超革新ひふみ神示

ひふみ神示は、金をかけて先入観を植え付けようとする勢力を称賛などしてません。 「神で食うて行くことならん」ともあります。 虚心坦懐に読んでみてください。

ひふみ神示 第二十四巻「黄金の巻」11~20帖

昭和24年11月17日(1949年) ~昭和25年1月18日(1950年)


第十一帖(五二二)
今度のイワトびらき、神と人との九十運動ぞ。建替の守護が大切ぞ。先づ一筋の天地の道から変へるのぢゃ。次に人の道つくるのぢゃ。経と緯であるぞ。人の道と天地の道と間違へてゐるぞ。人の道は花色々と咲き乱れ、織り交ぜて、楽し楽しのそれぞれであるぞ。自分で自分のことしてゐるのであるが、又させられてゐるのであるぞ。大き自分に融け入ったとて小さい自分無くなって了ふのでないぞ。神人ぞ。天地ぞと申してあらうが。善もかりぞ。悪もかりぞ。よく心得なされよ。かのととりの日。一二十(ヒツキノカミ)


第十二帖(五二三)
守護神守護神と申してゐるが、魂の守護神は肉ぞ。肉の守護神は魂ぞ。くるくる廻って又始めからぢゃ。前の始と始が違ふぞ。皆相談し合ってよきに弥栄えるぞ。為さねば後悔ぞ。始めからの神示読めば判るやうに示してあるでないか。神示読まんから迷ふのぞ。神は人民の氣引くぞ。神示読めよ。神示出るぞ。かのととり。一二十


第十三帖(五二四)
神示はちっとも違はん。違ふと思ふことあったら己の心顧みよ。その心 曇ってゐるのであるぞ。めぐりあるだけ神がうらめしくなるぞ。めぐりなくなれば神が有難いのぢゃ。人間無くて神ばかりでは、この世のことは出来はせんぞ。神が人間になって働くのぞ。判りたか。新しき神国が生れるまで めぐりばかりがうようよと、昔のしたことばかり恋しがってゐるが、そんなこと何時までもつづかんぞ。三年の苦しみ、五年もがき、七年でやっと氣のつく人民多いぞ。皆仲よう相談し合って力合せて進め進め。弥栄えるぞ。二つに分れるぞ。三つに分れるぞ。分れて元に納まる仕組。結構結構。理解大切。理解結構。思考しなければ これからは何も出来んぞ。拝み合ふことは理解し合ふことぞ。手合せて拝むばかりでは何も判りはせんぞ。何故に、心の手 合せんのぢゃ。心の手とは左行く心の手と右行く心の手と和すことぢゃ。サトルことぢゃ。苦しんで苦しんで苦しみぬいて得たことは楽に得たことぢゃ。その楽に得たことのみ自分の身につくのぢゃ。血ぢゃ。肉ぢゃ。かのととり。一二十


第十四帖(五二五)
しるしは◎(☉、○に・。以下同様)と申してあらう、なかなかぢゃなあ。為せ、為せ、為せば成る時ぞ。為さねば後悔ぞ。元たてよ。かのととり。一つ九十


第十五帖(五二六)
人から見てあれならばと云ふやうになれば、この方の光出るのぢゃ。行出来ねばお出直し、お出直し多いなあ。独断 役には立たんぞ。イワトびらきの九分九厘でひっくり返り、又九分九厘でひっくり返る。天明九十六才七ヵ月、ひらく。かのととり。一二十

 

岡本天明先生は1897年12月4日生まれという事ですから

 96才は1993年12月4日。+7ヵ月は

 1994年7月4日頃なのかなと。

 数え年なら1992年8月1日頃?

