超革新ひふみ神示

超革新ひふみ神示

ひふみ神示は、金をかけて先入観を植え付けようとする勢力を称賛などしてません。 「神で食うて行くことならん」ともあります。 虚心坦懐に読んでみてください。

独裁者の言う「不自由」

「犯罪の自由」を求めない人にとっては

「自由(隷従させられない事)

 と公正は両立できる」と書いておいたら

「家康の遺訓」を引用してるブログを見かけた。

 

「人の一生は重荷を負ひて遠き
道をゆくが如し いそぐべからず
不自由を常とおもへば不足なし
こころに望おこらば困窮したる
時を思ひ出いだすべし 堪忍は無事
長久の基 いかりは敵とおもへ
勝事ばかり知りてまくる事をしら
ざれば害其の身にいたる おのれ
を責せめて人をせむるな 及ばざる
は過ぎたるよりまされり」

 

悪行をほしいままにした家康が何をほざいてんだ?

たかだか人質生活ごときで困窮って何だ?

と思ってしまうわけですが。

 

「健康で文化的な最低限度の生活」は

保証されてる上、ほとんど1日中休憩か自習、

まぁ遊びみたいなものでしょ。

冷たい海に潜ったり、重労働とか残業とか

を炎天下とかでやらされたり

するわけでも何でもないわけでしょ。

 

そんなものを不自由などとほざいてたら

学校なんてだいたい不自由じゃん。

宿題まで出されて家でも自由を奪われるでしょ。

「部活動ほぼ強制」な学校だってあるし。

 

真田幸村だって上杉に人質に出されてるけど

「人質生活は大変だ」とかこぼしてるのか?

何で家康だけ人質で大変などと大げさに嘆くかね。

 

水呑百姓」の方がはるかに大変でしょ。

悪質な蛮賊保育士に虐待される子とか

児童相談所で強姦される娘さんだっているわけで

そういう社会にしたのは他ならぬ家康一味でしょ。

(もっと遡れば、前世の私にも家康一味を

はびこらせた原因はあるかも知れないけど。)

 

独裁者の「自由にならない」のは天意でしょう。

 

平家物語によると、白河院

賀茂川の水、双六の賽、山法師、

是ぞわが心にかなはぬもの」

と言ったそうです。

山法師とは、比叡山延暦寺の権威。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12116646172 

 

自由の意味が違ってくる。

束縛されない、隷属させられない事を自由と

言うのではなくて、何でも我がままにできる事を

「我が心にかなわないもの」と言い出すとね。

独裁の話になる。

 

白河院の「上」を行くのが藤原道長

「この世をばわが世とぞ思う

望月の欠けたることもなしと思えば」

と詠んだという。

 

けれど、「この夜は」という意味ではないか

という「新解釈」があるそうで。

https://www.yomiuri.co.jp/column/japanesehistory/20210628-OYT8T50054/2/

 

ともかく、家康は短気で自己中心的な人物で

自分を批判した者を処刑したなどという話もあります。

処刑された相手は無名の、知る人ぞ知る存在となってます。

ちょっと私も思い出せません・・・こういう記事を書く事に

なると分かっていたら事前にわかりやすい所に保存したけど。

 

戦国のゲルニカ—「大坂夏の陣図屏風」読み解き

https://www.yomiuri.co.jp/column/japanesehistory/20210628-OYT8T50054/2/

 

【戦国こぼれ話】大坂夏の陣後、無慈悲にも行われた

凄惨な「落人狩り」と人買い商人の暗躍

https://news.yahoo.co.jp/byline/watanabedaimon/20211126-00268954

実際に大坂の陣に従軍した大久保忠教(彦左衛門)は、自身が執筆した『三河物語』の中で、次のように落城後の様子を記している。

大坂城に籠もった衆で命を長らえた者は、多くは具足を脱ぎ捨て裸になって、女性とともに逃げ散った。多くの女性は、北国、四国、九州、中国、五畿内、関東、出羽、奥州まで売られてしまった。

 大坂城に籠もった男性は具足を脱いで、裸で女性と逃げたが、女性は捕らえられて各地に売られたのである。大坂には人買い商人が存在し、各地に彼ら彼女らを売っていたのだ。

 同様に、人買い商人の浅ましさは、『義演准后日記』にも記されている。

人買い商人の浅ましさは、『義演准后日記』にも記されている。

 

