超革新ひふみ神示

超革新ひふみ神示

ひふみ神示は、金をかけて先入観を植え付けようとする勢力を称賛などしてません。 「神で食うて行くことならん」ともあります。 虚心坦懐に読んでみてください。

日月神示(ひふみ神示)出版と裏勢力

15日の未明1時(14日の深夜25時)

に、日月神示の全帖アップロードを終えた。

 

その註釈に、霊媒岡本天明先生が

北伊勢に移られた時期について

書こうかと思っていたが、

以前は見かけた北伊勢以前の移転経緯が

なかなか出てこず・・・

代わりに、日月神示出版の裏話を知る人の

ブログが検索にかかった。

 

ブログは2022年の1月から更新されていない。

もしかすると、他界されて10か月ほど

経っているのかも知れない。ただ今は

ブログは健在である。

 

もし他界されているのなら

私がブログを見つけるように

あの世から働きかけられたのかも知れない。

 

道の真実!」 2013年10月25日 17時21分

ttps://ameblo.jp/sonney/entry-11651895814.html

1)私は日月神示刊行会委員長であり、神示を保存していた至恩郷の理事でもあった。後で分かった驚愕の事実。その同志の一人Uさんがかつて統一協会員であり、彼の友人のKは文鮮明を批判した後、行方不明になった。弩!

2)彼曰く「今の日月関連は統一協会と深い関係にある。もし刊行事業で統一の邪魔が入ったら私が出るので安心してください」。彼はその業界の事情をよく知る者であったので嫌われていた。

3)彼の信実なる言葉は、「至恩郷にも出版業界にも統一協会が入り込んでいる」と…。

 

日月神示の顛末と創価・統一支配

2013年2月6日 20時32分

ttps://ameblo.jp/sonney/entry-11465081209.html

日月神示1:私は理事を依頼され「日月神示」の翻訳に心血を注いで

1996年に千部刊行した。だが創価統一は理事を解任した上、仕事も奪った!

 

日月神示4:日月神示の刊行に際してはあらゆる方面の代表者たちが関わった。なんと公安警察まで。国家権力者や宗教幹部たちにはこの事は有名であったかもしれない(笑)。私が日月神示を世に出す作業は創価や統一等の政治・宗教・経済支配に終止符を打つことでもあった。それを彼らが怖れていたのだ!

 

日月神示の総括「云っておかねばならぬ事がある!」

2013年2月14日 23時43分

ttps://ameblo.jp/sonney/entry-11470825433.html

日月神示の総括3》岡本三典さんの収入源はマツリの際の玉串と寄付金であった。生かさず殺さず。二大エージェントはいくばくかのおカネを与えて縛り、手なずけていった。三典さんは突然、ある霊能者のいう事しか聞かなくなっていた。その人の云う事に従っていればなんとか生活できたのだ。終焉なり!

 

日月神示の総括4》虎視眈々と獲物を狙うさまざまな宗教組織。至恩郷の許可を得ないで日月神示を出版する者たちが出てきた。これが後にも今にも尾を引く。橋爪一衛らのグループ。彼らは真光残党であったが後に分裂。その中には有名な中矢伸一がいた。これと対抗していたのがコスモテンの高橋守だ。


日月神示の総括5》太陽出版から出したコスモテンの高橋守は初版本を岡本三典さんと直接出版契約を結んだ人物である。高橋がその後無許可で際限無く出版したので、私は三典さんに頼まれて、新規に500部のみの再契約の代理人になったことがある。だが高橋は契約を破りその後も勝手に出版した。カネ!


日月神示の総括6》高橋守は「ひふみ神示」と称して、日月神示を上下冊

一部15000円で売っていた。三典さんは「一度も著作権料を貰ったことがないのでなんとかしてください」と私に申し入れた。私は代理人として出版契約を結んだが、私が理事を辞めてからは契約通り支払われていないようであった。


日月神示の総括7》一方、橋爪一衛は自分流の解釈でメチャクチな日月神示を許可を得ずに勝手に出版していた。岡本三典さんは私に「なんとかしてください」と申し入れた。私は橋爪に直接会い出版を止めるよう要請した。彼はヤクザのような男を用心棒に連れてきて私に灰皿を投げつけようとした。唖然!

 

日月神示の総括9》これまで述べてきたことはほんの一部である。ここでは言い尽くせない事のほうが大部分である。私は至恩郷の理事であった頃、憂いを抱き、三典さんの許可のもと、1996年、有志とともに一部2600円で日月神示を千部発行(日月神示刊行会編)した。その後間もなく理事を解任されて今日に至る。中矢伸一も私から極秘で入手した。

 

警告「日月神示」をめぐる今の出来事

2012年7月24日 21時02分

ttps://ameblo.jp/sonney/entry-11310926214.html

【警1】ツイッターで「ひふみ神示bot」とか「日月神示bot」とかが見受けられる。これは故・岡本天明の筆によるものとは全く関係がない。一般の人たちはこの見わけが困難であると思うが、今やほとんどのこのようなものを疑う時代となった。専門家の中矢伸一や黒川柚月らが何故指摘しないか。 弩!

 

「ある精神世界やUFO関連で有名な出版社」

の社長は満州馬賊をしていた!

2021年5月24日 18時22分59秒

https://ameblo.jp/sonney/entry-12676453274.html

 

道院・紅卍の総裁S

2014年8月1日 10時55分

ttps://ameblo.jp/sonney/entry-11903074246.html

 

・・・だそうです。

 

真偽のほどは、それぞれに判断なさってください。

いつ消されるか分からないので、

重要な部分を引用して残しておくべきだろうと思いました。

 

よくぞこれだけの事を書き残してくださった。

そして、よく消されないで残っていたものです!

