超革新ひふみ神示

超革新ひふみ神示

ひふみ神示は、金をかけて先入観を植え付けようとする勢力を称賛などしてません。 「神で食うて行くことならん」ともあります。 虚心坦懐に読んでみてください。

ひふみ神示 第二十四巻「黄金の巻」31~40帖

昭和24年11月17日(1949年) ~昭和25年1月18日(1950年)

 

第三十一帖(五四二)
人民それぞれに用意して呉れよ。自分出しては集団(マドイ)こはすぞ。力出んぞ。早うつくれよ。的(マト)とせよ、と申してあろうがな。マトは光りのさし入る所、的として月一度出せよ。自分の小さいこと知れる者は、神の国に近づいたのであるぞ。かのととり。一二十


第三十二帖(五四三)
神の道に進むために罵られることは人民の喜びぞ。その喜び越えて神の喜びに入れば罵られることないぞ。神敬ふはまだまだぢゃぞ。早うサトリて、神に融け入れよ。かのととりの日。一二十


第三十三帖(五四四)
神国、神の三八(ミヤ)早うつくれ。今度 此処へ神が引寄せた者は、みなキリストぢゃ。釈迦ぢゃぞと申してあらう。磨けば今迄の教祖にもなれるミタマばかりぞ。それだけに罪深いぞ。岩戸あけて、めぐり果たせたいのぢゃ。このこと肚によく判るであらうが。かのととり。一二十


第三十四帖(五四五)
世界平とう、胸の掃除からハラの掃除ぞ。理智がまことの愛ぞ。(ア九(ク))も神の御子。絶対の責任は神、相対の責任は人民。親よりも師よりも神愛せよ。その親、師は神から更に愛されるぞ。(〇の下に|。以下同様。オー)九二十九十千(クニトコタチ)の◎(☉、〇の中に・。以下同様。カミ)ⓛ(〇の中に|。ガ)♀◎三@(「の」と同じ方向の渦。オースサナル)の三〇(カミサマ)なり。かのととりの日。一二十


第三十五帖(五四六)
お父様がの大三〇(ヒのオーカミサマ)、お母様がΘ(〇の中に・・。ツキ)の大三〇(オーカミサマ)なり。おくやまから出たものは おくやまにかへり、またおくやまから更に弥栄となって出るのであるぞ。大切なもの皆与へてあるでないか。人民は只それをどんなにするかでよいやうに、楽にしてあるぞ。かのととり。一二十


第三十六帖(五四七)
まことに求めるならば、神は何でも与へるぞ。与へてゐるでないか。御用は神示見んと判らん道理判らんか。誰にも知れんこと知らして、型して見せてあるでないか。かのととりのひ。一二十


第三十七帖(五四八)
集団(マドイ)は天国の組織同様にせよ。横にはウクスツヌフムユルウの十柱ぞ。縦にはアイウエオの五柱、結構ぢゃなあ。横だけでもかたわ、縦だけでもかたわ、この方 見えんアであるぞ。顕れは神示ぢゃ。よく相談し合って結構致しくれよ。弥栄えるぞ。秘文読めば判る。神業奉仕すれば自らめぐり取れるのぢゃ。めぐりないもの一人もこの世には居らん。かのととり。一二十


第三十八帖(五四九)
心次第で皆救はれる。悪には悪の道、それ知らん善の神では、悪抱き参らすこと出来ん。因縁あっても曇りひどいと御用六ヶ敷いぞ。この世の人民の悪は幽界にうつり、幽界の悪がこの世にうつる。かのととり。一二十


第三十九帖(五五〇)
見渡せば 見事咲きたり 天狗の鼻の。


二人でせよと申してあるのは裏表合せて一つぞ。二人で一人でせねばならん。統一ないところ力生れんぞ。人民の奉仕は神への奉仕、生活は奉仕から生れる。世界は大きな田畠、それ蒔け、それ蒔け、種を蒔け。


第四十帖(五五一)
何うにも斯うにも手つけられまい。この世は浮島ぞ。人民の心も浮島ぞ。油断禁物。ひふみの食べ方 心得たら、今度は氣分ゆるやかに嬉しウレシで食べよ。天国の食べ方ぞ。一切は自分のものと申してあらう。上も下も右も左も皆自分のものぞ。自分ぞ。其処にまこと愛生れるぞ。かのととり。一二十

 

ひふみ神示 全文

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