 

1992年(平成4年)

 7月25日 バルセロナ五輪開幕。8月9日まで。

 10月31日 ローマ教皇庁が、ガリレオ裁判に誤りがあったことを認め、ガリレオ・ガリレイの名誉が死後350年経って回復された

1993年(平成5年)

 3月1日 「理性のゆらぎ」(青山圭秀)刊行。

 サイババ・ブームの火付け役。 

 8月9日 社会党新生党公明党日本新党新党さきがけ社民連民社党民主改革連合の連立政権・細川内閣が発足。

1994年(平成6年)

 6月27日 松本サリン事件

 サイババ・ブームに水を差す動きか。

 6月30日 自民党+社会党+新党さきがけ連立政権の村山内閣
 7月16日 青森県三内丸山遺跡で大量の遺物出土

 ちなみに、私の父が神々から御指導を受けるようになったのも'94年頃です。当時既に幸福の科学などの実態をまざまざと見せつけられたりもしています。

 

幸福の科学の裏事情【女性問題・スキャンダル・霊言の真偽】 | 宗教.jp

https://www.religio.jp/eraten-18

かつてはGLAという教団の高橋信次という教主を崇めていたり、

妻の恭子さんを女神としたりしていたのに、

「太陽の法」などを書き換えたり、いろいろあったらしい。


第十六帖(五二七)
羹(アツモノ)に懲(コ)りて鱠(ナマス)吹いて御座る人民よ。慾すてると判って来るぞ。まことの慾深になれよ。イロハの勉強とは、日々の生活を神示に合すことぞ。この中から神示通りのカタ出せよ。出さねばならんぞ。判った人程、口静かになるぞ。天狗が出て来て三日天下、それも御役、御役 御苦労ぢゃなあ。良けりゃ立ち寄り、悪くなれば立ち去るやうな人民、早う退いて見物して御座れよ。いつも日和見してゐると気の毒出来るぞ。神に使はれるのは一通りや二通りの苦労では出来ん。宗教によるもののみ天国に行くと考へるもの、自分の教会のみ天国に通ずると思ふもの、皆 悪の眷族ばかり。迷ふなよ。迷ふは慾からぢゃ。体験と理解のみ財産ぞ。神示肚に入ったら、それでもうよいぞ。去りて花咲かせ。肚に入るまでは去ってはならん。確か心得よ。かのととり。一二十


第十七帖(五二八)
神、拝しても筋違ふと水の泡ぞ。まだ迷うてゐるが、それでは仕組成就せんぞ。褌しめて一本道の真心結構。金がよければ金拝め。人がよければ人拝めよ。神がよければ神拝め。かのととり。一二十


第十八帖(五二九)
祈れば祈る程 悪うなることあるぞ。結構な道と判らんか。心して迷ふでないぞ。天国の門、貧者富者の別ないぞ。別ある境界つくるでないぞ。世界中一度にゆすぶると申してあらう。釦(ボタン)一つででんぐり返ると申してあること、未だ判らんのか。神罰はなし。道は一つ二つと思ふなよ、無数であるぞ。(但し内容は一つぞ。)新しき道拓いてあるに、何故 進まんのぢゃ。下腹からの怒は怒れ。胸からの怒は怒るなよ。昔から無いことするのであるから、取違ひ もっともであるなれど、分けるミタマ授けあるぞ。高い天狗の鼻まげて自分の香 嗅いで見るがよいぞ。鼻もちならんぞ。今迄のこと ちっとも交らん新しき世になるのであるから、守護神殿にも、判らんことするのであるから、世界の民みな一度に改心するやうに、どん詰りには致すのであるなれど、それ迄に一人でも多く、一時も早く、改心さしたいのぢゃ。氣ゆるめたら肉体ゆるむぞ。後戻りばかりぢゃ。霊人と語るのは危ないぞ。氣つけくれよ。人は人と語れよ。かのととりの日。一二十


第十九帖(五三〇)
己の行 出来て居らんと、人の悪口 云はなならんことになるぞ。己の心 日々夜々改めねばならん。心とは身と心のことぞ。元の活神が直接の、直々の守護を致す時来たぞ。氣つけおくぞ。国々、所々、村々、家々、皆 何なりとしてめぐりだけの借銭済し致しくれよ。大峠ぞ。早合点するなよ。小さい容れもの間に合はん。かのととり。一二十


第二十帖(五三一)
動かんふじの仕組のなるとの仕組。ことたま、かずたま、ひふみ、いろたま、いろは。かのととり。ひつ九十