 

 * * * * * * * * * *

 

至恩郷というのは、1955年頃から

他界されるまで岡本天明先生がいらした所です。

滋賀と三重の県境近く、

御在所岳の麓の湯の山温泉郷あたりです。

北伊勢・菰野の地。

・・菰野というと広い範囲で

近年では高校野球の強豪校も出てきましたが。

 

 sonney「あはやさわ☆まなたから」さんに

よると、1994~'95年頃は

様々な新興教団の人が至恩郷に来ていたが

'96年に彼が解任され去ってからは

人が激減したらしいとの事。

 

私は少数の人しかいなくなった時期

多分2007年前後に何度も訪問しています。

 

先生に強い影響力を持つに至った霊能者さんは

おそらくは工作員などではなく、平凡な主婦です。

それに、霊能者というより、ちょっとしたシンクロが

あったという程度の話で。

海千山千が出入りする中、その人の言う事しか

聞かなくなったのは、むしろ不幸中の幸いかと。

 

ただ、その人に日月神示第十六巻「アレの巻」の

原書を見せた所、「お米の話が書いてありました」

と言われたそうで。解説も何もないのに

それでもう、それが正当な解釈として

先生の中では固定されてしまっていました。

 

原書・・・ちらっと見ただで

全文解釈したら異常者ですよ・・・

一八十一@キ七@七@三

〇九十一八十八十八三

「イハトひらきナリナルぞ

まことイハトはトハぞ」

これはまぁ、一八十は岩戸、

〇九十はマコトというのは

知られています。

(@は実際は絵文字で渦。

「の」と同じ方向巻きです。

例文を見て思うのは

@はラ、リ、ルと読まれてる。

であれば、よく出てくる「理」も

原書では@なのか?という事。)

 

他は、はじめて原書を見る人は

他の原書がどう解釈されてるかの

事例なども突き合せないと

即時に断定なんてできないもの

ではないかと思うんですよね・・・

 

でも先生は、ちらっと見ただけで

全部分かるような超常能力者でなければ

何も期待できないかのように思い込んで

いらっしゃった。そこは困った所ではありました。

 

原書そのままの本を時間をかけて見たい。

 

漢数字や絵文字を全て平仮名に

変えた「みことの道」という本も

あるらしいのですが、それだって

見てみたいです。

 

それから・・・先生が印税をもらってないという話

ですが、著作権は50年で失効すよね。現状では・・・

むしろその恩恵を受けて、全文転載サイトが

インターネット上にいくつも存在し

公共の文献として誰もが研究できるように

なっているのは、大神様のおはからい

でもあるかなと思います。

 

神示の自動書記は1944年から

1961年までですからね。

戦中の神示はまさに1995年で50年。

1961年のも2011年で50年です。

 

特定の教団だけのものでなく

古事記日本書紀ホツマツタヱ

などと同じ扱いとなった、とも言える。

(読み下し文しか見れない所が違いますが。

記紀の元になった書が見れないのより格段によいか。)

 

日月神示 第二巻「下(四百)つ巻」

第七帖 (四九)
「この神は信者集めて喜ぶやうな神でないぞ、世界中の民みな信者ぞ、それで教会のやうなことするなと申すのぞ、世界中大洗濯する神ざから、小さいこと思うてゐると見当とれんことになるぞ。

 

そうなると、教主1人を脅せば

解釈がくつがえるという話ではなくなる。

教主が神示の解釈を決めて

それが絶対視され不動という話ではなくなる。

 

神示そのものこそが力

人間の権威・ファシストの支配から

自由になる。皆が、より優れた見解を出せる。

 

最も理のある説が強力になるが

問題は、単純接触回数。

最初にすりこまれた先入観を優先する方ばかり、

「有名人」「権威者」が正しいと決めつける方

ばかりだと、理のない邪論が

「公式」となってしまいがち。

けれど、心の澄んだ人、

公正にサニワ(審神・検証)する人には

理のある説の方が正しいと分かる

 

先生が印税をもらってないという事は

出版は認めたけど金儲けに加担はせずに済んだ

と言えなくもない・・・先生は貧しかったかも

知れませんが、天明先生もそういう状況で

大神様から欲を出すなとたしなめられて

いらっしゃるわけで。

 

 sonney「あはやさわ☆まなたから」さんも

金儲けの出版はよろしくないと

おっしゃっているわけです。

そもそも岡本天明先生の発想というより

大神様からいただいたものですからね。

 

日月神示 第二巻「下(四百)つ巻」

第二帖(四四)

役員と申しても、それで食ふたり飲んだり暮らしてはならん、それぞれに臣民としての役目あるぞ、役員づらしたら、その日から代りの身魂(もの)出すぞ、鼻ポキンと折れるぞ、神で食うて行くことならんから、呉れ呉れも氣をつけて置くぞ。

 

日月神示 第二巻「下(四百)つ巻」

第三十二帖 (七四)
この道ひろめて金儲けしようとする臣民 沢山に出て来るから、役員氣つけて呉れよ、役員の中にも出て来るぞ、」

 

日月神示 第二十巻「ん目(梅)の巻」

第四帖(四三一)
この神示 食物(くいもの)に仕様とて出て来る者 段々にあるなれど、皆あて外れて了ふぞ、アテ外れて神の目的成るぞ、役員殿ブチョウホウない様に氣つけて呉れよ、まつり結構。」

 

ですから・・・加担せずに済んだ三典先生は

大神様から見れば、むしろ幸運だった、

それこそが大神様のお導きだった、

とすら考えられるのではないかと。

 

出版した方々がGLAなどの関係者

という話は、目にする事もありました。

大本教団弾圧の経緯から考えれば

創価公安、CIA統一教会などが関わっても

おかしくない。

 

神示反日カルトの真逆

https://cyrus2.hatenablog.jp/entry/2022/10/11/214249

 

1994年~'95年頃は

まさにオウム真理教事件という茶番が

計画・実行された時期ですよね。

 

創価支配できてる警視庁が捜査を独占することによって、オウムの闇をそのまま闇として葬ろうとした。

https://blog.goo.ne.jp/candy-cats7/e/5a37842fe15f9b6f5ff788854d0413a5

彼等は裁判がろくに進まないのに第七サティアンを取り壊しちゃった。
証拠を取り壊すことによって第七サティアンが本当は覚せい剤プラント(生産設備
工場)であることを隠滅した。