これが家康のやらかしてる戦争の実際。

略奪強姦何でもありです。

織田信長公は京都に入った際、

一銭盗んでもいけないとして

京都の人々に感謝されていますが。

 

比叡山焼き討ちも実際は細川がやっていた事だし

明智光秀は根本中堂を焼いただけで

山全体に焼けた痕跡などはないという。

 

何でも信長公のせいにしすぎ、

鬼畜家康を持ち上げすぎ。

 

大坂の陣は、方広寺の鐘銘に

「国家安康」とあったのを

「家と康を切り離し、家康を呪ってる」

とした事ではじまったとされている。

さらに、大坂冬の陣の和平交渉の際、

「家康公自らが出馬しながら、何も得ずに

退却したのでは敗者と見られてしまう。

外堀だけ埋めさせてほしい」とか言われて

信用してしまった所、内堀も埋められたという。

 

内堀は自分たちで埋めると豊臣方が言った事に

されてるそうですが、実際は家康方が埋め始めた

時に、約束が違うと豊臣方は大慌てしてるわけです。

 

・・・最近、意外な所に、家康の子孫という人が

いたりする事を知ったのですが、だからといって

この辺の解釈を加減するのは違うかなと・・・。

 

「歴史上」の家康はずっと、そうした

自己中心的で短気な詐欺師であり

背徳カルト野郎でしかないわけです。

それを「成功者」だからと崇めるのは

背徳カルト野郎に他ならない。

 

家康ごとき下郎を「神君」などと崇める者は

脅されて仕方なくか、味方だからとか

特権をもらってるからとか、「天下をとる」

野望があって憧れてとか、そんなものでしょ。

 

宗教的に見て、ほめられるような人物ではない。

「宗教団体」などが家康を誉めるなら

それも立場が危うくされるのをおそれてとか、

そういった世俗の事情でしかないでしょう。

下劣な独裁者を後世に美化して崇めるなど、おかしな事。

 

「汝の敵をも愛せよ」というような宗教は

実践するのが極めて難しいですが

家康のやらかして来た悪行の数々ごときは

邪悪であればできるたけの事で

尊敬すべき所など微塵もないでしょう。

 

家康はスペインから時計をもらったり、

イギリスからカルバリン砲を買ったりしてるわけです。

徳川家茂(最後の慶喜の前の将軍)などはロスチャイルド

使節を送っている。あちら側の公文書には残っているのに

それを日本では隠して教えていない。

https://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=301480

 

また、「大阪夏の陣図屏風」に、

大坂の市民の逃げ惑う姿なども描かせた

事になっているのは黒田長政ですが

その子孫という麻生太郎

ロスチャイルド関係者です。姻戚関係まである。

で、水道利権を外資に与えようとしている。

水道を「民営化」すると水道代が高くなり

とても不便になるだけなのは分かっているのに。

そういう失敗の事例、負の実績があるんですよ。

 

三河の人の運転が荒いのはなぜですか?

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14167918594

マナーの悪いナンバー

https://okwave.jp/qa/q388327_2.html

これが当たっているとしたら、何故でしょうね?

1 家康の頃には荒くれものの集まりだった

2 家康が三河に荒くれものを集めた

3 トヨタが荒くれものを呼び寄せている

4 その他

 

私が知っているのは・・・

どうも徳川がいわゆる部落に

朝鮮人の罪人などを住ませるようになった

らしいという事。

http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-292.html

川嶋辰彦秋篠宮妃の父)が部落解放同盟の中心にいた事。

朝鮮総連を落札した池口恵観とも仲が良かった事。

川嶋家が統一教会創価学会とも関わっている事。

https://cyrus2.hatenablog.jp/entry/2022/09/10/213958

ブログランキング上位に、秋篠宮家を「皇嗣家」と崇め

ながら、上皇天皇、小和田家などは軽視する者がいる事。

 

カルト野郎家康は、蛮賊こそが 天つ神などと

妄信していたらしい事。

ロスチャイルドフン族匈奴)の類、

テュルク系騎馬民族の末裔であり

バビロニアン・ブラザーフッド」である事。

連中が織田信長公を危険視していたらしい事。

 

この記事を書くにあたって

家康の遺訓とやらはいつ書かれたのか?

