超革新ひふみ神示

超革新ひふみ神示

ひふみ神示は、金をかけて先入観を植え付けようとする勢力を称賛などしてません。 「神で食うて行くことならん」ともあります。 虚心坦懐に読んでみてください。

ひふみ神示 補巻「月光の巻」21~30帖

昭和30年12月31日(1955年)~昭和31年1月3日(1956年)

 

第二十一帖(八〇八)

大奥山から流れ出た宗団はひかり教会のみでないぞ。いくらもあるのぢゃ。出てくるぞ。故に大奥山に集まったものが皆ひかり教会員ではない。それぞれのミタマの因縁によって色々な集団に属する。この点よく心得なされよ。大奥山はありてなき存在、人間の頭で消化されるような小さいしぐみしてないぞ。大奥山だけに関係もつ人もあるのぢゃ、囚われてはならん。三千世界を一つにまるめるのが この度の大神業ぞ。世界一家は目の前、判らんものは邪魔せずに見物して御座れ。神の経綸 間違ひなし。

 

第二十二帖(八〇九)
産土さまによくお願いなされよ。わすれてはならんぞ。宗教にこり固まって忘れる人が多いぞ。他の神を拝してはならんと云う、そなたの信仰はそれだけのもの、早う卒業結構。

 

第二十三帖(八一〇)
他の宗教に走ってはならんと云う宗教もそれだけのもの。判らんと申してもあまりであるぞ。
同じ所に天国もあり、地獄もあり、霊界もあり、現実界もあり、過去も未来も中今にあるのぞ。同じ部屋に他の神や仏をまつってはならんと申す一方的なメクラ宗教にはメクラが集まるのぢゃ。病気が治ったり運がひらけたり、奇跡が起ったりするのみをおかげと思ってはならん。もちと大き心、深い愛と真の世界を拝めよ。とけ入れよ。浄化が第一。
金が好きなら金を拝んでもよいのぢゃ。区別と順序さへ心得て居れば何様を拝んでもよいぞ。金を拝めば金が流れてくるぞ。金を拝み得ぬイコヂさが そなたを乏しくしたのぢゃ。赤貧は自慢にならん。無神論も自慢にならん。清貧はまけおしみ、清富になれよと申してあろうが。清富こそ弥栄の道、神の道、大☉☺㊉(〇に・、〇に・・、〇に十)大神のマコトの大道ぞ。

 

第二十四帖(八一一)
怒ってはならん。急いではならん。怒ると怒りの霊界との霊線がつながり、思わぬ怒りが湧いてものをこわして了ふぞ。太神のしぐみに狂ひはないぞ。皆々安心してついて御座れよ。

 

第二十五帖(八一二)
食物は科学的栄養のみに囚われてはならん。霊の栄養大切。
自分と自分と和合せよと申してあるが、肉体の自分と魂の自分との和合出来たら、も一段奥の魂と和合せよ。更に、又奥の自分と和合せよ。一番奥の自分は神であるぞ。
高い心境に入ったら、神を拝む形式はなくともよいぞ。為すこと、心に浮ぶこと、それ自体が礼拝となるからぞ。
山も自分、川も自分、野も自分、海も自分ぞ。草木動物 悉く自分ぞ、歓喜ぞ。その自分出来たら天を自分とせよ。天を自分にするとはムにすることぞ。〇に化すことぞ。ウとムと組み組みて新しきムとすることぢゃ。

 

第二十六帖(八一三)

現状を足場として進まねばならん。現在のそなたのおかれてゐた環境は、そなたがつくり上げたものでないか。山の彼方に理想郷があるのではないぞ。そなたはそなたの足場から出発せねばならん。よしそれが地獄に見えようとも、現在に於てはそれが出発点。それより他に道はないぞ。十二月三十一日。

 

第二十七帖(八一四)
はらひは結構であるが、厄はらひのみでは結構とはならんぞ。それは丁度、悪をなくすれば善のみの地上天国が来ると思って、悪をなくすることに努力した結果が、今日の大混乱を来したのと同じであるぞ。
よく考えて下されよ。善と申すも悪と云うも、皆悉く大神の肚の中であるぞ。大神が許し給へばこそ存在してゐるのであるぞ。この道理をよく会得せよ。
はらふと申すのは無くすることではないぞ。調和することぞ。和して弥栄することぞ。

 

第二十八帖(八一五)

厄も祓はねばならんが、福も祓はねばならん。福はらひせよと申してあらうが。厄のみでは祓ひにならん。福のみでも祓ひにならんぞ。厄ばらひのみしたから今日の乱れた世相となったのぢゃ。この判り切った道理が何故に判らんのか。悪を抱き参らせよ。善も抱き参らせよ。抱くには〇にならねばならんぞ。

 

第二十九帖(八一六)
モトを正さねばならん、間に合わんことになるぞ。心の改心すれば、どんなおかげでもとらすぞ。
幽国(がいこく)は火の雨ぢゃなあ。世界一度に改心。

 

第三十帖(八一七)
心のいれかへせよとは新しき神界との霊線をつなぐことぞ。そなたは我が強いから、我の強い霊界との交流が段々と強くなり、我のむしが生れてくるぞ。我の病になって来るぞ。その病は自分では判らんぞ。わけの判らん虫わくぞ。わけの判らん病はやるぞと申してあるが そのことぞ。肉体の病ばかりでないぞ。心の病はげしくなってゐるから気付けてくれよ。人々にもそのことを知らせて共に栄えてくれよ。この病を治すのは、今日までの教では治らん。病を殺して了ふて、病をなくしようとて病はなくならんぞ。病を浄化しなければならん。悪を殺すと云う教や、やり方ではならんぞ。悪を抱き参らせて下されよ。

 

ひふみ神示 全文

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