リチャード・コシミズ 大阪講演会2009年06月20日

https://video.fc2.com/ja/content/20180305XqKcXZkv

3,11以前のまともだったコシミズさんの講演の精髄

https://blog-imgs-96.fc2.com/c/y/r/cyrus2/Not-Sarin.jpg

 

問題は・・・統一教会自民党の癒着

批判するふりをしながら

カルトでない宗教団体でも権力が弾圧できる

ような方向に矛先をずらそうとする勢力がいる

という事ですね。

むしろ、それこそが統一教会自民党のやりたい事

ではないかと。

 

実際に政権交代するには、

真の革新政党に誰もが投票しなければ済まない。

おそらく。 ※個人の見解かも知れませんが。

 

保守政党」はみんな、統一教会創価学会

幸福の科学部落解放同盟、世界連邦などと一体

だからです。

 

ちなみに社民系はエセ革新で、体制の犬で、

部落解放同盟と関係してますし

唯一、部落利権を批判してる日本共産党の中にも

隠れ社民は存在してます。世界連邦関係者。

言い換えると隠れ与党ないし隠れユ党。

 

赤軍」とか名乗ってる連中は社民系で

共産党とは関係ないです。

中国政府も日本の共産党とは関係ないです。

むしろRCEP推進してるのは自民党でしょ。

 

なかなか難しい状況にあるんですよ。

でも、皆がそれをありのままに認識・理解

できれば一厘の仕組みは成り

大難を小難に、小難を無難にできるでしょう。

 

ところが、ありのままに見るのが

嫌で嫌で仕方ない、改心したくない

という方が多いから厄介なのです。

 

それが「自尊的」という事ですから。

「自尊的」な方は己を吟味せず

改心を嫌うので破滅しつつある

自虐的な方々に他なりません。

結果が出るまでに、なるべく早く氣づかないと。

 

立憲民主も国民民主も民主党だった頃に

一度有権者を裏切ってるでしょ。

自民党と全く違う対立政党ではないでしょ。

それから11年。大学を出てるような方なら

わかってないとおかしいですよ。

 

小沢一郎反日発言を隠して

保守やエセ左翼ばかり持ち上げる奴は怪しい。

もしくは妄信者。

 

創価学会麻薬ビジネス
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=819898&id=8268837

創価学会自民党田中角栄派とつるんでいたのは

公明党委員長だった矢野絢也さんの「黒い手帳」

を読めば分かるでしょう。

 

田中派は、ほぼB型の集まりであり、

小沢一郎などもB型。

日本には元々存在しない血筋です。

「家庭内野党」の田中真紀子さんはAB型。

 

魔女狩りという茶番

https://cyrus2.hatenablog.jp/entry/2022/11/01/183800

 

Raptなんかが、「家族の同意がなくても

精神病院に強制連行・監禁・薬漬け処刑できる

法律が審議に入った」事を報じているけれど

それ引用してる連中がね・・・そういう

魔女狩り」をしたいと思ってる張本人という

シャレにならない状態です。

 

韓国にあるベトナム人殺戮体験テーマパークが異常過ぎる!

これでも韓国好きな人は完全に病気!

http://www.asyura2.com/12/asia14/msg/317.html

これこそが「ネトウヨ」のやり方、

「自尊的」=他虐的。だから危険なのですよ。

 

今テレビでゴリ押しされてるのなんて

顔に背徳賊と書いてあるようなのだらけ

 

 sonney「あはやさわ☆まなたから」さんが

この世に生きていらしたら、どうなさるだろうか?

それとも、既に「暗殺」されてしまってるのだろうか・・・?

 

分かってるのが私一人ではね・・・厳しいものがあるので

うちの父親などが、ちっとは政界・財界・テレビ業界の

闇の現実を理解してくれると

大分楽になるかも知れないけど、どうだろう。

 

それから、私は真光の御聖言

日月神示ひふみ神示)と同様に

体制批判の革新神=日本古来の神様

神示と見ています。父もそのように

神々からご教示を受けていますし

実際読んでそう思うわけです。

 

教祖様が戦中の軍人気質だったので

行き過ぎた面などはあったかも知れませんが

飛騨一宮の奥宮・位山は

神武天皇に位を授ける神」を御祀りする

特別な所で・・・その神武というのは

東征3代目すなわち応神天皇の事かと。

思い入れがあります。

 

中矢さんとか高橋守さんが「残党」?と

どういう関り方をしてらしたのかは

知りませんが・・・どこの教団にも

統一教会などが入り込むのは

よくある事で・・・だからといって

御聖言の価値下がるわけではないとも思います。

 

神示渡来人批判ネイティヴ日本人尊重

全然保守的でなく、超々超々超々がつくほどの

超革新ですからね。

 

はじめに出版するのも大変だったでしょうし

当然の正しい解釈をひろめる私も迫害を受けています。

もし更新が無くなったら・・・

他殺の可能性が高い、と考えるべきですね。

これまで既に何度か暗殺は未遂に終わってると思いますが。

(旅先、停電中、帰宅途中、歯科医の注射、などなど・・)

今住んでる所はおそらくヤクザの縄張りの関係で

簡単には手が出せない所のようで、

(だから賊どもは実家の九州に引っ越させたがっている。)

それで寝てる間にエアコンで冷凍とか、

ろくに暖房が働かないとか、騒音などもふくめ

ストレスを与え続けるとか、家族に圧力をかけ

精神病院に入れようとするとか、実際いろいろ

やられてるので、法律改悪されたら即死かも

知れません。そういうファシズム体制に

投票してるのが自民・公明の支持者だし

他の「保守政党」に投票するのだって

たいした違いは無いんですよ。

みんな日韓海底トンネルとかに関わってるから。

共産党以外はね。

真実は、およそ大本営発表の真逆。

 

それが信じられないという方は

未だに統一教会自民党の関係を

認めたくない方と同じでしかない。

 

