超革新ひふみ神示

超革新ひふみ神示

ひふみ神示は、金をかけて先入観を植え付けようとする勢力を称賛などしてません。 「神で食うて行くことならん」ともあります。 虚心坦懐に読んでみてください。

ひふみ神示 第二十六巻「黒鉄の巻」11~20帖

昭和25年1月22日(1950年) ~昭和25年10月18日(1950年)


第十一帖(六二九)

学出すから、我出すから行き詰るのぞ。生れ赤児と申すのは学も我も出さん水晶のことぞ。ねり直して澄んだ水晶結構。親の心判ったら手伝ひせねばならん。云はれんさきにするものぢゃと申してあらうが。いつ迄も小便かけてゐてはならんぞ。人間は罪の子でないぞ。喜びの子ぞ。神の子ぞ。神の子なればこそ悔い改めねばならんぞ。真なき愛の道、悲しみの喜びからも生れることあるぞ。それは罪の子と申すのであるぞ。(一月二十二日)

 

第十二帖(六三〇)
二の御用はフデうつすことぢゃ。フデうつすとはフデを人間に、世界にうつすことぞ。フデを中心とした世界のはたらきせよ。 通した人間の仕事つかへまつれよ。フデ とした世界つくることぞ。フデに囚はれるから判らん。フデすてて、仕事に神示(フデ)生かして生活せよ。生活がフデぢゃ。判りたか。早う次の御用急いで下されよ。宗教に生きて、宗教に囚はれるでないぞ。仕事が宗教ぢゃ。小さいことから始めよ。小乗の行と馬鹿にするでないぞ。小乗の行から大乗の真理を掴むのであるぞ。(一月二十二日)

 

第十三帖(六三一)

理屈で進んで行くと、しまひには共喰から、われとわれを喰ふことになるぞ。神様を真剣に求めれば、神様は人間様を真剣に導いて下さるぞ。結構に導いて下さるぞ。悪を意志して善を理解すること許さんぞ。悪を意志して善を理解せんとするのが悪ぞ。善を意志して悪を理解せんとするのも悪ぞ。悪を意志して悪を理解する処に、善としての悪の用(はたらき)うまれるのざ。幽界も亦(また)神のしろしめす一面のこと。(一月二十二日)

 

第十四帖(六三二)
悪の総大将は奥にかくれて御座るのぞ。一の大将と二の大将とが大喧嘩すると見せかけて、世界をワヤにする仕組、もう九分通り出来てゐるのぢゃ。真の理解に入ると宗教に囚はれなくなるぞ。形式に囚はれなくなるぞ。真の理解に入らねば、真の善も、真の信も、真の悪も、真の偽りも判らんのぢゃ。今にイワトひらいてあきらかになったら、宗教いらんぞ。政治いらんぞ。喜びの歌高らかにナルトの仕組、二二(フジ)にうつるぞ。(一月二十二日)

 

第十五帖(六三三)

人間を幸福にするのは心の向け方一つであるぞ。人間はいつも善と悪との中にゐるのであるから、善のみと云ふこともなく悪のみと云ふこともない。内が神に居りて外が人に和し、内が霊に居り外が体に和せば、それでよいのぢゃ。其処に喜び生れるのぢゃ。神から出た教なら、他の教とも協力して共に進まねばならん。教派や教義に囚はれるは邪の教。豚に真珠となるなよ。天国の意志は人間の喜びの中に入り、幽界の意志は悲しみの中に入る。(一月二十二日)

 

第十六帖(六三四)
いよいよ表の守護と相成ったぞ。表の守護とは、よいものもなく悪いものもなく、只喜びのみの守護となることぢゃ。悪いもの悪くなるのは表の守護でないぞ。心得なされよ。一つの魂を得ることは一つの世界を得ることぢゃ。人間は一人でないぞ。神は善人の中にも悪人の中にも呼吸してゐるぞ。悪なくては生きて行けん。悪は悪でないぞ。外道の悪が悪であるぞ。(一月二十二日)

 

第十七帖(六三五)

霊ばかりよくてもならん。体ばかりよくてもならん。もちつもたれつの世であるぞ。判らんのは、われが偉いと思ってゐるからぞ。め覚めれば その日その時からよくなる仕組、結構楽し楽しで どんな世でも過ごせるのが神の道。智の中に悪をとり入れるゆとりの出来んやうではマコト成就せんぞ。智の中には総てを取入れて理解出来るやうになってゐるのであるぞ。愛の中に悪入れてはならんぞ。(一月二十二日)

 

第十八帖(六三六)
目さめたら起き上がるのぞ。起き上がらずには居れまいが。神の命ずることは丁度そのやうに人間にうつるのぞ。霊眼で見たり霊耳で聞いたりすることは間違ひ多いぞ。心せよ。ものに対しては人間そのものが霊であるぞ。人間はこの世の神と申してあらうが。ものは人間の自由自在。偶像は排すべし。十像は拝すべし。悪に行く理(ミチ)はないぞ。理は善のみに通じてゐるぞ。理なきところ進むでないぞ。(一月二十二日)

 

第十九帖(六三七)

愛からはなれた理解はないぞ。善からはなれた真理はないぞ。タネなくて芽は出ん道理。人間の智で判らんことは迷信ぢゃと申してゐるが、神界のことは神界で呼吸(イキ)せねば判らんのぢゃ。判らん人間ざから何と申しても神を求めるより、愈々になりたら道ないことぞ。学に囚はれて まだめさめん気の毒がウヨウヨ。気の毒ぢゃなあ。人間は霊人のカタシロになるからこそ養はれてゐるのぢゃ。成長して行くのぢゃ。血は愛によって生き、愛はヨロコビによって生きるのぢゃ。ヨロコビなき所に愛はないのざぞ。 ・ ないところ生命(イノチ)栄えんぞ。(一月二十二日)

 

第二十帖(六三八)
まかせ切らねばマコトの安心立命ないぞ。まかせ切るには、まかせ切って安心出来る神をつかまねばならん。おかげ信心や病気治しの神ではまかせ切れまいがな。早う合点結構ぞ。大きな生命に通ずるものには死はないぞ。通じなければ死あるぞ。(一月二十二日)

 

ひふみ神示 全文

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