ぼし
今のインドが形成されていったとも
考えられていた。後に、アーリア人が
インダス文明を滅ぼしたわけではない
と考えられるようにもなった。
必ずしも戦った痕跡が残っているわけではないそうだ。
ギリシャ人どうしでの戦いもある。
都市国家と、その同盟が存在するだけで
ギリシャ人の統一政府があるわけではない。
近いかも知れないが、本来は違ったものを
無理に寄せてみせている、ようなものかも。
アメリカの場合、州によって法律に差がある
けれど、州の同盟というより、
一つの国というのが実態。
確かにヨーロッパの言語の多くは
インド=アーリア語族で、大げさに言えば
方言くらいの差しかないかも知れない。
(一部はフィン=ウゴール系などだけれど。)
けれど、一つの国とするのには、
古代ギリシャ諸国よりも差異も広がりも大きい。
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私は中学で世界史をどこまで教わったか
高校との差異をはっきり覚えていない。
大学受験してない人には
よくわからない話も書くかも知れない。
この時点で・・・読者層はある程度
限定されているのかも知れない。
<2> インドのアーリア人 金髪の北欧人
ペルシャ地域にあった時期があって
それが中国では安息国とか呼ばれている。
ペルシャとその周辺を知るのは
ヨーロッパから東アジアまでの
中間地域、つながりを知る事となる。
インド=アーリア語族は
北欧からはじまったわけではなく、
東欧からはじまったわけでもない。
サンスクリット語が最も高度な言語だ。
金髪の分布は北欧を中心としているが
これは日照の少ない北欧の気候に適応した結果。
ペルシャやインドでは、その必要はなく
黒髪が普通だし、ギリシャやローマでも同様。
南欧に金髪とか茶髪とかがいるなら
北から来た金髪との混血の結果だ。
ナチス・ドイツは、金髪碧眼高身長こそが
アーリア人の特徴とか言っていたようだけれど
幹部たちにそんなのはいないし
「金髪碧眼の北欧人」には隔たりがある。
そして・・・東に行くほど濃くなるのは
フィン・ウゴール系の言語は
ウラル=アルタイ語族の一種であり
文法はシュメール系とも言える。
そして、インドのドラヴィダ語族もまた
シュメール系の言語であり
受けている。そこへ、ウラル=アルタイ系の
銀英伝と同じ原作者が書いている
アルスラーン戦記では、テュルク系の蛮族とも
戦うのだけれど、そういう蛮族が
ウラル=アルタイ語族なのだ。
それを理解した時、作者の田中芳樹や
出版社の角川春樹は、「あれ?
もしかして自分たちを蛮族と描く
作品だったのか?」と思い至ったかも知れない。
(源義経と同一人物とは言ってないかと。)
「皆殺しの田中」と言われるほど
主要人物たちを殺しまくるに至ったのには
そういう事情もあるのかも知れない。
混同させるのは、フン族(偽アーリア、
偽ユダヤ)の謀略の根幹だと考えられる。
ここを見破っている高貴な人士は
現代の「学会」では、金をもらいにくいかも知れない。
権力・体制・大本営にとって不都合だからだ。
しかし、ここを理解する者は、容易に
虚構の世界観から解脱できる事となる。
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アルスラーン戦記は受験勉強の邪魔でなく
世界史の勉強にも役立っている。私の場合。
この点で弟の存在に感謝すべきかも知れない。
私がアルスラーン戦記を知ったきっかけは
弟がファイナルファンタジー好きで
天野喜孝のイラストも好きで
彼が表紙絵を書いてるアルスラーン戦記にも
はまっていったためである。
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ドイツを舞台にして専制政治について語るなら
「啓蒙専制君主」フリードリヒ2世を
避けて通る事はできないと思う。
しかし・・・銀英伝の皇帝たちがフリードリヒ2世と
似てるかと言えば、そうでもない。