「よく知られてる通説」と反対の事を

いう人の方がおかしいわけではない。

きちんと理があるんですよ。

 

確かめもせずに抹殺しようとする方がおかしい。

それこそがファシスト脳、カルト脳だぞ。

 

神示もそういう話です。

 

日月神示 第六巻「ひつ九(日月)の巻」

第三十六帖 (二〇九)
今の臣民見て褒める様な事は皆奥知れてゐるぞ。之が善である、まことの遣り方ぞと思ってゐる事九分九厘迄は皆悪のやり方ぞ。

(・・・中略・・・)

此の神示は世に出てゐる人では解けん。苦労に苦労したおちぶれた人で、苦労に負けぬ人で氣狂いと云はれ、阿呆と謂はれても、神の道 素直に聞く臣民でないと解けんぞ。解いてよく噛み砕いて世に出てゐる人に知らしてやりて下されよ。苦労喜ぶ心より楽喜ぶ心高いぞ。」

 

悪い順に持ち上げ、ましな順に叩く奴らを

妄信してる方ばかりだと危うい。

 

そこら中に人殺しがいるような社会です。

そういう「体制保守」システムがある。

ナチス的、蛮賊的、カルト的な、ね。

幽界(がいこく)の有り様。

神国的・宗教的ではない。

 

いわゆる「集団ストーカー」などなど

背徳カルト蛮賊(反日体制保守)の手口

http://cyrus2.blog.fc2.com/blog-entry-455.html

 

私は前世が義経公だったとしたら

梶原景時の讒言を妄信した兄の

命令で殺されてるわけだし

上杉謙信公にも、暗殺された疑惑があります。

(跡継ぎ候補の上杉景虎が小田原北条からの

養子だったため、姉の子とその部下などが

容疑者だという。)

記憶もない前世・昔の話や仮説ですし

あの世では、もう謝罪も改心もなさって

いるでしょうし、本当だとしても

今生の私にわだかまりなどありませんが。

(むしろ今は彼らこそが私を守護してくれている

神霊集団の中で主軸になってる可能性もあるわけで。)

 

やれる事をやるだけです。

人事を尽くして天命を待つ。

祈りながら、考え、

祈りに一致した行動をとる、努力をするだけ。

 

今の自分にできもしない事をやろうとは思わないし

実際よりよく見せようという気もない。

ただ、もう少しくらいは成長すべきなのかも知れない。

ただ前世では「悪を憎むこと甚だしい」と評されている

そうで、そこは今でもなかなかに難しい所。

 信玄公は「大将らしからぬ」とおっしゃるよう

 だけれども、それらしく見せようという指向が無い。

 謙信公はAB型だったらしいので、一応A型の今生より

 短気でもおかしくないし。B型は藤原系の血。

 

父は初め、他の知り合いを

義経公の生まれ変わりとか言ってたんですよ。

その方「も」分霊かも知れませんが。

ところが、私がサイババのアシュラム(道場)で

とある人物と会った事をインターネットで書いた

ところ、イニシャルしか書いてないのに

すぐに、とある古戦場に出かけた。

こういう事をこういう記事で書くからには

もうイニシャルも書かず、仮にXさんとしますが

Xさんは私の事を、どうも貴人・主君のように

感じる、とか言っていたんですよね。

父の信者さんの中にも、私を見て

「きっと、この人が噂の義経さん」と

思う人がいらっしゃったりして。そういう経緯が

いろいろあるので、前世の記憶などなくても

そうなのかもな、と思っているわけです。

 

自分の命に従う人が、ある程度の数いれば強いかと。

万人が指示に従うなら、革新はたやすく見える。

改心しなければ日に日に状況は悪くなるばかり。

 

大本営発表よりも「理」をとるかどうか、の問題。

 

既にインターネット上の広告バナーは

ほぼ朝鮮顔しか出ない、という事に

疑問を持つくらいの人だらけにならないと、ね。

日月神示 第二巻「下(四百)つ巻」31~38帖

昭和19年7月12日(1944年)~昭和19年8月3日(1944年)

◎は〇の中に 。環境依存文字

 

第三十一帖 (七三)

この神に供へられたものは、何によらん私することならんぞ、まゐりた臣民にそれぞれ分けて喜ばして呉れよ、臣民喜べば神も喜ぶぞ、神喜べば天地光りて来るぞ、天地光れば富士(二二)晴れるぞ、富士は晴れたり日本晴れとはこの事ぞ。このやうな仕組でこの道ひろめて呉れよ、それが政治ぞ、経済ぞ、真通理(マツリ)ぞ、分りたか。八月の三日、ひつ九のか三。


第三十二帖 (七四)
この道ひろめて金儲けしようとする臣民 沢山に出て来るから、役員氣つけて呉れよ、役員の中にも出て来るぞ、金(かね)は要らぬのざぞ、金いるのは今しばらくぞ、生命は国にささげても金は自分のものと頑張ってゐる臣民、気の毒出来るぞ、何もかも天地へ引き上げぞと知らしてあること近づいて来たぞ、金かたきの世来たぞ。八月三日、一二◎。


第三十三帖 (七五)
親となり子となり夫婦となり、兄弟(はらから)となりて、生きかわり死にかわりして御用に使ってゐるのぞ、臣民同士、世界の民、みな同胞(はらから)と申すのは喩へでないぞ、血がつながりてゐるまことの同胞ぞ、はらから喧嘩も時によりけりぞ、あまり分らぬと神も堪忍袋の緒切れるぞ、何んな事あるか知れんぞ、この道の信者は神が引き寄せると申せば役員ふところ手で居るが、そんなことでこの道開けると思ふか。一人が七人の人に知らせ、その七人が済んだら、次の御用にかからすぞ、一聞いたら十知る人でないと、この御用つとまらんぞ、うらおもて、よく氣つけよ、因縁の身魂はどんなに苦しくとも勇んで出来る世の元からのお道ぞ。七人に知らしたら役員ぞ、神が命ずるのでない、自分から役員になるのぞと申してあろがな、役員は神のぢきぢきの使ひぞ、神柱ぞ。肉体男なら魂(たま)は女(おみな)ぞ、この道 十(と)りに来る悪魔あるから氣つけ置くぞ。八月の三日、ひつ九のか三。