調べたら、こんな記事を目にしました。

 

東照宮御遺訓は後世の創作だった!?

本当の徳川家康公御遺言とは?

https://www.ieyasu.blog/archives/6837

尾張徳川家第21第目当主・徳川義宣氏の唱える「『東照宮御遺訓』偽物説」によると、「人の一生は重荷を負て遠き道をゆくが如し……」という言葉は、水戸黄門の愛称で有名な水戸藩第2代藩主・徳川光圀の遺言『人のいましめ』を基にして、明治時代に旧幕臣・池田松之介が偽造したものが『東照宮御遺訓』であり、それを高橋泥舟らが日光東照宮をはじめ各地の東照宮に納めたそうです。

 

現人神の創作者たち〈上〉

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天皇家はその時代から権力レースの蚊帳の外だった。出番があるとすれば、勝者への花束贈呈役だ。最終勝者は徳川家で、彼らは「秩序の思想」が必要になった。そして中国から借りたのが朱子学の正統論である。まず、天皇の正統性が強調され、その天皇から将軍に宣下されたのがゆえに徳川家は統治権を行使できる。

 では、天皇はなぜ正統性をもつのか。林羅山は、天皇は呉の泰伯の子孫で、中国から下ってきたがゆえに日本人を支配する正統性がでるという「天皇=中国人論」とした。その後に「明」が滅びて「清」となった。清は満州に建国され漢民族を支配した韃靼の国のため、中国を「華」、日本を「夷」と上下に位置づけた「天皇=中国人論」が崩れてしまった。次に「日本こそ中国論」が出てきた。山鹿素行のように中国と書いて日本を表す人も出てきた。次に「あるべき天皇論」を「中国型皇帝理想像」として歴史的に立証するため、過去の歴史を再構成することに。例えば、水戸の『大日本史』、頼山陽の『日本外史』がそれにあたる。この歴史観は徳川後も生き続け、中国が周辺国から貢がせる中華圏を構築したように、日本がそれを果たす思想になる。つまり、八紘一宇大東亜共栄圏につながることになってしまう。

 

つまり、ファシストを正当化するための

天皇制」にしたのは水戸学派、

という事みたいですね。

 

それがロスチャイルドのような

外患誘致」にも都合がよいわけだ。

 

ちなみに・・・「呉の泰伯の子孫の天つ神」なら

A型だったはずですが、鬼畜藤原は高句麗百済系で

B型と考えられます。そして人皇家は藤原の血の方が濃い。

 

魏志高句麗
http://www.eonet.ne.jp/~temb/16/gisi_kokuri/gisi_kokuri.htm
人々の性格は凶悪、短気で、略奪を好む。

 

魏志倭人
https://www.yoshinogari.jp/ym/topics/
盗みもなく、争いごとも少ない。

 

全然違うわけです。

 

五十黙示録 第二巻「碧玉の巻」

第十帖(二五)

仏教の渡来までは、わずかながらもマコトの神道の光がさしてゐたのであるなれど、仏教と共に仏魔わたり来て完全に岩戸がしめられて、クラヤミの世となったのであるぞ、その後はもう乱れほうだい、やりほうだいの世となったのであるぞ、これが五度目の大き岩戸しめであるぞ。」

 

百済仏教伝来は538年とされています。

継体天皇と皇子たちが亡くなられたと

されているのが531年。

大伴金村も左遷されている。

 

その後は藤原道長だろうが

徳川家康」だろうが

悪のやりたい放題をして来た

という話ですよ。

 

つまり体制は少なくとも531年頃から

ほとんどずっと反日という事です。

だから細目朝鮮顔ばかりゴリ押ししているわけ。

 

ユダヤに保護されている在日にとって

藤原氏の弱みを握るのはたやすいし、
藤原氏を日本人だと妄信してる者を騙すのもたやすい。

 

ひふみ神示 第二十九巻「秋の巻」 
第二十四帖(七六六)
今迄の、三千年のやり方違ってゐた心つくなれば、

心付いて神示よむなれば、一切のことありやかとなるのぢゃ。カンジンぢゃ。」