名前だけは似ているフリードリヒ4世などが
登場するものの。
それにフリードリヒ2世を知りつくすのは難しい。
まずドイツ人だけれども「フランスかぶれ」だった。
また、イギリスとの外交の都合でと考えられているが
フリーメイソンに加入していた時期もある。
「王位に就いた後はフリーメイソンに冷淡になった。」
「フリーメイソンを弾圧するような政策こそとらなかったが
1747年頃にはメイソンリーの活動からほぼ退いていたとみられる」
とWikipediaには書かれている。
なお、amazonで「フリードリヒ2世」で検索すると
フリードリヒ大王で検索しないと。
フリードリヒ大王 啓蒙君主のペンと剣
ttps://www.amazon.co.jp/フリードリヒ大王-啓蒙君主のペンと剣-中公新書-飯塚信雄-ebook/dp/B00I7PO4FC/
「音楽の捧げもの」が生まれた晩: バッハとフリードリヒ大王
ttps://www.amazon.co.jp/「音楽の捧げもの」が生まれた晩-バッハとフリードリヒ大王-ジェイムズ・R・ゲインズ/dp/4560083592/
戦争論 縮訳版
ttps://www.amazon.co.jp/縮訳版-戦争論-カール・フォン・クラウゼヴィッツ/dp/453217693X/
『クラウゼヴィッツが絶対戦争の「信奉者」などでは決してなく、軍人らしく地に足のついた戦争観を持っていたことがこれまでのどの訳よりもはるかにクリアーに理解できます。』
Wikiには、主だった臣下の名なども挙げてあるが
日本の戦国大名をモデルに書いているかと思う。
(民に優しく、敵対者に厳しく、果断でやや短気だが
公正、実力主義で優秀な部下を抜擢し、因習を打破
という所は織田信長公と似ている。
高い絵画を渡そうとする者を贈賄の現行犯として
逮捕し、公表し範とせよなど濁る田沼の真逆。
戦う前に勝てる状況を作るとされてる点では
秀吉に近いが、私欲ある者とは組まない。
堺の商人と組むとか、敵を寝返らせる
みたいな描写は、ほとんど無かったはず。
オーベルシュタインに裏切られたりもしない。)
*なお、1776年前後はドイツ文学において
「疾風怒濤の時代」とされており、
ゲーテはヨハン・ヴォルフガングなので
疾風ウォルフガング・ミッターマイヤーは
強いて言えばゲーテがモデルと言えなくもない。
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幻想(詐欺宣伝)を根底に置いているようだ。
ラグナロック(神々の黄昏)云々に関しては。
話の大筋は反体制・革新なので、これは奇妙な事だ。
ポーランドを併合して東欧までひろがったドイツを
ヨーロッパで一番アーリア系の血が濃いかのように
思うと同時に、何故か北のスカンジナビア半島の
北欧神話に頼る。東の方が高度としているようでいて
インドのサンスクリット語の伝承に踏み込むわけ
ではなく、「ヨーロッパ」内に話を限定しがち。
そして・・・「ゲルマン人の大移動」を主導した
のがフン族ではないか、という疑惑にはふれない。
ウラル=アルタイ系の一種、フィン・ウゴール系
の言語を話す地域なのだ。B型比率が他より高めだ。
(北欧神話はフィン系ではないけれど。)
ドイツは西欧にも入り込んでいる。
1980年代まで、西ドイツは西欧、
東ドイツは東欧という状態だった。
1989年11月10日に「ベルリンの壁崩壊」が
はじまるまで。
のに都合のよい地域だったのだ。
ここで我々が注意すべき事は・・・
「日本」の大本営は扶余狗(プヨク)であり
混同させたがっているという事、はじめからずっと
反日親蛮であるという事だ。
日本の敵は大本営にあり!
ここをしっかり理解している人ばかりであれば
謀略は崩れ去る。大本営発表を妄信せず
吟味・検証する人、確かめる人ばかり
であれば済むのだ。だからプヨクは
「決めつけなければならんのであーる!!
異論を唱える者は悪に決まってるのであーる!!
殺す殺す殺すーーーー!!!」という風なわけです。