第三十四帖 (七六)
臣民はすぐにも戦すみてよき世が来る様に思うてゐるが、なかなかさうはならんぞ、臣民に神うつりてせねばならんのざから、まことの世の元からの臣民 幾人もないぞ、みな曇りてゐるから、これでは悪の神ばかりかかりて、だんだん悪の世になるばかりぞ、それで戦すむと思うてゐるのか、自分の心よく見てござれ、よく分るであろがな、戦すんでもすぐによき世とはならんぞ、それからが大切ぞ、胸突き八丁はそれからぞ、富士に登るのにも、雲の上からが苦しいであろがな、戦は雲のかかってゐるところぞ、頂上(いただき)までの正味のところはそれからぞ。一、二、三年が正念場ぞ。三四五(みよいづ)の仕組と申してあろがな。八月の三日、ひつくのか三。


第三十五帖 (七七)
何もかも持ちつ持たれつであるぞ、臣民喜べば神も喜ぶぞ、金(きん)では世は治まらんと申してあるのに まだ金追うてゐる見苦しい臣民ばかり、金は世をつぶす本ぞ、臣民、世界の草木まで喜ぶやり方は◎の光のやり方ぞ。臣民の生命も長うなるぞ、てんし様は生き通しになるぞ、御玉体(おからだ)のままに神界に入られ、またこの世に出られる様になるぞ、死のないてんし様になるのぞ、それには今のやうな臣民のやり方ではならんぞ、今のやり方ではてんし様に罪ばかりお着せしてゐるのざから、この位 不忠なことないぞ、それでもてんし様はおゆるしになり、位までつけて下さるのぞ、このことよく改心して、一時(ひととき)も早く忠義の臣民となりて呉れよ。八月の三日、ひつ九の◎。


第三十六帖 (七八)
神をそちのけにしたら、何も出来上がらんやうになりたぞ。国盗りに来てグレンと引繰り返りて居らうがな、それでも氣づかんか。一にも神、二にも神、三にも神ぞ、一にも天詞様、二にも天詞様、三にも天詞様ぞ。この道つらいやうなれど貫きて呉れよ、だんだんとよくなりて、こんな結構なお道かと申すやうにしてあるのざから、何もかもお国に献げて自分の仕事を五倍も十倍も精出して呉れよ。戦位 何でもなく終るぞ。今のやり方ではとことんに落ちて仕まうぞ、神くどう氣つけて置くぞ。国々の神さま、臣民さま改心第一ぞ。八月三日、ひつ九のか三。


第三十七帖 (七九)
世が変りたら天地光り人も光り草も光り、石も物ごころに歌ふぞ、雨もほしい時に降り、風もほしい時に吹くと雨の神、風の神 申して居られるぞ。今の世では雨風を臣民がワヤにしているぞ、降っても降れず、吹いても吹かん様になりてゐるのが分らんか。盲つんぼの世の中ぞ。神のゐる場所塞いで居りて お蔭ないと不足申すが、分らんと申しても余りであるぞ。神ばかりでもならず、臣民ばかりではなおならず、臣民は神の入れものと申してあろが、あめのひつくの民と申すのは、世界治めるみたまの入れもののことぞ、民草とは一人をまもる入れものぞ、ひつくの臣民は神がとことん試しに試すのざから、可哀そうなれど我慢して呉れよ、その代り御用つとめて呉れたら、末代名を残して、神からお礼申すぞ。何事も神は帳面につけとめてゐるのざから間違ひないぞ、この世ばかりでないぞ、生れ代り死に代り鍛へてゐるのぞ、ひつくの臣民 落ちぶれてゐると申してあろがな、今に上、下になるぞ、逆立ちがおん返りて、元のよき楽の姿になるのが近づいたぞ、逆立ち苦しかろがな、改心した者から楽にしてやるぞ、御用に使ふぞ。八月三日、ひつ九のか三。


第三十八帖 (八〇)
富士は晴れたり日本晴れ、これで下つ巻の終りざから、これまでに示したこと、よく腹に入れて呉れよ。神が真中で取次ぎ役員いくらでもいるぞ、役員はみな神柱ぞ。国々、ところどころから訪ねて来るぞ、その神柱には みつげの道知らしてやりて呉れよ、日本の臣民みな取次ぎぞ、役員ぞ。この方は世界中丸めて大神様にお目にかけるお役、神の臣民は世界一つに丸めて てんし様に献げる御役ぞ。この方とこの方の神々と、神の臣民一つとなりて世界丸める御役ぞ。神祀りて呉れたらいよいよ仕組知らせる神示(ふで)書かすぞ、これからが正念場ざから、ふんどし締めてかかりて呉れよ。秋立ちたら神烈しくなるぞ、富士は晴れたり日本晴れ、てんし様の三四五(みよいづ)となるぞ。八月の三日、ひつくのか三。

 

日月神示 全文

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日月神示 第二巻「下(四百)つ巻」21~30帖

昭和19年7月12日(1944年)~昭和19年8月3日(1944年)

は〇の中に 。環境依存文字

@は絵文字の渦。「の」と同じ方向巻き。


第二十一帖 (六三)
 ・ ばかりでもならぬ、〇ばかりでもならぬ。◎がまことの神の元の国の姿ぞ。元の神の国の臣民は◎でありたが、 ・ が神国に残り〇が外国で栄へて、どちらも片輪となったのぞ。 ・ もかたわ〇もかたわ、 ・ と〇と合はせて まことの◎(かみ)の世に致すぞ。今の戦は ・ と〇との戦ぞ、神の最後の仕組と申すのは〇に ・ 入れることぞ。〇も五ぞ ・ も五ぞ、どちらも、このままでは立ちて行かんのぞ。一厘の仕組とは〇に神の国の ・ を入れることぞ、よく心にたたみておいて呉れよ。神は十柱五十九柱のからだ待ちてゐるぞ。五十と九柱のミタマの神々様お待ちかねであるから、早うまゐりて呉れよ。今度の御役大層であるが、末代残る結構な御役であるぞ。七月の二十四日、一二のか三。


