超革新ひふみ神示

超革新ひふみ神示

ひふみ神示は、金をかけて先入観を植え付けようとする勢力を称賛などしてません。 「神で食うて行くことならん」ともあります。 虚心坦懐に読んでみてください。

五十黙示録 補巻「紫金の巻」 11~14帖

昭和三十六年(1961年)

 

第十一帖(一四一)

何も彼も前つ前つに知らしてあるのに、人民は先が見えんから、言葉のふくみがわからんから取違ひばかり、国土(九二つち)の上は国土の神が治(し)らすのぢゃ、世界の山も川も海も草木も動物虫けらも皆この方が道具に、数でつくったのぢゃ。愈々が来たぞ、いよいよとは一四一四ぞ、五と五ぞ。十であるぞ、十一であるぞ、クニトコタチがクニヒロタチとなるぞ、クニは黄であるぞ、真中であるぞ、天は青であるぞ、黄と青と和合してみどり、赤と和して橙(だいだい)となり、青と赤と和して紫となる、天上天下地下となり六色となり六変となり六合(クニ)となるのぢゃ、更に七となり八となり白黒を加へて十となる仕組、色霊(イロタマ)結構致しくれよ。

 

第十二帖(一四二)
ヨコの十の動きがクラゲナスタダヨヘルであり、タテの十の動きがウマシアシカビヒコジであるぞ、十と十と交わり和して百となり九十九と動くのぞ。過去も未来も霊界にはない、「今」があるのみ、これを中今(ナカイマ)と申すぞよ。竜宮の乙姫殿、日の出の神殿、岩の神殿、荒の神殿、風の神殿、雨の神殿、暗剣殿、地震の神殿、金神殿の九柱なり、総大将は国常立大神なり、このこと判りて下されよ、教はなくなるぞ、元の道が光り輝くぞ、これを惟神(かんながら)の道と申すぞ。

 

第十三帖(一四三)
少しでも交じり気があったら先になって取り返しがつかんことになるぞ、今度は一厘のくるひがあってもならんぞ。柱になる人民もあれば屋根になる人民もあるぞ。天の王と地の王とをゴッチャにしているから判らんことになるのぢゃ、その上に又大王があるなれど大王は人民には見当とれん、無きが如き存在であるぞ。人民は具体的にと申すなれど、人民の申す具体的とはコリ固った一方的なもの、一時的な その時の現れであるぞ。人民の申す絶対無、絶対空は無の始めであり、空の入口であるぞ、其処から無に入れよ、空に生きよ。いよいよの代(よ)となるぞ。

 

第十四帖(一四四)
現実の事のみで処してはならん、常に永遠の立場に立って処理せよと申してあろうがな、生きることは死に向って進むこと、マコトに生きる大道に目ざめてくれよ、神示を始めから読めば何事もありやかぞ。奥山はあってはならん無くてはならん存在であるぞ。善人の住むところ、悪人の休む処と申してあろう、奥山は神、幽、現の三界と通ずるところ。八尋殿の左と右に宮が建つ、奥にも一つ。

 

ひふみ神示 全文

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