第二十二帖 (六四)
岩戸開く仕組 知らしてやりたいなれど、この仕組、言ふてはならず、言はねば臣民には分らんし、神苦しいぞ、早う神心になりて呉れと申すのぞ、身魂の洗濯いそぐのぞ。二三三二二(アイカギ)、 ・ 〇◎、コノカギハイシヤトシカテニギルコトゾ。一二◎(ひつくのかみ)、七月の二十八日。


第二十三帖 (六五)
世が引繰り返って元の神世に返るといふことは、神々様には分って居れど、世界ところどころにその事知らし告げる神柱あるなれど、最後のことは 九(こ)の神でないと分らんぞ。この方は天地をキレイに掃除して天の大神様にお目にかけねば済まぬ御役であるから、神の国の臣民は神の申す様にして、天地を掃除して てんし様に奉らなならん御役ぞ。江戸に神早う祀りて呉れよ、仕組通りにさすのであるから、臣民 我を去りて呉れよ。この方祀るのは天(あめ)のひつくの家ぞ、祀りて秋立ちたら、神いよいよ烈しく、臣民の性来(しょうらい)によって、臣民の中に神と獣とハッキリ区別せねばならんことになりて来たぞ、神急けるぞ。七月の三十日、ひつ九のか三。


第二十四帖 (六六)
一が十にと申してありたが、一が百に、一が千に、一が万になるとき いよいよ近づいたぞ。秋立ちたらスクリと厳しきことになるから、神の申すこと一分一厘ちがはんぞ。改心と申すのは、何もかも神にお返しすることぞ、臣民のものといふもの何一つもあるまいがな、草の葉一枚でも神のものぞ。七月の三十日、ひつくのか三。


第二十五帖 (六七)
今度の戦で何もかも埒ついて仕まふ様に思うてゐるが、それが大きな取違ひぞ、なかなかそんなチョロッコイことではないぞ、今度の戦で埒つく位なら、臣民でも致すぞ。今に戦も出来ない、動くことも引くことも、進むことも何うすることも出来んことになりて、臣民は神がこの世にないものといふ様になるぞ、それからが、いよいよ正念場ぞ、まことの神の民と獣とをハッキリするのはそれからぞ。戦出来る間はまだ神の申すこときかんぞ、戦出来ぬ様になりて、始めて分かるのぞ、神の申すこと、ちっとも違はんぞ、間違ひのことなら、こんなにくどうは申さんぞ。神は氣(け)もない時から知らしてあるから、いつ岩戸が開けるかと云ふことも、この神示(ふで)よく読めば分かる様にしてあるのぞ、改心が第一ぞ。七月の三十日、ひつくのか三のふで。


第二十六帖 (六八)
神の国を真中にして世界分けると申してあるが、神祀るのと同じやり方ぞ。天(あめ)のひつくの家とは天のひつくの臣民の家ぞ。天のひつくと申すのは天の益人のことぞ、江戸の富士と申すのは、ひつくの家の中に富士の形作りて、その上に宮作りてもよいのぞ、仮でよいのぞ。こんなに別辞(ことわけ)てはこの後は申さんぞ。小さい事はサニワで家来の神々様から知らすのであるから、その事忘れるなよ。仏(ぶつ)も耶蘇(やそ)も、世界中まるめるのぞ。喧嘩して大き声する所にはこの方鎮まらんぞ、この事忘れるなよ。七月の三十一日、一二◎。


第二十七帖 (六九)
この方は祓戸(はらへど)の神とも現はれるぞ。この方祀るのは富士に三と所、@海に三と所、江戸にも三と所ぞ、奥山、中山、一の宮ぞ。富士は、榛名(はるな)に祀りて呉れて御苦労でありたが、これは中山ぞ、一の宮と奥の山にまた祀らねばならんぞ、@海の仕組も急ぐなれどカイの仕組早うさせるぞ。江戸にも三と所、天明の住んでゐるところ奥山ぞ。あめのひつくの家、中山ぞ、此処が一の宮ざから氣つけて置くぞ。この方祀るのは、真中に神の石鎮め、そのあとにひもろぎ、前の右左にひもろぎ、それが「あ」と「や」と「わ」ぞ、そのあとに三つ七五三とひもろ木立てさすぞ。少しはなれて四隅にイウエオの言霊石 置いて呉れよ。鳥居も注連(しめ)もいらぬと申してあろがな、このことぞ。この方祀るのも、役員の仕事も、この世の組立も、みな七七七七と申してきかしてあるのには氣がまだつかんのか、臣民の家に祀るのは神の石だけでよいぞ、天のひつくの家には、どこでも前に言ふ様にして祀りて呉れよ。江戸の奥山には八日、秋立つ日に祀りて呉れよ、中山九日、一の宮には十日に祀りて呉れよ。氣つけてあるのに神の神示(ふで)よまぬから分らんのぞ、このこと、よく読めば分るぞ。今の様なことでは神の御用つとまらんぞ、正直だけでは神の御用つとまらんぞ。裏と表とあると申して氣つけてあろがな、シッカリ神示読んで、スキリと腹に入れて呉れよ、よむたび毎に神が氣つける様に声出してよめば、よむだけお蔭あるのぞ。七月の三十一日、一二◎。

 

註:天明先生が当時住んでいたのは千駄ヶ谷の鳩森八幡と思われます。

 どこへ移住してもそこが奥山、という事でしょうけれど、参考に。

 1897年 吉備(岡山)の倉敷(当時は浅口郡)玉島にて生誕

 1914年 神戸に転居

 1946年 千葉県印旛郡公津村台方 (天日津久神社近く)に転居。

 1953年 岐阜に転居

 1955年 北伊勢の菰野「至恩郷」に転居


第二十八帖 (七〇)
またたきの間に天地引繰り返る様な大騒動が出来るから、くどう氣つけてゐるのざ、さあといふ時になりてからでは間に合はんぞ、用意なされよ。戦の手伝ひ位なら、どんな神でも出来るのざが、この世の大洗濯は、われよしの神ではよう出来んぞ。この方は元のままの身体(からだ)持ちてゐるのざから、いざとなれば何んなことでもして見せるぞ。仮名ばかりの神示と申して馬鹿にする臣民も出て来るが、仕まひにはその仮名に頭下げて来ねばならんぞ、かなとは◎(カミ)の七(ナ)ぞ、神の言葉ぞ。今の上の臣民、自分で世の中のことやりてゐるように思うているが、みな神がばかして使ってゐるのに氣づかんか、気の毒なお役も出て来るから、早う改心して呉れよ。年寄や女や盲、聾ばかりになりても、まだ戦やめず、神の国の人だねの無くなるところまで、やりぬく悪の仕組もう見て居れんから、神はいよいよ奥の手出すから、奥の手出したら、今の臣民ではようこたえんから、身魂くもりてゐるから、それでは虻蜂取らずざから、早う改心せよと申してゐるのぞ、このことよく心得て下されよ、神せけるぞ。八月二日、ひつ九のか三。


第二十九帖 (七一)
神の土出ると申してありたが、土は五色の土ぞ、それぞれに国々、ところどころから出るのぞ。白、赤、黄、青、黒の五つ色ぞ、薬のお土もあれば喰べられるお土もあるぞ、神に供へてから頂くのぞ、何事も神からぞ。八月二日、一二◎。


第三十帖 (七二)
八のつく日に氣つけて呉れよ、だんだん近づいたから、辛酉(かのととり)はよき日、よき年ぞ。冬に桜咲いたら氣つけて呉れよ。八月二日、ひつくのかみ。

 

日月神示 全文

https://cyrus2.hatenablog.jp/entry/2022/10/30/090103

 

日月神示 第二巻「下(四百)つ巻」11~20帖

昭和19年7月12日(1944年)~昭和19年8月3日(1944年)

◎は〇の中に 。環境依存文字

 

第十一帖 (五三)
けものさへ神のみ旨に息せるを神を罵る民のさわなる。草木さへ神の心に従ってゐるではないか、神のむねにそれぞれに生きてゐるでないか、あの姿に早う返りて呉れよ、青人草と申すのは草木の心の民のことぞ。道は自分で歩めよ、御用は自分でつとめよ、人がさして呉れるのでないぞ、自分で御用するのぞ、道は自分で開くのぞ、人頼りてはならんぞ。七月の十八日、ひつくのか三。


第十二帖 (五四)
この神は日本人のみの神でないぞ。自分で岩戸開いて居れば、どんな世になりても楽にゆける様に神がしてあるのに、臣民といふものは慾が深いから、自分で岩戸しめて、それでお蔭ないと申してゐるが困ったものぞ。早う氣づかんと氣の毒出来るぞ。初めの役員十柱集めるぞ。早うこの神示写して置いて呉れよ、神急けるぞ。七月の十八日、ひつ九の◎。


第十三帖 (五五)
逆立ちして歩くこと、なかなか上手になりたれど、そんなこと長う続かんぞ。あたま下で手で歩くのは苦しかろうがな、上にゐては足も苦しからうがな、上下逆様と申してあるが、これでよく分るであろう、足はやはり下の方が氣楽ぞ、あたま上でないと逆さに見えて苦しくて逆様ばかりうつるぞ、この道理分りたか。岩戸開くとは元の姿に返すことぞ、神の姿に返すことぞ。三(みち)の役員は別として、あとの役員のおん役は手、足、目、鼻、口、耳などぞ。人の姿見て役員よく神の心悟れよ、もの動かすのは人のやうな組織でないと出来ぬぞ。この道の役員はおのれが自分でおのづからなるのぞ、それが神の心ぞ。人の心と行ひと神の心に融けたら、それが神の国のまことの御用の役員ぞ、この道理分りたか。この道は神の道ざから、神心になると直ぐ分るぞ、金銀要らぬ世となるぞ。御用うれしくなりたら神の心に近づいたぞ、手は手の役、うれしかろうがな、足は足の役、うれしかろうがな、足はいつまでも足ぞ、手はいつまでも手ぞ、それがまことの姿ぞ、逆立して手が足の代りしてゐたから よく分りたであろうがな。いよいよ世の終りが来たから役員氣つけて呉れよ。神代近づいてうれしいぞよ。日本は別として世界七つに分けるぞ、今に分りて来るから、静かに神の申すこと聞いて置いて下されよ。この道は初め苦しいが、だんだんよくなる仕組ぞ、わかりた臣民から御用つくりて呉れよ、御用はいくらでも、どんな臣民にでも、それぞれの御用あるから、心配なくつとめて呉れよ。七月の十八日の夜、ひつくのか三。


第十四帖 (五六)
臣民ばかりでないぞ、神々様にも知らせなならんから、なかなか大層と申すのぞ。一二三(ひふみ)の仕組とは、永遠(とは)に動かぬ道のことぞ、三四五(みよいづ)の仕組とは、みよいづの仕組ぞ、御代出づとは神の御代になることぞ、この世を神の国にねり上げることぞ、神祀りたら三四五の御用にかかるから、その積りで用意して置いて呉れよ。この神は世界中の神と臣民と、けだものも草木もかまはねばならんのざから、御役いくらでもあるぞ。神様と臣民 同じ数だけあるぞ。それぞれに神つけるから、早う身魂みがいて呉れよ、みがけただけの神をつけて、天晴れ後の世に残る手柄立てさすぞ。小さいことはそれぞれの神にきいて呉れよ、一人ひとり、何でもききたいことは、病直すことも、それぞれの神がするから、サニワでお告うけて呉れよ、この方の家来の神が知らせるから何でもきけよ。病も直してやるぞ、その神たよりたなら、身魂みがけただけの神徳あるぞ。この世始まってない今度の岩戸開きざから、これからがいよいよぞ。飛んだところに飛んだこと出来るぞ。それはみな神がさしてあるのざから、よく氣つけて居れば、さきの事もよく分かるようになるぞ。元の神代に返すと申すのは喩へでないぞ。七から八から九から十から神烈しくなるぞ、臣民の思う通りにはなるまいがな、それは逆立してゐるからぞ。世界一度にキの国にかかりて来るから、一時は潰れたやうに、もうかなはんと云ふところまでになるから、神はこの世に居らんと臣民申すところまで、むごいことになるから、外国が勝ちたやうに見える時が来たら、神の代近づいたのぞ、いよいよとなりて来ねば分らん様では御用出来んぞ。七月の二十日、ひつ九のか三。


第十五帖 (五七)
この方祀りて神示(ふで)書かすのは一所なれど、いくらでも分け霊(みたま)するから、ひとりひとり祀りてサニワ作りてもよいぞ。祀る時は先づ鎮守様によくお願いしてから祀れよ、鎮守様は御苦労な神様ぞ、忘れてはならんぞ、この神には鳥居と注連(しめ)は要らんぞ。追ひ追ひ分かりて来るぞ、一二七七七七七わすれてはならんぞ、次の世の仕組であるぞ。身魂みがけば何事も分りて来ると申してあろがな、黙ってゐても分るやうに早うなって下されよ、神の国近づいたぞ。七月の二十一日、ひつ九のか三。


第十六帖 (五八)
知恵でも学問でも、今度は金積んでも何うにもならんことになるから、さうなりたら神をたよるより他に手はなくなるから、さうなりてから助けて呉れと申しても間に合わんぞ、イシヤの仕組にかかりて、まだ目さめん臣民ばかり。日本精神と申して仏教の精神や基督教の精神ばかりぞ。今度は神があるか、ないかを、ハッキリと神力みせてイシヤも改心さすのぞ。神の国のお土に悪を渡らすことならんのであるが、悪の神わたりて来てゐるから、いつか悪の鬼ども上がるも知れんぞ。神の国ぞと口先ばかりで申してゐるが、心の内は幽界人(がいこくじん)沢山あるぞ。富士から流れ出た川には、それぞれ名前の附いてゐる石置いてあるから縁ある人は一つづつ拾ひて来いよ、お山まで行けぬ人は、その川で拾ふて来い、みたま入れて守りの石と致してやるぞ。これまでに申しても疑ふ臣民あるが、うその事なら、こんなに、くどうは申さんぞ。因縁の身魂には神から石与へて守護神の名つけてやるぞ。江戸が元のすすき原になる日近づいたぞ。てん四様を都に移さなならん時来たぞ。江戸には人住めん様な時が一度は来るのぞ。前のやうな世が来ると思うてゐたら大間違ひぞ。江戸の仕組すみたらカイの御用あるぞ。いまにさびしくなりて来るぞ。この道栄えて世界の臣民みなたづねて来るやうになるぞ。七月の二十一日の夜、ひつ九のか三。


第十七帖 (五九)
学や知恵では外国にかなうまいがな、神たよれば神の力出るぞ、善いこと言へば善くなるし、わるきこと思へばわるくなる道理分らんか。今の臣民 口先ばかり、こんなことでは神の民とは申されんぞ。天明は神示書かす役ぞ。神の心取り次ぐ役ざが、慢心すると誰かれの別なく、代へ身魂使ふぞ。因縁のある身魂はこの神示(ふで)見れば心勇んで来るぞ。一人で七人づつ道伝へて呉れよ、その御用が先づ初めの御用ぞ。この神示通り伝へて呉れればよいのぞ、自分ごころで説くと間違ふぞ。神示通りに知らして呉れよ。我を張ってはならぬぞ、我がなくてもならぬぞ、この道六ヶしいなれど縁ある人は勇んで出来るぞ。七月の二十一日、一二の◎。


第十八帖 (六〇)
この道は神の道であり人の道であるぞ。この道の役員は神が命ずることもあるが、おのれが御用すれば、自然と役員となるのぞ、たれかれの別ないぞ、世界中の臣民みな信者ざから、臣民が人間ごころでは見当とれんのも無理ないなれど、この事よく腹に入れて置いてくれよ。神の土出るぞ、早く取りて用意して皆に分けてやれよ。神に心向ければ、いくらでも神徳与へて何事も楽にしてやるぞ。七月の二十三日、ひつ九のか三のふで。


第十九帖 (六一)
苦しくなりたら何時でもござれ、その場で楽にしてやるぞ、神に従へば楽になって逆らへば苦しむのぞ。生命も金も一旦天地へ引き上げ仕まうも知れんから、さうならんやうに心の洗濯第一ぞと申して、くどう氣附けてゐることまだ分らんか。七月の二十三日、一二のか三。


第二十帖 (六二)
上(うえ)、中(なか)、下(しも)の三段に身魂をより分けてあるから、神の世となりたら何事もきちりきちりと面白い様に出来て行くぞ。神の世とは神の心のままの世ぞ、今でも臣民 神ごころになりたら、何でも思ふ通りになるぞ。臣民 近慾(ちかよく)なから、心曇りてゐるから分らんのぞ。今度の戦は神力と学力のとどめの戦ぞ。神力が九分九厘まで負けた様になったときに、まことの神力出して、ぐれんと引繰り返して、神の世にして、日本のてんし様が世界まるめてしろしめす世と致して、天地神々様にお目にかけるぞ。てんし様の光が世界の隅々まで行きわたる仕組が三四五(みよいづ)の仕組ぞ、岩戸開きぞ。いくら学力強いと申しても百日の雨降らすこと出来まいがな。百日雨降ると何んなことになるか、臣民には分るまい、百日と申しても、神から云へば瞬きの間ぞ。七月の二十三日、ひつ九の◎。

 

日月神示 全文

https://cyrus2.hatenablog.jp/entry/2022/10/30/090103